特設サイト第12回 大島で交わる絆


  • 早口小学校で行われた大島小学校への義援金とメッセージの送付式(11月29日)

【秋田で】ジャガイモを収穫して復興支援

秋田県北部にある大舘市は忠犬ハチ公(秋田犬)の故郷としても知られています。同市立早口小学校で11月29日、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の大島小学校に、7万円の義援金と、児童たちのメッセージを贈る送付式が行われました。早口小では名城大学卒業生でもある伊藤博忠校長(1978年法学部卒)の提唱で、5月から、校舎近くに農地を借りてサツマイモとジャガイモを栽培してきました。農地は「復興支援農園」と名付けられ、収穫した作物を学校祭やJA感謝祭などで販売し、売上金を義援金として被災地に贈ろうという狙いでした。

伊藤校長は送付式で、全校児童130人を前に、「義援金には皆さんの汗がしみ込んでいます。皆さんが書いたメッセージとともに、大島小に届けます」とあいさつ。続いて各学年代表が1人ずつ、「僕たちの育てたジャガイモの売上金で勉強道具を買って下さい」などとメッセージを読み上げました。

伊藤校長は義援金とメッセージを、大島小に届けてもらう役割を、同じ名城大学卒業生で、気仙沼市役所建設部課長の広瀬宜則さん(1981年理工学部卒)に頼んでいました。

復興支援農園では9月、ジャガイモ、サツマイモ計1トン近くを収穫。そのうち約370キロが、すでに宮城県女川町の小中学校に、「給食のカレーライスなどに使って食べて下さい」というメッセージとともに送られていました。

大島、女川へ絆が紡ぐ縁

義援金の送り先が大島小学校に決まったのは、伊藤校長も驚いた絆の重なりがあったからでした。早口小と大島小に学生時代から友人同士の女性教員がおり、震災後、早口小から、大島小の児童たちを激励しようとアサガオの栽培セットが贈られていました。そして、伊藤校長は母校のホームページで連載中の「名城大学きずな物語」を読んで驚きました。気仙沼市役所に勤務する広瀬さんが自分と同じ名城大学卒業生で、気仙沼市本土から大島への架橋計画の担当者だったのです。しかも、これが縁で、名城大学の学生たちが大島の復興を支援するボランティア活動に取り組んでいたのです。

伊藤校長は「顔と顔が向き合える支援がしたい」と考えていたこともあり、義援金の送り先は大島小に決まりました。そして、12月1日、伊藤校長からの依頼を受けた広瀬さんによって、義援金とメッセージは大島小学校の菊田栄四郎校長に届けられました。

一方、女川町は、宮城県でも津波被害が大きかった町ですが、ここにも絆の交差がありました。伊藤校長は、やはり「名城大学きずな物語」を読んで、女川町教育長の遠藤定治さんが名城大学卒業生(1964年法商学部卒)で、災害対策本部副本部長として町の復興の指揮をとっていることを知りました。そこに、4月に同町の子供たちを励まそうと文房具を送ったことのある早口小卒業生の男性が、今度は自作の米1トンを同町に届けることを計画。早口小の復興支援農園での収穫の成果を知り、「自分が米を届けるトラックで一緒にジャガイモとサツマイモを女川町に送りませんか。その代り、女川町の受け入れ窓口を探して下さい」と持ちかけてきたのです。

母校ホームページが広げた絆

  • 「今回ほど名城大学の先輩や後輩の存在をありがたく感じたことはありません」と語る早口小学校の伊藤校長(12月2日、校長室で)

伊藤校長は遠藤さんに電話を入れました。「本校の子供たちが、収穫したジャガイモを給食のカレーに使ってほしいと言っています」。伊藤校長の説明に遠藤さんは、「わかりました。ありがとうございます。涙が出るほどうれしく思います。届いたら子供たちに、感謝の気持ちを込めた歓迎の式もさせましょう」と言ってくれました。伊藤校長にとっては教員としても大先輩にもあたる遠藤さんは、復興の先頭に立っているだけに、想像していた以上に頼もしい存在に映りました。

「卒業して以来、今回ほど名城大学の先輩や後輩の存在をありがたく感じたことはありませんでした。これも『名城大学きずな物語』をホームページに載せていただいたおかげです。あの企画がなければこれだけの絆の広がりはなかったでしょう」。情報が届きにくかった秋田の地から結ばれた母校との絆。伊藤校長の目がうるんでいました。

待ちわびた学歌斉唱

  • 設立14年目を迎えた秋田名城会(2011年6月25日)

