特設サイト第9回 杜の都へ


  • 「杜の都」へ大詰めの練習に励む女子駅伝部(10月13日午後6時、第2グラウンドで)

第29回全日本大学女子駅伝対校選手権大会(杜の都駅伝)が10月23日、仙台市で開かれます。3月11日午後2時46分に発生した世界最大級のマグニチュード9.0という巨大地震と津波。そして原発事故。あの東日本大震災から7か月余。復興への願いを込めて26チームのランナーたちが杜の都を走ります。母校の選手たちの応援のために仙台に集う名城大学の卒業生や関係者にとっても、今年は特別な杜の都駅伝になりそうです。

たすきと心を繋ぎたい

  • 大会を前に女子駅伝部が作った大会案内

第29回杜の都駅伝を前に名城大学女子駅伝部が作った大会案内には、今大会にかける女子駅伝部員たちの決意、大学関係者や卒業生たちの期待の声が紹介されています。冒頭に紹介されているのが女子駅伝部の2011年度チームスローガン「繋ぐ~つなぐ~」です。

選手たちも「今年は『繋』というテーマで『日本一』という目標に向かって厳しさを持って走ってきました。チーム全員で襷(たすき)と心を繋ぎます。そして、支えてくださった多くの方々へ最高の走りで恩返しできるように頑張ります」(主将で法学部4年、浦川有梨奈さん)、「震災によって仙台も大きな被害を受けましたが、無事に駅伝が開催されるということに感謝し、そして私達の走りで東北の人々に元気を与えられたらなと思います」(法学部4年、須谷綾香さん)、「いつも応援してくださる皆さん、本当にありがとうございます。多くの方々の支えがあるからこそ今年も仙台で駅伝を迎えることができます。仙台を走れることをうれしく思います。この感謝の気持ちを、走りで返せるようにチーム一丸となって全力で戦います」(同、谷水見圭さん)と、仙台を走れることの喜びをかみしめながら、それぞれの熱い思いを語っています。

今年だから仙台で

  • 壮行会に臨んだ女子駅伝部(10月14日、タワー75の学生ホールで)

米田勝朗監督(法学部教授)も今年は特別な思いで大会に臨みます。「あの日、我々は宮崎県串間市にて強化合宿の真最中でした。練習から宿舎にもどり、テレビで見た光景は想像を絶するものでした。あれから7か月。今年もこの地で駅伝を開かせていただくことに対し、心から感謝しています。震災からしばらくたって、『今年は仙台で駅伝ができないかもしれない』と学生たちに話した時、学生たちは『身勝手かもしれないけど、出来ることなら今年こそ仙台で駅伝をやらせていただきたい』と口をそろえて言いました。自分たちの走りを通して、東北の方々に何かを伝えたいと思っているのは、我がチームの学生たちだけではないと思います」。

米田監督はさらに、名城大学にとって初出場となった1999年の第17大会以来、13回目となる今回の大会の意義について、「3位以内を確保すると10年連続3位以内という節目の年になります」と指摘。毎年、学生が入れ替わる中で常にこうした成績を残せてきた一番の要因は「常に頂点を目指すチームであり続けたから」と説明したうえで、「メンバー選考時の10人の平均タイム(5000m)は昨年より29秒も記録が伸びています(16分29秒→16分)。10月23日にはこれまで以上に強い名城大学の駅伝をお見せできるのではないかと確信しています」と、6年ぶり2度目の優勝への手応えを力強く述べています。

卒業生の願いを力走に

校友会東北支部の野神修支部長(72)(1962年、理工学部建設工学科土木分科卒)も「震災被災地卒業生方の願いを力走に!」というメッセージを寄せています。

「3月発生の東日本大震災、大津波被害などにより、東北地方、特に福島、宮城、岩手の3県におられる名城大学卒業生の中には、津波による家屋流出、床上浸水、家屋半壊、福島原発被害などで、仮設住宅や避難所での生活を余儀なくされている方々が多数おられ、名城大学及び校友会関係者の皆様に大変なご支援を賜わりましたことに、被災者に代わり厚く御礼申し上げます。これらの被災の方々も、異口同音に名城大学女子駅伝部の活躍を願っておられたことを申し添えておきます。選手の皆さん!これらのあたたかい応援を力に代えて特段のご奮闘をして下さい」

名古屋~大垣駅伝を走る

野神さんにとっても名城大学在学中(1958年~1962年)、駅伝に対しては忘れがたい体験があります。ラグビー部に所属していましたが、2年生と3年生のとき、陸上部が出場する名古屋~大垣間の駅伝大会に、助っ人として4キロほどの区間に駆り出された経験があるからです。

「ラグビーはプレー中、チームメート同士が励まし合い、助け、助けられながらとなるが、駅伝ではタスキを受けるなり、次の人に引き継がないと成立しなくなる厳しさがある」「何でこんな苦しみをしてまで走らなければならないんだろうと、自問自答しながらたった一人での孤独と戦いながら走ったものである」。野神さんが国鉄清算事業団東北支社長だった1996年当時、地元紙である河北新報に執筆を依頼されて書いた夕刊の連載コラムにつづった一文です。

