ブックタイトル名城大学通信 50 [2015 Summer]
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名城大学通信 50 [2015 Summer]
166月6日、名城大学で開催されたがんピアサポートの講演会にて。大勢の聴衆を前に、がんピアサポーターのチカラ、薬剤師のチカラについて話す久田さん。人生を変えた1本の血液検査MRとして静岡で大成功をおさめた後は、いよいよ首都圏進出です。転勤を命ぜられ、かかりつけ医を変えなければいけなくなったため、念のためにと血液検査を受けました。その医師から告げられた言葉が「白血球が28000まで増加している。すぐに血液内科を受診してください」だったのです。白血球の数が通常の3倍以上あったものの、体調に変化はなく、にわかには信じがたい話でした。しかし、極めて真剣な医師の表情を見て、頭の中が真っ白になりました。その後受診した血液内科で骨髄穿刺などの精密検査を経て、告知された病名は「慢性骨髄性白血病」。ここから本格的な落ち込みがはじまりました。「なぜ私が選ばれなければいけないのか」「一体私が何をしたのか」。心の中は怒りや悲しみ、悔しさでいっぱいになりました。同時に、薬学部に入るとき、卒業研究に取り組んだとき、国家試験を受けたとき、会社の中で出世争いに勝つために必死で頑張ったときなどが走馬灯のように頭の中を駆け巡り、「何のために努力してきたのか」「何のために生まれてきたのか」という答えの出ない苦しみを抱えることになったのです。治療と、新しい夢への挑戦絶望の中で最初に取り組んだのが、治療法の選択でした。私自身が薬剤師であるため、自分で文献を調べ、医師とディスカッションをし、決定した治療法は、骨髄移植でも化学療法でもなく、インターフェロンを毎日自分で注射すること。7カ月間これを続け、その後抗がん剤の内服薬に切り替えました。このため、病気が分かってから入院したのはわずか2週間。退院後、1週間の自宅療養を経て、仕事にも復帰しました。発病して、MRから研修部門に移動が決まり、仕事へのモチベーションを完全に失いました。この時期、頭の中にあったのは、治療費を稼ぐことと、家族の生活を守ることだけ。人生も仕事もまるで消化試合のように感じていたのです。しかし、新入社員研修に関わったときに、そこで出会った6人の新入社員の中に自分が生きていた証を残したいと考えている自分に気付きました。その瞬間、心の中に新しい希望の火が灯り、再び積極的に生きる毎日が始まりました。新しい夢は、多くの人に望まれる研修をすることと研修を受けた新入社員が将来活躍すること。この夢が生きがいとなり、病魔に打ち勝って生きる力にもつながったのです。さらにがん患者の支援活動にも参画生きる力を得た後は、プレゼンテーションをはじめ、カウンセリングやコーチング、ファシリテーションなどのスキルを磨くために猛烈に勉強しました。こうした努力が認められ、社員研修に加えて、多くの医療機関からさまざまな講演依頼が舞い込むようになりました。一方、プライベートでも、がんピアサポーターなどの患者支援活動に参画。がんサバイバーに対し、病に負けない生き方を訴えています。がんになったことで人生がより豊かに幸せにがんは、人に衝撃を与える病気です。しかし、体の中に少し間違った細胞ができただけで、実は何も変わっていないのだと思います。病という呪縛をかけるのは自分自身。この呪縛を自ら解き放つことでサバイバーライフは大きく変化します。私も宣告をくだされたときは、社会のお荷物になったと考えていましたが、不安感を取り除いて積極的に活動することで、豊かな人生を手に入れることができました。また、がんになったおかげで、新しい夢が見つかり、以前とは違うスキルを身に付けることもできました。家族の大切さに気付き、今のほうが幸せだと思えるようにもなったのも、闘病を始めた後のことでした。人生の価値は、長さではなく充実度によって高められるもの。10年を目標に精一杯生き、その10年を超えることができたからこそ、これからはお返しの人生だと考え、全ての活動に力を入れていきたいと思っています。