名城大学法学部卒
株式会社新東通信 代表取締役会長
1941年生まれ
谷 喜久郎
2026.09.27
谷 喜久郎
名城大学法学部卒
株式会社新東通信 代表取締役会長
1941年生まれ

幼い頃は、近所では有名な悪ガキでした。小学校の用務員さんをからかうのが楽しくて学校の屋上からゴムボールを落としたり、若い女性の先生を困らせたりしていました。そのたびに、職員室から男の先生が「また谷の仕業か!」と飛び出してくる。他のクラスの授業をのぞくために天井裏に上がったら天井板が破れて足だけ出た時は、顔が見えないはずなのに「谷!」と先生に怒られたこともありました。どうしようもないガキでした。でも、なぜか先生からはかわいがられていて、いたずらに愛嬌(あいきょう)がありましたからね。当時、私はいつも「何かおもろいことはないか」と考えていました。勉強は嫌いでしたが、面白いことのアイデアなら次々と浮かんできました。
スポーツは万能でした。小学校低学年で柔道と空手を始め、中学ではハンドボールと剣道。高校では器械体操。この時は素人ながら1年生の近畿大会新人戦で3位に入賞。卒業間際、ウエイトリフティングで日本一になった友人が、名城大学のスポーツ推薦のことを教えてくれました。私には実績がなかったのですが、少しウエイトリフティングの練習をしたら国体の愛知県代表選手になれたんです。これで授業料免除のスポーツ特待生になりました。
大学では毎日朝から夕方まで練習。練習が忙しくて、授業はぜんぜん出ていませんでした。今だから言いますが、1・2年で取った単位数はゼロ。これじゃ卒業できないと言われ、残り2年で4年間分の単位をすべて取りました。今は無理ですが、昔はそういう制度がありましたから。
もちろん練習ばかりじゃない。1年生の時にある女性を好きになり、彼女を幸せにするために自分で稼ごうと思い込み、大学を休学して落語家に弟子入りを決意。口が達者だったから自分には向いていると思ったんでしょうね。その時は運良く(?)彼女に振られて休学はしなかったけれど。また口のうまさを見込まれ、先輩からハワイアンバンドを譲られ、バンドマスターとしてビアガーデンの営業を仕切っていたことも。他に名古屋市公会堂(現・岡谷鋼機名古屋公会堂)を借り切ってダンスパーティーも開催しました。もう当時からイベントの企画から集客、運営まですべて自分でやっていました。そんな毎日だから、お金はたまったけれど勉強する暇はなかったですね。
しかし4年生になると、さすがに将来のことを考え始めました。その時、高校の国語の先生から「お前は広告業界に向いている」と言われたことを思い出して、広告業界に行こうと決めたんです。
でも、大企業に行ったってどうせ出世できそうにない。そこで名古屋本社の小さな広告代理店を選びました。とにかく自由な会社で、新人の私に何でもさせてくれました。大学時代にイベントプロデューサーのようなことをしていましたから、人やお金の動かし方といった辺りの勘所は理解しています。だから先輩の指導には耳を貸さず、自分で仮説を立ててクライアントを探し、企画書を書き、社長を説得し、入社2カ月で3つの新聞広告を取ったんです。しかも、これが新聞社の広告賞を受賞。キャリアや年齢に関係なく、アイデアと行動力で勝負できる。広告屋は私の天職だとしみじみ思ったものでした。
社会人になって9年目、31歳の時、社内で起きた内紛に嫌気がさし、独立して新東通信を立ち上げました。新人の頃からクライアントは自分で開拓してきましたから、前途に不安はなかったですね。最初は4畳半の小さな事務所で、毎朝出迎えてくれるゴキブリを除けば、創業メンバーは6人。創業初日、みんなの前で「俺らは広告業界の王道を歩むのだ」と宣言したことを覚えています。
以来、私の行動理念でもある「何かおもろいことないか」を実践し続けてきました。新東通信は、そんな「おもろいこと」をみんなで考え、実現する喜びを分かち合える組織でありたいと思っています。
広告屋としての信条は、東京の大手広告代理店に負けない面白いムーブメントを名古屋から発信し続けること。これまで、アメリカで大流行していたフリスビーを日本に広めたり、世界で初めて中国でテレビCMを撮影したりしてきました。1980年代初めには、オリンピック誘致で盛り上がる名古屋を応援するため、名古屋シティマラソンを企画して開催にこぎつけました。また誘致に失敗した名古屋を元気にするために、本と花を贈り合うスペインの「サン・ジョルディ」を名古屋から世界に広めようというプロジェクトを企画。これがきっかけで、キャンペーンを始めた4月23日はユネスコから「世界本の日」に制定されました。またスペインとの縁も生まれ、バブルの頃に私が購入した、グエル公園に面したグエル邸は、今はバルセロナ文化センターとして利用されています。スペイン国王よりアルフォンソ十世勲章、スペイン・サラマンカ大学からは世界初の国際功労賞もいただきました。
名城大学との関係で言えば、100周年記念事業のロゴやブランディングは新東通信が担当し、私が責任を持って内容をチェックしています。
昨年、全日本広告連盟から「第13回全広連日本宣伝賞」の吉田賞を受賞、そして、今年は日本広告業協会から「第61回吉田秀雄記念賞」のW受賞となりました。このW受賞は業界12人目、地方では初の偉業となりました。2026年に名古屋で行われる2026年アジア競技大会も当社が仕切っていますが、これだけの大規模イベントを地方の代理店が仕切るのも史上初。私たちは名古屋の小さな広告代理店ですが、こうして日本に、そして世界に私たちの存在感を示すことができていることは、とてもうれしく思います。
今、個人的に興味があるのは、昭和初期に活動していた鈴木しづ子さんという天才俳人。幼い頃に犬山市で暮らしていたという縁から、毎年犬山市で全国大学生俳句選手権という大会が開かれています。私は俳句が好きなので、将来は全国的なイベントになるように支援していきたいと思っています。他にも、まだまだアイデアはたくさんあります。この先も、もっと面白いことを企画し、愛知から世界に仕掛けていきます。楽しみにしていてください。
1941年、兵庫県川西市生まれ。名城大学法学部卒業。1972年に株式会社新東通信を創業した後は、愛知から日本、そして世界に向けて「面白いこと」を仕掛けてきた。本文で紹介した他にも、2005年愛・地球博でのイベント企画、地域広告会社コンソーシアム「メイシス」の立ち上げなど、広告代理店の枠に収まらない視点で都市ブランドの構築を手がける。現在は本学100周年記念事業のイベントプロデューサーを務める。アルフォンソ十世勲章(2006年)、旭日双光章およびサン・ジョルディ十字勲章(2016年)、スペイン・サラマンカ大学国際功労賞(2023年)、「第13回全広連日本宣伝賞」吉田賞(2025年)、日本広告業協会「吉田秀雄記念賞」(2026年)等、数々の受賞歴は同氏の国際的評価の高さを示している。