名城大学通信 43 [2012 winter]

名城大学通信 43 [2012 winter] page 10/40

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物き語ずな名城大学校友会東北支部長の野神さん(7月15日、JR仙台駅で)仲買人としてセリに参加中に大地震に遭った古舘さん(7月17日、避難所で)第回卒業生506人の安否を追って1962年理工学部建設工学科土木分科卒野神....

物き語ずな名城大学校友会東北支部長の野神さん(7月15日、JR仙台駅で)仲買人としてセリに参加中に大地震に遭った古舘さん(7月17日、避難所で)第回卒業生506人の安否を追って1962年理工学部建設工学科土木分科卒野神修さん校友会東北支部長の野神さんは国鉄東北支社(現在のJR)に入社し、仙台新幹線工事局時代には東北新幹線のルート選定や仙台駅改良などに携わり1997年3月、国鉄清算事業団東北支社長を最後に退職。大地震発生後、東北6県の名城大学卒業生506人の安否確認に奔走しました。(2011.8.19)第回着信電話から懐かしい母校の名前1977年農学部農芸化学科卒古舘(旧姓田村)和子さん岩手県宮古市の古舘さんは3年前、水産加工業の夫に先立たれました。古舘さんは大震災に見舞われた日、仲買人として魚市場でセリに参加していました。「大津波が来る。逃げなければ」。車に飛び乗った古舘さんは思い切りアクセルを踏み込ました。渡り終えた橋の下の閉伊川にどす黒い津波が押し寄せて来ました。間一髪の脱出劇でした。(2011.8.4)チャリティーランの最後を飾り、女子駅伝部の選手を先頭に走りだす参加者全員での最終ラン(10月30日、10号館前で)ウェブ上の「名城大学きずな物語」は名城大学という枠から飛び出していろんな方々の目に触れています。絆の連鎖はさらに広がっていくことでしょう。名城大学きずな物語第回教育の再開なくして復興はない1964年法商学部商学科卒遠藤定治さん商業施設や公共施設はほとんどが水没した宮城県女川町。教育長の遠藤さんは、災害対策副本部長も務めながら、復興の陣頭指揮にあたっていました。女川町の学校は宮城県内の他の学校に先駆けて授業を再開しました。「教育の再開なくして復興はあり得ない」という遠藤さんの信念でした。(2011.10.11)第回第回自動車部がつないだ絆自動車部OB「紳士の集い」の皆さん理工学部機械システム工学科井村隆教授津田さんの安否を気遣う自動車部の後輩たちはやっとの思いで津田さんと連絡をつけました。理工学部の井村隆教授(1964年理工学部卒)もその1人。つながった携帯電話のテレビ電話モード画面に懐かしい津田さんの笑顔が現れました。(2011.9.30)命を救った決断1963年理工学部機械工学科卒津田広明さん宮城県石巻市の石巻みづほ第二幼稚園で園長の津田さんは、押し寄せる津波から園児たちを救うため、11人の園児、12人の職員らと一緒に園舎屋根に避難、夜明けの救出を待ちました。胸が引き裂かれる思いで園児を捜していた母親は3日後、園児が石巻専修大にいるという知らせを聞いて駆けつけました。ぎゅっと抱きしめたわが子。懐かしい匂い、声、手足。涙があふれ、言葉が出ませんでした。(2011.9.22)女川町教育長で災害対策副本部長でもある遠藤さん(8月25日、仮庁舎で)津田さんの安否を気遣った自動車部OBたちの学生時代地元紙でも津田さんの活躍が紹介されました4309