名城大学通信 45 [2013 spring]

名城大学通信 45 [2013 spring] page 9/40

電子ブックを開く

このページは 名城大学通信 45 [2013 spring] の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
名城大学通信 45 [2013 spring]

巨大船も2年目の越年気仙沼港から約800m地点の気仙沼市内に打ち上げられたままの巨大船。津波で壊滅状態の周囲は建物の基礎部分だけが残ったままです。てしまうからです。境界は所有か復興は見えてきません。の境界が全くわからなくなっワーもまだまだ足らず、なかなね。これは、基礎を壊すと土地は土木技師が必要ですがマンパたままなのかと思うでしょうには建築技師が、道路を直すにで基礎コンクリートだけが残っは山積しています。建物を作る上の建物はなくなったのに何興を目指してきましたが、課題よそから来た人から見たら、ための1年から立ち上がり、復りそうですね。困難です。気仙沼市では生きる復興にはまだまだ時間がかか2012年度内の基礎撤去はクリートが広がっていました。不足しており、現状ではまで、周囲には建物の基礎コン象件数に対して、施工業者がに巨大船が打ち上げられたま必要です。さらに、基礎撤去対行き来する県道から山沿い側ない問題が多く、相当な時間が――気仙沼市ではダンプカーが者自身が解決しなければなら基礎コンクリート巨大船の周囲に広がる5回目の大島気仙沼港からフェリーで大島の浦の浜に到着した学生たち。ボランティア活動に必要な装備品なども手際よく船から降ろされました。たくさんある被災地の中かただきたいと思います。ちへのメッセージをお願いします。訪れ、その変わりようを見てい活動を続けてきました。学生たでも構いません。ぜひ気仙沼を島の復興支援でのボランティアと思います。何年後、何十年後――学生たちもこれまで5回、大内の被災状況までは見ていない本当にありがたく思っています。皆さんは大島以外の気仙沼市両面での応援をいただきました。いう時間的制約もあり、大半の友会からも義援金を始め、物心に乗り込まなければならないと来てくれた仲間もいました。校帰りも夕方、名古屋行きのバスた。この夏にはわざわざ激励になど声をかけてもらってきまし気行仙バ沼ス港でに到10時着間。以大上島もにか渡けってて朝、、らい、何か必要なものはないかなると思います。名古屋から夜直後から、励ましをいっぱいもたことは、将来の得難い財産にりつながっています。震災発生ていただき、肌で感じていただいを過ごした仲間たちとはしっかす。被災の状況をしっかりと見上に名な城り大ま学すをが卒、共業にし学て生時30年代以大震災は歴史に残る大震災での気持ちでいっぱいです。東日本からの励ましもありましたか。んでいただいた皆さんには感謝――大学時代の友人の皆さんら気仙沼市大島を選び、足を運心に刻んでほしい歴史に残る大震災母校の仲間やボランティア支援に感謝管弦楽団の演奏再び震災発生時、大島では最大の避難所となり、約600人が寒さに震えながら身を寄せ合った大島小学校体育館で開かれた名城大学管弦楽団の演奏会。2011年12月以来1年ぶりの公演で、約50人が演奏を楽しみました。大島小野球部との再会ボランティア学生たちを引率した学務センターの樋口義博さんは、島内を移動中、大島小学校校庭で練習中の野球部員たちを目にしました。さっそく、7月の野球教室以来4か月ぶりに再会を楽しみました。では考えられなかった体験野球をしてくれたことは、島ぜひ、大島に立ち寄ってください。皆さんが子どもたちと一緒にかぶらりとでも構いません。ていただきました。特に学生のす。学生の皆さん。卒業し、いつでは管弦楽団の演奏会も開いけでも大きな励ましになりまだきましたし、小学校体育館んでいただくなど、触れ合うだの野球教室でも励ましていただき、島の子供たちと一緒に遊ティアだけでなく、小中学生へたです。大島に足を運んでいたさんには、島内での作業ボラン知り感動しました。うれしかっいただいたほか、名城大学の皆た学生の皆さんの熱い思いを子どもたちの学習支援をしてき、大島にボランティアに訪れ教育大学の学生の皆さんに、?」という本を読ませていただ立教大学、早稲田大学、宮城ない?名城大学きずな物語んでいます。大島小学校でも「東日本大震災、私たちは忘れに支えられて復興への道を歩私は名城大学がまとめたさんのボランティアの皆さんの気持ちが広がっています。大島は全国から訪れるたくだっただけに、親たちにも感謝菊田栄四郎さん気仙沼市立大島小学校校長触れ合ってもらうだけでも励みに名城大学生のボランティア支援に感動08