ブックタイトル名城大学通信 47 [2014 Spring]

ページ
27/44

このページは 名城大学通信 47 [2014 Spring] の電子ブックに掲載されている27ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

名城大学通信 47 [2014 Spring]

26「国民新聞」に掲載された田中壽一の在外研究員報告(神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫より)田中壽一(1954年卒業アルバムから)告」として、「東北帝大助教授理学士田中壽一」の肩書で掲載されました。大衆紙ならではのセンセーショナルな見出しとともに連載が続きました。第1回の見出しは「金は独逸にうなってゐる」。記事の全文です。独逸の国情については、すでに7、8月頃(昨年)に、物価下落せず、必ず騰貴を来すべきことを詳説し、かつマーク(マルク)の下落は独逸の故意に出づるもので、商工業家の莫大なる利益を収めつつあるを説きました。かの鉱山王スチンネス氏の如きは、米国「金は独逸にうなってゐる」不足分は紙幣の印刷機械が引き受けた田中流の視点ロックフェラー氏等を凌いで、実に世界第一の富豪であると称せられており、伊国の一小島においては、正に帝国の如き権威を有し、地中海諸島に独逸船舶を見ること、戦前にもなき盛況である。それは彼等商工業者は決して、紙幣マークで取引をやったのではない。日本人がレンズ、ピアノ、電気機械器具、機械類等、何を取引するにも、決して戦前より安くなき金貨マーク、即ち外国紙幣で商ったのである。而して、工賃は紙幣マークの下落の差を利用して、非常に安くなるのである。特に国家大商業、工業家(特にスチンネスその他ラインランド地方の工業家及び各連邦サクセン、バイエルン等の如き)各都市は、そのノードゲルト(応急紙幣)を発行し、多く発行したものだけ多くの利益を得ている。例えば、スチンネスがこの紙幣を本日1000万磅(ポンド)発行するとせよ。10月、11月頃の如く、田中のドイツ報告には田中流の視点での分析が随所に見られます。「労働者達だって毎日、肉もパンも豊富。日本人の多くは芝居見物に行くのは命の洗濯と考えている。吾人にしても1年1回以上、芝居に行くという事は事情が許さない。経済が伴わない。否、学生時代の借金を返すすら至難だ。然るに彼等はカフェーに酔い、劇場に享楽することは、茶を呑み、飯を喰う事と余り変わりない。之をなさぬものは到底人間以下であって、普通でないと考えている」(第2回報告)「総理は単に理学及び哲学に於いてのみ之を得る。即ち神の状態の考察で、倫理学者は此の哲理を応用して、人間の不完全を幾分訂正する事に努め、社会学者は更に卑近の社会に実行さるべき部分を考えたがよかろうと思う。人民をオダテ上げて、理想生活を説き、不可能の事を断行せんとする彼等は百害あって一利なしと考え得られる。とにかく独逸政府は、暴力、否、適□(印字が薄く判読できず)なる政策で成功してマークを抑えた」(第3回報告)「経済原理などは人間の心情行為の結果に過ぎない。それを忘れた学者は理論に反するなどと言って驚いているだろうが、独逸では此の暴力が成功しているのである。故に結局、経済学など云うものは人情学である。その人情は古今東西を通じて変化しない」(第4回報告から)「世間では独逸にはまた、過去のような変動が起きるなど信じている人があり、独人中にもまたそう思っている者が多いが、私は今迄、新聞で材料を集め、之が事実に照らしてみているが、独逸は之で全く落ち着くものと認めます」(第5回報告の文末)毎日マークが2分の1に下がったとすると、10日の後には、即ち1000分の1の値、換言すれば彼は10日以後には唯1万磅を支払えば可であり、1か月もすると零の値になり、彼は支払わずして1000万磅儲かったことになる。独逸政府も日々発行した何千万、又は何億という金を今日では一文も支払わんでもよいのではあるまいか。かかる理由で独逸には金がウナッて居る。見よ、伯林(ベルリン)市内に散策し、ダーレムその他到る所、空前の盛況で、相連続して別荘の建てられて居ることを――。何を考えたのでしょう。(つづく)田中が留学中の1920年代前半のドイツはインフレと試練の連続でした。1921年のロンドン会議でドイツの賠償総額は1320億金マルクと決定されましたが、疲弊しきったドイツの経済状態では、多額な賠償の支払い能力はありませんでした。マルクの貨幣価値は大幅に下落し、第一次大戦後のインフレは、その後破局的なハイパー・インフレーション(超インフレ)の様相を呈し始めました。「1923年4月には正規の歳入は、この飛躍的に上昇した財政需要のわずか7分の1をまかなうに過ぎない状態に陥った。不足分は紙幣の印刷機械が引き受けた」(エバーハート・コルプ著『ワイマール共和国史』)という状態に直面したのです。しかし、こうした中で首相に就任したシュトレーゼマンによって、国内の統合が驚くほど迅速に進みます。外交的孤立が着々と打開され、1923年秋にはインフレーションは終息し、通貨は安定していきます。