ブックタイトル名城大学通信 49 [2015 Spring]

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名城大学通信 49 [2015 Spring]

「名城大学物語」はウェブサイトでご覧になれます名城大学物語第3部●風雪の10年第7回第8回第9回第10回駒方講堂炎上伊勢湾台風伊勢湾台風と附属高校国会へ新制大学として開学10年が過ぎた名城大学は1959年9月、大きな試練に立ち向うことになりました。大型台風14号の接近で、風速10mを超す強風が吹き荒れていた9月17日の駒方講堂の全焼です。1959年9月26日に和歌山県潮岬に上陸した伊勢湾台風は、愛知県を中心に大きな被害を出しました。駒方講堂の全焼に続く伊勢湾台風の直撃は名城大学にも大きな被害をもたらしました。伊勢湾台風後、三重県から通学する附属高校の生徒たちは通学の足を奪われました。1958年に完成したばかりの鉄筋4階建て校舎「1号館」の4階3教室が臨時寮にあてられました。学生たちが伊勢湾台風被災者の救援活動に追われている中、紛争解決の糸口が見えない名城大学では教授会、教職員組合、学生会を中心に、国会や文部省に窮状を訴えるための陳情を行う準備が活発化していました。第11回創設者の死を超えて第12回天白の地へ第4部●時代を駆ける第1回音速への挑戦名城大学紛争が全国的にも注目を集める事件に発展して行く中、渦中にあった創設者の田中壽一氏が亡くなったのは1960年11月11日。各メディアがその訃報を伝える中、「毎日新聞」(11月12日)は創設者の寂しい晩年の様子も伝えました。1965年12月17日、名古屋市内は20年ぶりに20cmの積雪を記録する大雪となりました。名古屋の街並みが予期せぬ銀世界に変わったこの日、名城大学では駒方キャンパスから天白キャンパスへの引っ越しが行われました。新聞、テレビ、少年雑誌などで次々に紹介された小澤久之亟教授が推進する「音速滑走体」の実験。「小澤教授のもとで音速滑走体について学びたい」。名城大学の交通機械学科をめざして入学してくる学生たちが相次ぎました。第2回第3回第4回第5回「快足飛燕」と呼ばれた学生部長神宮に響いた名城学歌「法学士」の誇り「可児名城新聞」輝く名城大学には、戦後初の国産旅客機YS-11の開発に参加した土井武夫氏も教授に迎えられました。小澤教授は重爆撃機「飛龍」の設計者ですが、土井教授も「飛燕」など多くの戦闘機の設計者でした。名城大学硬式野球部が22年ぶりに愛知大学野球リーグで2度目の優勝を飾り、神宮球場での第6回全日本大学野球選手権大会に出場したのは1975年秋。1979年秋には、3回目の優勝を果たし、第10回明治神宮大会では決勝戦まで勝ち進みました。那覇市で行政書士、社会保険労務士などの事務所を開いている福里栄記さん(1964年法商学部法学科卒)から、『人生足跡』という回顧録を送っていただきました。回顧録で紹介された名刺で使い続けている「法学士」の肩書は福里さんの誇りでした。名城大学6番目の学部として都市情報学部が岐阜県可児市の可児キャンパスに誕生したのは1995年4月。この年1月17日には阪神・淡路大震災が発生していますが、2015年で20年の歳月が流れました。30