名城大学通信 43 [2012 winter]

名城大学通信 43 [2012 winter] page 9/40

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[写真・右上から時計回りに]国旗と町旗が半旗のようになびく壊滅状態の女川町役場/青いバンダナを腕に、黙々と瓦礫撤去をする学生たち/仮設住宅では、名城大学で集められたタオルも使い「ゾウさんタオル」が続々と縫....

[写真・右上から時計回りに]国旗と町旗が半旗のようになびく壊滅状態の女川町役場/青いバンダナを腕に、黙々と瓦礫撤去をする学生たち/仮設住宅では、名城大学で集められたタオルも使い「ゾウさんタオル」が続々と縫われていました/震災直後の様子を語る堀籠正生さん。気仙沼港周辺の陸地には打ち上げられた漁船が何隻もありました(7月15日)になりたくて教職課程部が充実していた名城大学さん(1978年法学部卒)は、故郷の秋田で教員秋田県大館市の市立早口小学校校長、伊藤博忠秋田から女川、大島へ次々に生み出されました。を見ていただくとして、物語からは新たな物語がことにさかのぼります。物語の中身はホームページ工学部卒)が、卒業生たちの安否確認作業を進めたは校友会東北支部長の野神修さん(1962年理語」はそんな思いでスタートしました。旅の始まりの絆を探す旅を始めてみよう。「名城大学きずな物隠されているのではないか。これを機に、名城大学で私たちの周囲には、大切な絆がまだまだたくさんいが絆となって結びつき、大きな力になったことです。りました。それは、復興支援に役立ちたいという思見守った教職員や卒業生たちにも大きな収穫があのりは紆余曲折をたどりましたが、学生たちにも、私たちの思い?」というスローガンの達成までの道め運動。掲げられた「3万枚の奇跡?被災地に届け4月中旬にキャンパスの片隅で始まったタオル集絆を探す旅のスタートています」と記されていました。3万枚が1日も早く達成できることを楽しみにしの方々へ広がることを願っています。奇跡ではなく、ました。この活動の輪が名城大生から1人でも多く手紙には「メルマガで〝タオル3万枚?の活動を知りきました。子どもが経済学部1年生という母親のは被災地に届いていますよ」というメールもいただを巻き込んで活動してもらいたいと思います。思いる何かを考え、その活動の情報を発信し、多くの人どんな展開を見せるか楽しみです。瀬さんの絆の物語が、子ども同士が主役の第2章でジが一緒に届けられました。伊藤さん、遠藤さん、広島の小学生たちにも早口小の子どもたちのメッセー工学部卒)を励ますためです。女川町の小学生や大となった同市職員の広瀬宜則さん(1981年理沼市大島でのボランティア活動に乗り込むきっかけ4、10回で取り上げた、名城大学の学生たちが気仙仙沼市の大島小学校へ送られました。連載の第3、売され、その売上金の一部が義援金として宮城県気さらに、残りの野菜は大館市のイベントなどで販礼の言葉を聞きました。ら「涙が出るほどうれしい」と熱い思いのこもったおられました。伊藤さんは、電話で話した遠藤さんか役立ててもらうため、遠藤教育長を通して同町に送た。このうち約370キロは女川町全5校の給食で900キロ、サツマイモ約100キロを収穫しまし130人で芋作りを開始。8月末にはジャガイモ約舎近くの農地約10アールを借りて、全校児童早口小学校では大震災後、被災地支援のため、校とって大きな感動でした。興はない」と女川町復興に取り組む姿は伊藤さんに員の道を歩んだ遠藤さんの「教育の再開なくして復がいるのか」と驚いたそうです。特に自分と同じく教商学部卒)の存在を知り、「こんなに素晴らしい先輩陣頭指揮にあたる遠藤定治教育長(1964年法さんや、第8回で紹介された宮城県女川町で復興の2回で登場した卒業生の安否確認に奔走する野神物語」は連載第1回からずっと読んでいましたが、第さんはホームページをしっかり見ています。「きずな遠く離れた秋田県で暮らしていることもあり、伊藤に入学しました。夢はかないましたが、名古屋から08 43