ブックタイトル名城大学通信 49 [2015 Spring]

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名城大学通信 49 [2015 Spring]

29名城大学物語「名城大学に入ってよかったと思います。総合大学だったのでいろんな人に出会えた」と語ってくれました。八事裏山フォークオーケストラが結成された1972年から4年間学長を務めた川上幸治郎学長は「入学案内」の冊子で受験生たちにメッセージを送っています。ゴチックで強調したのが「自由の学府」「文科系、理科系両面にわたる総合大学」でした。本学の大きな特徴は校歌にある自由の学府である。この自由とは文化社会の常識にかない、自分もまた正しいと思うことを決断し、責任を持って行動することである。本学は文科系、理科系両面にわたる総合大学であり、全国から集まる学生が、専門のほかに、広汎な修業ができるという勉学条件を備えているばかりでなく、これが卒業後の活動に貢献する効果は計り知れないものがある。本学は過去において、幾多の困難に遭遇したが、不死鳥のように立ち上がったことでも明らかなように、教員、学生、卒業生がよく融和し、相ともに発展に全力を尽くしている希望にあふれる大学である――。「理工学部軽音楽部ジャズ学科卒業」の誇り深津さんは、名古屋の民放ラジオ局で深夜放送のDJなど音楽関係の仕事に関わりながらイベント業界での仕事を続けてきました。「谷村新司さんらのアリスなんか見ていると、最初は売れなくても、続けていくうちに、結局は世間が求めているものと一致した作品をうまく生み出していった。そういう運もあると思います」。深津さんはミュージシャンとしての限界を知った青春時代を振り返ります。名古屋市東区の勤務先近くの喫茶店で深津さんは、笑顔で語りました。「卒業はしなかったが、名城大学あっての自分です。まさに自由の学府でした。仕事で出身大学を聞かれた時は、名城大学理工学部交通機械学科入学、軽音楽部ジャズ学科卒業と答えています」。名古屋市千種区今池でライブ演奏もできるダイニングバーを開きながら、演奏活動を続け、ミュージシャンを志す若者たちの相談にも乗っている谷口さんも、大学には戻りませんでした。「コンサートではファンが喜び、プレゼントもくれ、有頂天になった。大学での測量実習に戻る気はまったくなかった。しかし、夢を見たのは一瞬でした。あっという間に、僕らの前座で演奏していたアリスや海援隊が有名になっていった。親父からは、音楽に夢中になるのは1年だけだぞと釘をさされましたが、1年はあっという間に過ぎてしまった」。久し振りに名城大学時代を語った谷口さんもまた、天白キャンパスの誕生と学生数が激増した1960年代後半夢追い続け青春を燃焼させた「八事裏山フォーク」の時代「入学案内」の学長メッセージは「自由の学府」深津さんと谷口さんが作詞、作曲した「予期せぬ雨」のレコードジャケット。撮影は国鉄(現在のJR)名古屋駅で早朝に行われました。左端でギターを手にしているのが深津さん、右端のオレンジ色セーターが谷口さんです