名城大学通信 46 [2013 summer] page 31/44

名城大学通信 46 [2013 summer]

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名城大学通信 46 [2013 summer]

Story of Meijo University資料の展示コーナーを見せてもらいました。していた同窓会館内にある卒業生に関する館高校に三宅清二校長を訪ね、事前に依頼込みました。壽一の母校である福岡県立伝習を終えた翌日朝、佐賀駅前からバスに乗り50分で行けることを知り、田中教授への取材佐の出生地、福岡県柳川市へは、バスで賀市から名城大学創立者・田中壽一田中壽一コーナー福岡県立伝習館高校の卒業生資料展示室にあった田中壽一氏のコーナー(福岡県立伝習館高校で。右は三宅校長)りました。きく発展していく節目の日ともなが中部地区最大の総合大学へと大雪が積もったこの日は、名城大学こはの1965時期に年は(め昭ず和らし40年く)、夜12月来17の日。パスに拠点を移すため撤退したのンパスから名城大学が、天白キャン人の夢と挫折が交錯した駒方キャ安藤百福、呉主恵、田中壽一。3発展を遂げていきます。糧に、壽一の夢を引き継ぎ新たなきますが、名城大学はこの試練を巻き込まれ退陣に追い込まれていンパスを主舞台にした学園紛争に交通学院から引き継いだ駒方キャ刻みました。田中壽一もまた、中華著書を残し、日本の社会学に名を『7漢7民年族、の研70歳究で』定など年多をく迎のえ論る文まやで、させます。主恵は東洋大学を19し、「中交総社」を日清食品に発展メン」と「カップヌードル」を発明みがえります。百福は「チキンラーしかし、2人とも苦境をばねによ時は苦境のどん底に落ち込んだ百福と主恵。中華交通学院に理想を追い求め挫折し、一ました。した経歴、『名城大学75年史』が置かれてい39年3月、中学伝習館卒などワープロ打ちに、名城大学創立者・田中壽一の写真、明治記事などが展示されているコーナー。その一角森治樹ら多くの卒業生たちの写真や新聞退)、海軍大将・伊藤整一、外務省事務次官・史を象徴するかのように、詩人北原白秋(中開校以来、来年で190年を迎える長い歴文政7年(1824年)に藩学伝習館としてウェブサイトで「名城大学物語」を連載中開学90周年前に名城大学史の物語を追う名城大学物語検索名城大学は3年後の2016年に迎える開学90周年を前に、ウェブサイトで、連載企画「名城大学物語~遠い記憶を追って~」を4月からスタートさせました。1926年創立の名古屋高等理工科講習所、戦後の1947年開校の名古屋専門学校、そして1949年の名城大学開学。連載は2013年3月に開催された「スペシャルホームカミングデイ」参加者の皆さんの記憶を追いながら展開しています。連載をご覧になってお気づきになった点、名城大学史に残しておきたい資料、写真がありましたらぜひ渉外部広報課までお知らせください。名城大学物語~遠い記憶を追って~第1回高理工時代と学徒動員スペシャルホームカミングデイ参加者のうち、名古屋高等理工科学校の卒業生は、名古屋市天白区の伊藤秀男さんただ1人でした。伊藤さんたちは学徒動員による勤労奉仕に明けくれる日々でした。愛知県内だけでも1,000人を超す勤労学徒が青春のつぼみのま散りました。第4回名城大学の誕生と名古屋専門学校の併存名古屋専門学校は最後の旧制専門学校としてその余命が決まっていたにも関わらず、規模拡大路線を走っていました。名専と名城大学が併存した1953年度の「入学試験一覧」が「名城大学75年史」に掲載されていました。募集人員は4,000人を超えます。第2回セピア色のアルバムアルバムに収められた名古屋高等理工科学校のセピア色の木造校舎を拡大してみました。教室の窓ガラスが破損し、すきま風が遠慮なく吹き込んでいたことが容易に想像できます。校舎の前ではキャッチボールをしている学生たちもいます。第5回女子大生の登場名古屋専門学校開校時2年目の1948年度、法政科、商科の文系学科が開設されたことで58人の女子志願者がありました。入学したのは4人。唯一卒業生名簿に名前があった第一部商科卒業の岸田陽子さん(82)を、津市末広町の自宅に訪ねました。第3回名古屋専門学校の誕生早稲田に進学したものの生活難で名古屋に戻った岡本吉和さんは半年後、名古屋鉄道に就職することができました。しかし、「勉強を続けたい。このまではいかん」という思いは募る一方でした。そんな時、名古屋専門学校に夜間でも学べる法政科が開設されたのです。第6回北の大地から新制名城大学への移行に伴い、名専閉校のカウントダウンが始まっていました。北の大地から、広島から、そして全国から。若者たちはそれぞれの夢の実現を目指して名古屋に集まって来ました。30 46