東北地方には6県で506人の名城大学卒業生を束ねる校友会東北支部があります。そしてその下部組織として、青森県を除く5県(秋田、岩手、山形、宮城、福島)に置かれているのが、それぞれ県の名前がついた「名城会」です。秋田名城会(能上睦男会長、会員87人)は、1998年10月に設立総会を開きました。出席した伊藤校長によると、50人近い参加者があり、初代会長を務めた佐藤猛さん(1963年農学部卒、元秋田県職員)が「共に学歌を歌えるこの日を待ちわびていました」とあいさつ。初めて顔を合わせた人も多いなか、高らかに学歌(聴いてみる)が斉唱されました。

「朝日に匂う鈴鹿嶺 希望に燃ゆる若人が 学理の泉汲むところ 次代を築く栄えになう 名城・名城自由の学府 おお名城」。ラジカセから流れるカセットテープの学歌に、会場からは「ああ、これだこれだ」の声が上がり、いつの間にか大合唱になっていました。「まさに万感の思いでした」と佐藤さんも振り返ります。

今年の「杜の都駅伝」は10月23日に開催されましたが、秋田名城会からの応援には事務局長の相沢純さん(1970年理工学部建築学科卒)が代表としてただ一人加わりました。相沢さんは「大震災で開催が危ぶまれていただけに、仙台の街を走ることができた女子駅伝部の選手たちをぜひ応援したかった。頑張っている姿に感動しました」と話しています。

名城方式でチャリティーランを

早口小の校長室。窓の外はすでに真っ暗でした。大舘駅前まで送っていただいた車の中で、伊藤校長は、秋田名城会設立総会で学歌を歌った時の感激、学生時代の思い出、そして能代市陸上競技協会の会長も務めていることでの来年の夢を語ってくれました。「ホームページで名城大学のチャリティーランのことも知り、素晴らしいと思いました。ぜひ来年10月、名城方式のチャリティーランを開催し、小中学生たちを走らせたい」。

【大島で】避難所だった体育館に管弦楽の調べ

  • 雨の中、ツバキの苗の植樹が予定されている斜面で雑木の伐採などに取り組む学生たち(12月3日、午前10時ごろ)

秋田県の早口小学校からの義援金が届いた宮城県気仙沼市の大島小学校で12月3日、名城大学管弦楽団の演奏会が開かれました。大島にはこの日から、名城大学の学生たち30人が3回目のボランティア活動に乗り込んでおり、管弦楽団も「演奏を通じて大島の人たちを激励できれば」と34人が前夜に名古屋をバスで出発し大島入りしていました。

この日の大島は、急速に発達した低気圧の通過や冬型気圧配置が強まった影響で大荒れの天気となりました。冷たい雨、強い風。観客の入りが心配されました。ボランティア活動の学生たちは、ツバキの苗を植樹するための雑木の伐採作業を午前中で切り上げ、午後からは体育館での演奏会場設営を前に、雨の中を手分けして仮設住宅に足を運びました。「名城大学管弦楽団演奏会」への呼び込みをするためです。

午後3時。いよいよ開演です。100席を超す客席が用意されましたが、空席もかなりあります。管弦楽団が期待していた元気な子供たちの姿は残念ながらあまり見当たりません。体育館にやさしく調べが流れ始めました。まずは弦楽四重奏です。ハイドンの弦楽四重奏曲「ひばり」、「人生のメリーゴーランド」。続いての金管楽器演奏は「アンパンマンのマーチ」です。軽快なテンポに、客席では足でリズムを取る女性もいます。


  • 演奏する名城大学管弦楽団。ラストナンバー「見上げてごらん夜の星を」ではアンコールも求められました。

アンコールの拍手と涙

  • 演奏に聴き入る大島の人たち。目頭を押さえる人もいました。

いよいよ全員がステージに勢ぞろいしての演奏です。観客席の空席もかなり埋まってきましたが、なお30席近い空席があります。ブラームスの交響曲第1番第4楽章、ハチャトリアンの組曲「仮面舞踏会」の「ワルツ」。フィギュアスケートでは浅田真央選手の使用曲としておなじみの曲です。「川の流れのように」、ディズニーメドレー。1時間の演奏時間はあっと言う間に終盤を迎えました。ラストナンバーの「見上げてごらん夜の星を」が演奏されると、つらかった日々を思い浮かべてか、ハンカチを目に当てる女性たちが目立ちました。このまま席を立つのを惜しむかのように、アンコールの拍手が鳴り響きました。