震災を越えて

3月11日の東日本大震災の発生以降、野神さんは506人(2010年度)の支部会員名簿をもとに、安否確認作業に奔走してきました。尊い命を犠牲にした卒業生はいなかったものの、大会案内に寄せたメッセージでも紹介しているように多くの被災者が出ました。その中には、毎年秋、杜の都駅伝で、母校チームを応援するために仙台に駆けつけてくれている顔なじみの卒業生たちもいます。

杜の都駅伝の号砲まであとわずか。野神さんら校友会東北支部の会員たちは、あの日から7か月余を経た日々に思いを巡らしながら、全国から応援に訪れる卒業生や大学関係たちの受け入れ、応援体制の準備に追われています。

御堂筋になびいた幟旗

名城大学の女子駅伝部が全日本大学女子駅伝対校選手権大会にデビューした1999年11月28日の第17回大会。当時は大阪市での開催でした。大阪長居陸上競技場をスタート、大阪城を周回し、同競技場に戻る6区間39キロのコースです。全国から参加したのは25校。第1回大会から17年連続の筑波大学が2時間11分8秒のタイムで悲願の初優勝を果たしました。国立大学の優勝は大会史上初めてでした。

初出場の名城大学も2時間12分41秒で5位に食い込む大健闘を見せました。米田監督にとって当時は監督就任6年目。3年前ではメンバーの6人がそろわず、全日本の予選となる東海地区選考会にも出られなかったほどでしたから、鮮烈な全国デビューとなりました。

米田監督が監督就任当初から女子駅伝部の応援を続けているのが部長の加鳥裕明理工学部教授と副部長の藤田衆法学部教授(入学センター長)、加鳥教授の奥さんである人間学部事務長の加鳥順子さんです。

女子駅伝部の選手たちが、初めて全国舞台として走った大阪の御堂筋。加鳥教授ら3人と名城大学の教職員約10人は、お金を出し合って作ったえんじ色の名城カラーに「名城大学」のロゴ文字を書き込んだ幟旗(のぼりばた)や、横断幕を広げてコースの沿道に立ち、声援を送りました。幟旗に気付いて自転車で通りかかった男性が、懐かしそうな物を見つけた表情で、うれしそうに声をかけてきました。「私も名城大学の卒業生ですよ」。女子駅伝部の全国舞台登場で、大阪の卒業生たちと母校との絆が深まるきっかけはこうして生まれました。

応援のたすきは大阪から仙台へ

  • 2005年の23回大会で右手を高く掲げてゴールする佐藤麻衣子選手

加鳥教授ら名古屋から乗り込んだ応援隊は幟旗を持って地下鉄で移動。区間ごとの沿道で応援を続けながら長居陸上競技場に入りました。自転車の男性もランナーたちを追いかけては名城大学の幟旗を探し当て、一緒に応援を続けました。名城大学の卒業生たちが沿道に幟旗を立てて応援するスタイルが始まりました。「目印があれば駆け付け、一緒に応援したがっている卒業たちはたくさんいる」。加鳥教授は肌でそう感じたそうです。

間もなく、大阪の卒業生を中心にした女子駅伝の応援体制が定着し、現在、校友会大阪支部長の佐茂英昭さん(1965年理工学部卒)が会長の名城大学女子駅伝後援会が発足しました。

名城大学女子駅伝部が初優勝を飾った2005年の第23回大会は全日本大学女子駅伝対校選手権大会の舞台が大阪から仙台に移った最初の年でした。宮城陸上競技をスタートし、仙台市役所前をゴールとする6区間39キロのコースです。名城大学チームは、4区(10キロ)の2.7キロ付近で、2位につけていた佐藤絵理選手が立命館大の樋口紀子選手を抜いてトップに立つと、続く5区、6区でも粘り強くたすきをつなぎ、佐藤麻衣子選手が右手を高々とあげてゴールしたのです。タイムは2時間8分54秒でした。

歓喜の瞬間を撮りたい

  • 堀籠さんが第27大会で撮影した写真が収録されたCD

理工学部建築学科を1964年に卒業した宮城県気仙市の堀籠正生さん(70)は、校友会東北支部の“代表カメラマン”を自認し、仙台での開催となった杜の都駅伝での母校チームの力走ぶりを撮影し続けてきました。2009年第27回大会の選手たちの走りや表情、応援風景などの写真はCDに収録され、校友会関係者にも配られました。

堀籠さんにとって、悔やまれるのは2005年の名城大学の優勝の瞬間を撮れなかったことです。2区、4区、そしてゴールの3か所を撮影ポイントに定めて車で移動。奥さんに脚立を支えてもらってしてシャッターチャンスを狙おうとしたのですが、佐藤麻衣子選手が右手を挙げてゴールに飛び込む時のシャッターチャンスを逃してしまったのです。

杜の都駅伝の季節のたびにリベンジに燃えてきた堀籠さんも震災を体験しました。家屋は大きな被害から免れましたが、気仙沼市が被った爪痕はあまりにも大きいものでした。好きな風景写真ですが、生々しく、悲惨な光景からカメラをそむけてしまうことも何度もありました。あれから7か月余。また巡ってきた杜の都駅伝の季節。堀籠さんは強い思いで、母校の6年ぶり2度目の優勝ゴールの瞬間のシャッターチャンスを狙っています。ガッツポーズでゴールに駆け込んでくる母校選手の歓喜の瞬間の1枚こそが、被災した名城大学の卒業生たちと母校との絆を深め、復興への大きな勇気を与えるに違いないと思うからです。

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「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

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