ブックタイトル名城大学通信 50 [2015 Summer]
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名城大学通信 50 [2015 Summer]
20学生の皆さん。外国語を身に付けて、海外をめざしてください。海外進出のパイオニア的存在ですね。入社後は製造の現場に配属になり、大学卒業後は生産技術に20年携わりました。次は営業を25年。生産技術時代にお客さまとのつながりができていたため、それを生かすという狙いがあったのだと思います。生産技術を担当していた時代に、タイのサイアムオートパーツ社から、バネの生産設備をつくってほしいという依頼があり、これを担当しました。現地の人間を日本に呼んで指導し、自身もタイに出向いて機械の据え付けから生産に至るまでを監督しました。私にとって初めての海外業務でしたが、これによって海外に対する目が開き、日本国内だけに目を向けていてはいけないという考え方が生まれました。何しろ海外の拠点もない時代でしたから、モデルとなるケースも出張規定もない。手探りで業務を進めながら、自分の人生が変わる大きな経験になるという手応えを感じていました。社長就任後は、組織を強くするという目標に取り組んでいます。人事を活性化し、若い人たちが安心して働ける会社をつくりあげて次の世代に引き継いでいきたいと考え、まだまだ挑戦を続けています。学生たちへのエールをお願いします。まず英語を身に付けること。これに尽きます。名城大学にも外国語学部が誕生しますが、グローバル化が加速する時代の中で生き抜くためには、英語力が必須です。特に理工学部出身でものづくりに携わる卒業生は、今後、海外で働く機会が必ず増えます。学生時代から海外をめざすという志を持って英語を勉強してください。皆さんの頑張りに期待しています。大阪に転勤になったことで、転機が訪れたんですね。生まれも育ちも名古屋、大学も名城で外に出たことのなかった私が、初めて名古屋以外の土地に転勤になり、大阪で5年を過ごしました。転勤して最初に感じたのが、土地が変わると人も変わるし、商売のやり方も違うということでした。当時はカーリースを担当していたため、営業の基本は飛び込み。名鉄というブランドを背負って営業をする名古屋とは違い、大阪は自身の力が試される土地だということを痛感しました。それまで、与えられた仕事には責任を持って取り組んでいましたが、指示通りにやるだけでは何の進歩もないこと、指示以上のことをやらないと成長できないことも分かりました。仕事を成功させるためには、勘とイマジネーションが必要です。上司の指示を聞いたら、勘を働かせて指示以上のことに取り組み、成功イメージを描いて仕事を進める。常にそれを心がけるだけで、自身の成長が加速していくのを感じました。現在、名古屋駅前の再開発が進んでおり、再開発において駐車場の需要も近い将来発生すると予想されます。名古屋駅前再開発において駐車場事業にもたずさわれればと考えています。学生たちへのエールをお願いします。私自身も大阪に転勤になって、外の世界に触れたことで考え方が変わりました。名城大学を卒業すると、中部地区の企業に就職するケースが多いのですが、学生の皆さんには、できるだけ外に出て広い世界を経験してほしいと思います。これだけの人数の卒業生が、名古屋に埋もれてしまうのはもったいないですからね。