名城大学通信 45 [2013 spring]

名城大学通信 45 [2013 spring] page 22/40

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名城大学通信 45 [2013 spring]

無常を受け止める力私はずっと無常ということがよく分かりませんでした。評論家・小林秀雄の評論に「無常ということ」というのがあったと思います。我々の受験の時には一番よく取り上げられた、その無常ということの意味が、私は少し分かるようになりました。無常というのはただ単に、傍観をして、全く無力の中で打ちひしがれるというのではなく、どこかでしっかりとそれを受け止めるという力があったのではないか。そうでなければ、この列島に、これだけの高度な文明を連綿として築きあげられなかったのではないか。18世紀、リスボン大地震(1755年)がありました。リスボン大地震が起きてポルトガルは世界史の舞台から消えていきます。栄えた国が、急速に世界史の舞台から消えていく方向に働いた、近世における大事件です。日本は、ポルトガルの二の舞になるのかというと、けしてそうではありません。日本はポルトガルと違って、何度も何度も、そういう目にあってきたということです。それを受け入れて立ち上がってきた。ですから私は、今回の大地震で、復興はまだ道半ばですが、必ず日本は立ち上がれると思います。それは、今回、突発的に、これだけが起きたのではなく、日本の歴史それ自体の中に、いわば無常を無常として受け止め、もう一度立ち上がってきた、そういう歴史の繰り返しがあるからです。私も高度成長の申し子ですから、これまでの右肩上がりで繁栄したことが、あたかも当然のように思ってしまう。だから経済が収縮したり横ばいになると、大変だ、どうなるんだ日本は、と思ってしまう。しかし、それは、今までのラッキーだった条件が、常態だと考えているからそういう発想になる。むしろそれは逆だ。こんなに戦後、繁栄できたのは、日本史の中で長く考えていくと、むしろ例外だった。あまりにもいい条件が重なった。そう考えた方がいいのではないか。学生諸君は、経済が右肩上がりだったと言われても、ほとんどそれは過去の歴史ではないかと思うんです。ちょうど我々にとって、大正や明治が遠いのと同じように。選択の幅を豊かにする発想を私は実は学生時代の就職活動で、1社だけ受けました。ソニーなら国籍の壁を越えて私のような人間でも採用してもらえるのではないかと。しかし、何の音沙汰もありませんでした。やはり、残念なことに、国籍の壁はありました。ソニーはかつてウォークマンを作りました。世界に冠たるソニーでした。これは間違いありません。ソニーのような会社に入れる人たちは、偏差値の輪切りにされた工学系の男性が圧倒的に多い。つまり女性が圧倒的に少ない。そしてなおかつ多国籍的になっていません。ですから、どんなに多機能の携帯電話を作っても、世界市場では、事実上ガラパゴスです。今の日本がこれだけの高度な技術を持ちながら、世界市場でなかなか競争に打ち勝てないという原因の一つがあると思います。つまり、実際の世界のマーケットで、人々は何を欲しているのかということを、きっちりとキャッチし、それに対応して製品をつくっているわけではない。全国の住宅メーカーが、大きく変わっていったのも女性の視点を組み入れていったからです。高度成長期に、なぜ日本が、これだけいいものを作れたかというと、やはり、あれもこれもという発想があったからだと思います。豊かであるということは、私たちは、あれもこれもの発想ができるということです。選択の幅が広いということです。夏目漱石と福沢諭吉近代日本を代表する2人を挙げるなら夏目漱石と福沢諭吉に尽きると思います。福沢諭吉という人は、近代日本の骨格になるものを作りだしました。「坂の上の雲」を目指す時代、経済で言えばインフレの時代に一番いい人だと思います。我々が坂を上っていく、あの雲をめざして。60年代に司馬遼太郎さんは、坂の上の雲をめざすような作品をたくさん作って、国民を鼓舞したんだと思います。でも、今は経済の収縮、そして少子高齢化が避けられない時代。坂の上の雲を目指す時代は終わった。これは誰も否定できません。漱石は49歳で亡くなりました。あと3年で没後100年です。私は没後100年で、漱石全集をアジアに広げたいというミッションを背負っていると思いますし、中国でも韓国でも、特に韓国では漱石の静かなブームが広まっています。必ずや中国でも漱石が見直されると思います。中国は拝金主義から経済が落ち込んでいった時に、必ず、何のために生きるのか、この社会のような、燃えて燃えつきるような社会でいいのか、という必ず反省が起きてくる。そういう点で、私は今後、漱石という人を、もう少し、日本の国民は大事にしていただきたいと思います。アジアが近代化し、発展し、その果てに少子高齢化や、低成長や、インフレ収縮状態になった時、どう生きたらいいのかということを、アジアにおいて先駆的に考えた人が漱石であり、日本の国民文学としての財産であるからです。たくさんの人は漱石という人を知っています。しかし、あまり読んでいらっしゃいません。「吾輩は猫である」は大長編ですから、最後まできっちりと読んだ人はそういないのではないかとも思います。漱石はやはり私は、1000円札ではなく1万円札になった方がいいと思います。もうそろそろ、福沢諭吉さんに退場していただいて、世界の小説家の漱石にしていただきたい。「名城大学きずな物語」という本をいただきました。私たちの社会は、これだけ発展し、これだけ豊かになりながら、何で孤独なんだ。孤独死が毎年、何万人もいると言われる。そして、私たちの社会が、どうやら、「きずな」というものがきしんでいる時代に、3月11日が起きました。漱石はもう100年前に、私たちは自由である、私たちは自分で何でも決めていく、こんなに便利な社会はない、しかし、何でこんなに孤独なんだろうということを、作品の登場人物に語らせているわけですね。これは、非常に重たい言葉です。100年前。日本の社会はイギリスを目指していくのか。それは本当に幸せな社会だろうか。上滑りに滑っていかなければいけない。でも、これ以外に選択はない、という風にも漱石は理解していました。無宗教と無神論は違う私が学生諸君にいつも冒頭、「皆さんは、無宗教でしょう」「皆さんは無党派21