特設サイト第17回 微力だが無力ではない

附属高校生たちと震災

  • 名古屋駅前で被災地のペットたちのために募金活動をする4人(2011年6月)

名城大学附属高校の生徒たちもこの1年、東日本大震災復興と向き合ってきました。総合学科3年2組の中島綾美さん、西岡沙耶さん、早川千晴さん、原田佳名子さんの4人が昨年6月、岩手県陸前高田市を研究拠点にしている都市情報学部の柄谷友香准教授あてに出したメールから紹介していきます。

――こんにちは。先日の高大連携講座では貴重なお話をありがとうございました。かわいい象さんも。被災地に行っている方とお話させていただくことは中々ないので、このような機会を持つことができて嬉しいです。今回、被災地の犬猫について調べているうちに知りたいことが出てきたので分かることがあれば教えてください。被災者の方々にこのような質問をするのは少し憚(はばか)れるのですが、陸前高田市でペットを飼っていて被災された方は、今はペットをどうしているのでしょう――

  • 附属高校で「被災地に学ぶ」のテーマで講演する柄谷准教授(2011年6月)

柄谷准教授は6月21日、附属高校で開催されたSSH(スーパーサイエンスハイスクール)事業の一環である高大連携講座で、全校生徒を前に講演しました。テーマは「被災地に学ぶ~復興(自立再建)に向けた現状の課題~」です。柄谷准教授は東日本大震災で、約2万3000人の市民のうちほぼ1割が津波で犠牲になるなど甚大な被害のあった陸前高田市の現状や復興に向けての動きについて語りました。中島さんらのメールの中に出てくる「かわいい象さん」とは、柄谷准教授が支援している仮設住宅の年輩女性が、支援者へのお礼などのために、色とりどりのタオルをゾウの形に縫い、ボタンの目を入れた「ゾウさんタオル」のことです。タオルの一部には、名城大学の学生たちが「3万枚の奇跡」作戦で集めたものも含まれています。4人は、講演を終えた柄谷准教授に駆け寄ってあいさつしたうえで、後日、被災地の動物たちの様子を尋ねるメールを送ったのです。

震災とペット

4人は「人間関係II」という授業で、「動物愛護」の問題に取り組んでいました。クラスは2年生から持ち上がりのため、大震災が起きる前の2年生の終わりの段階で、すでに「動物愛護」をテーマにすることは決めており、名古屋市動物愛護センターを訪れ、飼い主に見捨てられたペットにどれくらいの引き取り手があるかなどについても調べていました。そして3年生になる直前に発生した東日本大震災。被災地で飼い主を捜してさまよう犬や猫たちの姿は、ペット好きの4人にはショックでした。震災で大変な目に遭っているのは人間だけではなかったのです。

4人はネットなどで、被災地のペットたちの様子を調べ、6月初めには、名古屋駅前で、被災地の犬、猫の保護活動やえさ代に使ってもらおうと募金活動もしました。募金活動の許可を得るための名鉄百貨店側との交渉や、募金の呼びかけの際に使う募金の目的を説明するフリップの作成など準備も大変でしたし、慌ただしく行き交う市民に募金を訴えることも4人にとっては大変な勇気がいることでした。しかし、募金を呼び掛けると、予想以上の人たちが足を止めてくれました。「私もペットを飼っているんだよ。頑張ってね」と1000円札を入れてくれる年配の女性もおり、5万円を超すお金が集まりました。

被災地では復興作業が始まり、瓦礫撤去などのボランティア志願の若者たちが続々現地入りしていました。瓦礫の中で、あるいは住民たちが避難してしまった廃墟の町で、飼い主を失った動物たちはどうしているのでしょう。「おばあちゃんの家で飼っているポメラニアンにメロメロなんです」という西岡さんをはじめ、4人には心配でなりませんでした。

返信メール

柄谷准教授からのメールが届きました。

――先日は皆さんと色々お話ができて大変嬉しい時間でした。あの後よりしばらく陸前高田市に滞在しています。災害後のペットは問題になることが多いです。犬猫たちは、飼い主からみれば家族同然ですが、他人から見ればアレルギーや臭いなど気になるものです。避難所は他人同士の団体生活ですので、ペットを部屋に入れることはできません。避難所外で飼う、もしくは廊下などでやむをえずペットと共に生活する、といったパターンが多いようです。また、仮設住宅に移った後は、ペットを飼う世帯は、仮設住宅地区の端に寄せて部屋(ペットエリア)を置いています。散歩などをしていると、飼い主でない人も癒される、コミュニケーションが取りやすいなどの利点もありますが、一方で、飼い主の生活するペットエリアは臭いなどが気になるという声も聞かれます。津波のあと、犬猫たちが驚いて飼い主の手を離れ、逃げて戻ってこない事例もあります。団体名など詳しくはないですが、災害時のペット預かりをする団体もいらっしゃいます。こうしたNPO等の活動も重要ではないでしょうか――

