名城大学通信 46 [2013 summer] page 28/44

名城大学通信 46 [2013 summer]

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名城大学通信 46 [2013 summer]

中華交通学院から名城大学に引き継がれた駒方キャンパス(1954年卒業生のアルバムから)経済科を卒業し政治経済学部と大学院にのパイオニアとして早稲田大学専門部政治者です。呉主恵は日本への台湾出身留学生文化に大きな影響を与えた日清食品の創業ドル)などを次々と世に送り出し、世界の食ラーメン)や世界初のカップめん(カップヌー安藤百福は世界初の即席めん(チキン業料は取らないという点でした。般の学校と違うのは全寮制で食事がつき、授人によって1947年4月に開校しました。一7?1994)の2人の台湾生まれの中国910?中(20当0時7の)、姓学は院呉長。後のに呉日主本恵へ(帰190化。1華交通学院は理事長の安藤百福理事長と学院長物語晩年の安藤百福氏中華交通学院の田中壽一氏駒方校舎と(日清食品ホールディングス提供)(1954年卒業生のアルバムから)名城大学物語夢と挫折が交錯したチキンラーメン発明の安藤百福、社会学者呉主恵、そして名城大学仕に近かった」と書いています。数十人が集まった。やっていることは社会奉ようなものである。募集するとたちまち百い金額を支給した。給料ではなく奨学金の「若者たちには、当時として決して少なくなラーメン発明物語』(日本経済新聞社)で、この製塩事業について百福は、自伝『魔法のむ自己流の方法で製塩業を起こしました。を集め、放置されていた鉄板に海水を流し込先から戻り、大阪府泉大津市で、若者たちどを営んでいましたが、終戦で兵庫県の疎開た。百福は戦前、大阪を中心にメリヤス業ならの戻った人たちがあふれていた時代でし街には復員軍人や引き揚げ者、疎開先かに就任します。し、名古屋に単身赴任し中華交通学院院長ました。早稲田大学商学部教授の職を辞進学、大学院では社会学と民族学を専攻し名城大学は名古屋専門学校を母体に、大学昇格(学部増設)を実現するためには、新たな校地と校舎の取得が不可欠でした。本部があった名古屋市中村区新富町の中村キャンパスだけでは、設置基準を満たすことはできなかったからです。創立者である田中壽一理事長が着目したのが昭和区駒方町にあった、名古屋陸軍造兵廠が工員宿舎として使っていた土地建物でした。しかし、すでに校舎として使っている学校がありました。中華交通学院です。新中国の鉄道建設や交通整備を担う人材育成を目指したこの学校と名城大学についても、これまで知られることがなかった物語が秘められていました。(敬称略)広報専門員中村康生4627