大島は3月11日、東西から津波に襲われました。中央部は海水で覆われ、北部は石油タンクからからの油が漏れて1週間燃え続けました。25人が亡くなり今なお6人が行方不明です。1500人が避難所生活を送り、島内最大の避難所となった大島小学校の体育館でも一時は600人もの島民たちが、寒さに震え、毛布にくるまり、身を寄せ合いました。

犠牲者数に重なる空席数

「少し空席があったけど、あそこには亡くなった方々がみんな来ていたの。私にはわかる。本当は満席だったのよ。ありがとう。きょうは泣いた」

アンコールに応えた2回目の「見上げてごらん夜の星を」の演奏が終わると、後の方の席にいた小山由紀子さん(61)が、久し振りに会場で再会した、大阪から訪れていたボランティアの学生たちに話しかけていました。小山さんの家も流されましたが、幸い、家族はみんな無事でした。家の清掃や修理を助けてもらったのが大阪大学生を中心とするボランティア学生たちでした。

「亡くなった人たちも会場に来てくれていたはず」という小山さんの言葉に、会場管理のため訪れていた大島公民館の菊田由美さん(49)は「亡くなった方々を思い続ける島民の皆さんの気持ちを代弁してくれたのだと思いますよ」と話してくれました。そう言えば、大島での死者・不明者31人と演奏会場の空席数は微妙に重なります。小山さんは、そのことに気付いて目頭を押さえていたに違いありません。菊田さんも、あの日以来、島民同士の絆がより強まったことを教えてくれようとしたのでしょう。

届いたメール

午後4時まで続いた演奏会。来場者たちの大半が、さらに強くなった雨と風の中を近くの大島中学校校庭に建てられた仮設住宅に引き上げて行きました。2時間後、名城大学広報あてに、村上さんという女性から「ありがとうございました」というメールが届きました。

「演奏会に行って来ました。とても素敵な演奏でした。子供と一緒に聞かせて頂きました。オーケストラの生演奏などなかなか聞くチャンスが無いので、癒されました。素晴らしい活動、ご支援を頂き感謝します。大島はとても素敵な所です。海の景色が素晴らしいんです。今日はあいにくの天気でしたが・・・。復興したら、美しい大島に又いらして下さい。今日は、本当にありがとうございました」

演奏会を知らせるための作られたチラシには名城大学の連絡先は記載されていません。村上さんはどうしてアドレスを調べ、感謝のメールをくれたのでしょう。村上さんにお礼を兼ねて返信メールを出して尋ねてみました。

返事が届きました。「大島の村上です。先日のコンサートはとても素敵でした。残念なことに、悪天候のためにお客さんが少なくて。せっかく開いて下さったのに。大島で色々支援するのには、大変な苦労とコストがかかる事と思います。島に住んでいる私には良く分かります。なので、感謝の言葉をどうしても伝えたくて、携帯で検索して見つけました。そしたら、学生さんが何度も大島で支援活動して下さっていた事を知りました。本当に感謝いたします。私達は、沢山の方々に支えられていることを幸せに思います。今後も、よろしくお願いいたします」。観客席の中で、男の子と一緒だった村上さんと思われる女性がすぐに思い浮かびました。

卒業生も和太鼓の前座で応援

  • 前座を買って出た卒業生の石原さん(中央)らの和太鼓演奏
  • 大島小学校の菊田校長にタオルを手渡すボランティア協議会の仲谷さん

体育館には校友会東北支部の卒業生たちも駆けつけていました。仙台市からは支部長の野神修さん(1962年理工学部土木卒)、石原修治さん(1972年理工学部建築卒)、気仙沼市の堀籠正生さん(1964年理工学部建築卒)。いずれも奥さんたちと一緒でした。演奏会に先立ち、野神さんは「学生の皆さんの演奏の前に前座を用意しましたのでお聞きください」とあいさつ。石原さん夫妻らによる力強い和太鼓演奏が披露されました。演奏を終えた石原さんは名古屋市緑区の出身。40年近く前に卒業した母校の管弦楽団の演奏に耳を傾けながら「うちの大学にもこんな立派なオーケストラができていたんだ」と感慨深げでした。

この日、大島小学校と名城大学との間にもう一つ絆が生まれていました。学生たちが「3万枚の奇跡作戦」で集めたタオル200枚を贈ったのです。演奏会終了後、ボランティア協議会の仲谷明都さん(法学部3年)は「いろんな方々に協力していただいて集めたタオルですので、ぜひ役立てて下さい」と菊田校長に手渡しました。

※早口小学校の伊藤校長は「育て達人」でも紹介してす。
※名城大学管弦楽団の演奏での中継画像がインターネットに一部アップされています。
視聴してみる (外部サイトにつながります)】

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

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