柄谷准教授は、被災地のペットたちの様子を紹介しながら、さらに、瓦礫の中を時間をかけてバスで通学する小中学生たちのストレス、仮設住宅が校庭に設置され、子供たちが思うように運動ができない課題などをていねいに教えてくれました。そして、――被災地の復興はまだまだこれからです。被災地の方々に思いを馳(は)せて、何ができるか、東海地方に何がいかせるのか、共に考えていきましょう。メールをありがとう――と結ばれていました。

舞台は大学キャンパスへ

  • 間もなく名城大学での学生生活をスタートさせる中島さん(左)と西岡さん(3月9日、天白キャンパス共通講義棟北の学生ホールで)

柄谷准教授の講演を聞いた生徒たちからは「被災地に出向いて、直接自分の目で見てみたい」という声も相次ぎました。「空き缶を集めて売って被災地に行く旅費にしよう」と行動を起こした男子生徒たち現れました。中島さんら4人も一時は、被災地を訪ねてみたいという思いを募らせました。ただ、高校生にとっては、費用面、安全面などクリアすべき課題が多すぎました。そして、柄谷准教授からのメールを読み、高校生として、今は何ができるか、じっくり考えることが大切ではないかと思うようになりました。

中島さん、西岡さんの2人は4月から、名城大学経営学部で学生生活をスタートさせます。入学を前に、3月7日から9日まで、大学側が推薦入試合格者を対象に、天白キャンパスで実施した入学前学習プログラム(MECプログラム)に参加しました。午前9時半から午後4時半まで、50分授業が6コマ。大学の授業やゼミで必要となるプレゼンテーション方法やレポート作成などについて学ぶ、密度の濃い3日間でした。間もなく始まる学生生活。中島さんは「名城大学が、震災復興の支援プロジェクトに力を入れてきているのを附属高校から見てきました。被災地に行ける機会があったらぜひ行きたい」と語ります。父親も名城大学理工学部建築学科卒という西岡さんも「費用を工面してぜひ行ってみたいですし、いろんなことを学びたいです」と学生生活への期待を膨らませていました。高校時代に考え、悩み、果たせなかった新たな挑戦が、大学キャンパスを舞台に間もなく始まります。

切り抜き新聞

  • 江口さんが作成した切り抜き新聞「3.11今は......」

普通科1年生(約400人)は「スーパーサイエンスI」の科目で、新聞記事を活用したNIE(Newspaper In Education=教育に新聞を)と呼ばれる授業を取りいれています。新聞の切り抜きを通して、情報をまとめる、読む、書くといった「学びのベーススキル」を身につけよういう狙いです。基本的には科学に関わる題材が中心ですが、生徒たちは学習の成果を生かすため、中日新聞社が主催する「新聞切り抜き作品コンクール」に全員が応募しました。それぞれがテーマを決めて新聞記事を切り抜き、台紙(80センチ×110センチ)に張ってレイアウトやコメントをつける、切り抜き記事を使った「新聞」です。

1月10日が締め切りだった今年度のテーマで多かったのはやはり震災関係で、放射線被害、環境、原発、エネルギー問題、被災地が抱える課題などを扱った「新聞」が目立ちました。中部9県の小中学校、高校生から応募のあった9801点の中から、名城大学附属高校からは、江口珠実さんの「3.11今は......」というテーマの「新聞」が佳作に選ばれました。

「粉ミルクにセシウム 外気乾燥で混入か」「先見えぬ 仮設の冬」「漏水補修 燃料回収 処分場所 廃炉 難題続き」――。江口さんの「新聞」に踊る新聞記事の見出しです。「福島第1原発事故発生からの主な経過」の表に添えられた江口さんのコメントです。

――もうあれから10ヶ月経ったのかと思うと、長かったのか短かったのかよく分らない。きっと被災地の人は長い10ヶ月だったと思う。余震や放射線に悩まされ、住むところもなく、今は寒いところですごす。とてもとても大変だ。政府は、まだ大きな問題点があるなか、急ぎながら解決していこうとしている。問題点があるのに解決するわけがない。じっくり考えながら、解決策を出していけばいいのではないか。今回のことは、簡単に解決できないことは誰でも知っている。だからこそ、納得する説明と正しい案を出してほしい。経験が世界のどこにもないからこそ慎重にやってほしい。表にもあるように解体するのにも40年も後だ。私がもう60歳になる頃にやっと解決する。ものすごく時間がかかるのだと驚いた。それまで、この地震のことを忘れてはいけない。毎日、苦しんだことを後世に伝えていかなければいけない。少しでも早く福島第一が更地になるよう頑張ってほしい――

江口さんの「新聞」は他の入賞作品とともに、3月6日から3月11日まで、名古屋市東区のイオンナゴヤドーム前ショッピングセンターで展示されました。

大切なのは被災地を忘れないこと

  • 東日本大震災から1年を機会に募金活動をする生徒たち(3月9日、附属高校で)
  • 附属高校エントランスに展示された間地君が撮影した仙台市若林区の被災地(2011年5月5日)

