ブックタイトル名城大学通信 47 [2014 Spring]

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概要

名城大学通信 47 [2014 Spring]

14入学した当時は八事6号館が完成したばかりで、キャンパスが活気づいていました。しかし、沖縄に対してはとんでもない思い込みをしているクラスメイトもたくさんいましたね。「沖縄なら英語がペラペラだろうから教えてくれ」とか。こちらはどちらかというとアメリカに反感を持っていて英語は不得意なのに。「沖縄では靴を履くのか」と真顔で聞かれたこともありますよ。スリッパかなんか履いているのだろうと思っていたようです。薬剤師会の仕事が一段落すると薬局店主に(那覇市内の県立那覇高校のそばで開業する「せせらぎ薬局」で奥さんの康江さんと)沖縄県薬剤師会事務局でスタッフと打ち合わせする神村さん学生時代は沖縄空手の同好会で汗クラブは自分で同好会をつくり、沖縄空手をやりました。オール名城生に参加を呼びかけました。音聞山近くのお寺を借りて、20人くらいが集まっていました。半分が沖縄出身でしたが、薬学部は私1人。薬学部は授業が詰まっているので余裕がなかったのでしょう。私は空手も頑張った分、勉強では苦労しました。沖縄県薬剤師会の会員は約1100人。薬剤師の仕事に就いていない会員以外の方もいますが、名城大学卒の薬剤師が160人以上はいるはずです。県薬剤師会の常任理事2人も名城出身。会員の6割は女性ですが、女性も含め名城大パワーはすごいですよ。私も名城大学薬学部を卒業した兄に勧められて入学しましたが、親の影響か長女も名城大学薬学部に入りました。薬剤師仲間では姉妹4人が名城という例もありますし、親子や兄弟、姉妹そろって名城大学薬学部卒は特にめずらしくありません。ただ、経済的には大変ですよね。親にゆとりがあるとか、子供をぜひ薬剤師にしたいという気持ちがなければ難しいですね。私は卒業後、那覇に戻り、県薬剤師会の職員として就職しました。1974年からは「医薬分業」が始まり、大きな病院は処方せんを出すことになり、その受け皿となる調剤センターの仕事にも追われました。しかし、琉球大学医学部附属病院、沖縄赤十字病院といった大きな病院では院内調剤の待ち時間が1時間半近くもかかっているのに、分業実現はなかなか進みませんでした。沖縄の院外処方せん受取率(医薬分業実施率)は現在73%を超し全国的に上位ですが、軌道に乗るまでは、患者さんの立場を考え、病院側との粘り強い話し合いが必要でした。2005年から薬剤師会会長に就任し5期目ですが、最も力を注いだのは会員研修の拠点となる新会館の建設です。医薬分業、ドラッグストアのOTC医薬品(大衆薬)販売、薬のインターネット販売など、薬剤師が日々勉強しなければならない課題は山積しています。5年前に新会館が出来る前は、勉強会や研修を開けるのは早くても夜8時。交通アクセスのいい南風町の現在地に新会館ができたことで沖縄中部、北部からも近くなり、夜7時から始められるようになりました。多い日には3つの勉強会が重なる時があります。医療はどんどん高度化しています。薬剤師がさらにレベルアップする環境を整えなければと思っています。6年制薬学部の卒業生が出てきました。医療の高度化で薬剤師の真価も一段と問われています。ただ、残念なことに、全国の薬剤師会の会長会議などでは最近、進級できず、中退する学生の話が話題になります。そうした中で、名城大学の国家試験合格率100%達成や、全国の薬学部でも高い評価の定着を卒業生として誇りに思っています。私は学生時代、実家が事業に失敗して仕送りが滞り、生活費を稼ぐためにアルバイトで授業を休んだり、いろんなことに挑戦した分、勉強の方では苦労しました。勉強もスポーツも遊びもみんな大切だと思います。全力投球して天命を待つ、なせばなるということを沖縄では「なんくるないさ」と言います。私はこの精神を励みにしてきました。後輩の皆さんもぜひ、「なんくるないさ」の精神で頑張ってほしいと思います。(聞き手・中村康生)名城大学薬学部卒の4人姉妹もいます新薬剤師会館が研修の拠点に母校の薬剤師国家試験合格率100%は誇りですはえばる