東日本大震災から1年を迎える3月9日朝、生徒会と写真部の生徒たち約20人は、登校してきた生徒たちに復興支援に役立ててもらうための募金への協力を呼びかけました。手作りの募金箱を抱えての懸命な訴えでしたが、慌ただしく教室に直行する生徒が多く、午前8時から8時半まで、募金の呼びかけに応えてくれたのは約1900人の全校生徒中わずかでした。それでも、激励の言葉とともに募金に協力してくれる教職員もあり、2万円ほどが集まりました。生徒たちは、「復興へはまだまだ息の長い支援が必要」「今後も続けていこう」という声を掛け合っていました。

募金活動が行われたエントランス(玄関)ホール横には、「震災から1年」をアピールしようと、被災地の写真が展示されていました。名城大学の学生たちが3回にわたって、復興支援のため宮城県気仙沼市大島で行ったボランティア活動の写真と、写真部部長の間地(まじ)悠輔君(2年生)が昨年5月に撮影した仙台市若林区の写真です。

昨年の「3.11」では、仙台湾に面した若林区にも津波が押し寄せました。防潮林の松林をなぎ倒して盛り土になった仙台東部、南部道路より海側の平野部が大きな被害を受けました。

間地君の母親恵美さんの両親宅も若林区にありましたが、堤防の役割を果たした東部道路より内陸側にあったため無事でした。昨年5月のゴールデンウイーク、運転を再開したばかりの東北新幹線で、恵美さんと悠輔君は、恵美さんの両親宅を訪れました。「将来を担う子供にしっかりと被災地を見せておきたい」。恵美さんは悠輔君に、被災地の風景を目に焼き付けておいてもらいたいと思いました。

両親宅一帯と違って、東部道路を挟んで海側に回ると風景は一変しました。屋根だけが残った建物、流れついた車や家屋の残骸、なぎ倒された木々。海水の匂いが鼻をつきました。悠輔君は、「このすごさは言葉で説明してもわからない。写真でみんなに見てもらわなければ」とシャッターを押し続けました。附属高校エントランスに展示されている悠輔君の写真2枚はこの時に撮影されたものです。

大川小学校前に立つ

あの日からちょうど1年を迎えた3月11日。恵美さんは宮城県石巻市の北上川沿いにある大川小学校前に、父親の三條悦二さん(64)とともに立っていました。児童と教職員合わせて84人が犠牲になるという悲劇が起きた大川小学校ではこの日、遺族や地域の人たち約300人が訪れました。大川小学校は悦二さんの母校でもあったのです。子供たちの犠牲という面では最大の悲劇の舞台となった大川小学校。午後2時46分、サイレンが鳴り響くと集まった人々は校舎前に設けられた祭壇に手を合わせました。わが子を失った親たちの消えることのない悲しみ。津波襲来の時刻とされる午後3時47分には、生き延びた6年生の児童により祭壇の前の鐘が鳴らされ、集まっていた人たちが再び手を合わせました。

「私のいとこの子は6年生でしたが、奇跡的に救出され、少ない生存者となりました。それでもたくさんの友達を失いました」。悦二さんとともに長い祈りをささげた恵美さん。近くにあった悦二さんの実家も津波に直撃され、コンクリートの基礎部分を残すだけでなくなっていました。入口のブロック塀に掲げられた「三條」の門札も泥をかぶり、読み取るのがやっとでした。


  • 宮城県石巻市の大川小学校前に立つ間地恵美さんと父親の三條悦二さん(3月11日正午)

小さな絆の中にドラマ

「名城大学きずな物語」の最後に、間地恵美さんから寄せられたメールを紹介させていただきます。

――「名城大学きずな物語」を読ませていただきました。そこには新聞やテレビでは取り扱わない、小さな絆がたくさんつづってありました。その一つひとつがドラマでした。未曾有の災害を目のあたりにし、それぞれの立場で、自分は何ができるかを考えた1年だったと思います。「名城大学きずな物語」は、そうした人たちが一歩を踏み出すヒントも与えてくれたと思います。私も、「微力だが無力ではない」と感じることができました。ありがとうございました――

東日本大震災の復興に向かっての2年目がスタートしました。昨年の「3 .11」以降、被災した名城大学の卒業生たちの皆さんの安否を気遣いながら、復興支援に取り組む名城大学にかかわる人たちの動きと絆の物語を追ってきました。「微力だが無力ではない」。間地さんから頂いたこの言葉を、この物語を読んでいただいた全て皆さんと共有しながら、先の長い復興への支援を息長く続けていけたらと思います。ご愛読ありがとうございました。

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

名城大学総合政策部(広報)
〒468-8502  名古屋市天白区塩釜口1-501
Eメール koho@ccml.meijo-u.ac.jp

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