特設サイト第16回 被災地を忘れない


  • 東別院にゴールした高田さん(左)と水野さん

就活中の「3.11」

東日本大震災発生から1年を迎えた3月11日。約3800 人が参加する被災者応援のチャリティーイベントが開かれていた名古屋市中区の東別院に、被災地での継続的な支援を訴えて宮城県石巻市十八成浜(くぐなりはま)から名古屋までの758キロを4日間かけて走り継いだ市民ランナーたちが駆け込んできました。ランナー17人のうち2人は名城大学生で、法学部4年生の高田光佑(こうすけ)さんと水野伸哉さんでした。

石巻市十八成浜から東別院まで、たすきをつないで走り続ける被災者応援リレーは、東別院を拠点に支援活動を行っている愛知ボランティアセンターによって企画されました。ランナーとして参加したのはこれまでに同センターが企画した十八成浜でのボランティア活動への参加者たちです。

高田さんと水野さんも昨年11月、十八成浜で、土木作業などのボランティア活動を体験しました。その時、感じたのは復興にはまだまだ時間がかかりそうだということでした。被災地の人たちが語った「私たちのことを忘れないでほしい」という言葉も気持ちの中に重く残っていました。「復興の光が差し込むまでは、卒業後も被災者たちから聞かされた言葉をしっかりと心に刻んでおかなければ」。2人とも同じ思いで、16日の卒業式を目前に控えての参加となりました。

高田さんと水野さんはいずれも名城大学附属高校出身。高校、大学時代とバスケットボール部のチームメイトで、バスケットボールを始めたのも共に小学生時代からでした。2人とも就職活動のため、3年生後半からは部活動を中断せざるを得ませんでした。内定が決まった4年生の5月ごろからは部活に復帰し、9月までずっと活動に打ち込んできました。

  • 職員らの見送りを受け宮城県気仙沼市大島へのボランティアに向かう学生たち(2011年6月2日)

「3・11」の東日本大震災は2人が就職活動に走り回っていたさなかに起きました。名城大学でも4月8日には全学あげての緊急集会が開かれ、未曽有の災害に対する支援策が話し合われました。救援募金活動、被災地に送るタオル集めなど支援の動きも活発化し、宮城県気仙沼市大島へのボランティア派遣が行われました。連日、新聞やテレビで報道される被災地の惨状。2人とも、「被災地のために何かしたい」という強い思いはあったものの、バスケットボール部の活動もあり、募金への協力やタオル集めでの提供でしか支援に関わることができませんでした。

0泊3日弾丸ボランティア

部活動を後輩たちに引き継いだ2人は10月29~30日に学内で開催された被災地支援のための「24時間チャリティーラン」に、法学部の友人たちにも呼びかけて参加。11月には愛知ボランティアセンターが主催する石巻市十八成浜でのボランティア活動にも参加しました。牡鹿半島の先端に近い十八成浜は津波で甚大な被害を受けました。地震から3か月近くたってもほとんど手つかずの状態が続き、支援ボランティアも入っていませんでした。地区内の仮設住宅では約50人が暮らしています。

愛知ボランティアセンターは6月から、毎週金曜日に夜行バスで東別院から十八成浜に向かい、家の片づけや瓦礫撤去作業、仮設住宅で暮らす人たちに食事を提供するボランティア活動を行っています。日曜日朝には東別院に帰ってくる0泊3日の“弾丸バスツアー”のボランティアです。参加費は1万円、名古屋から被災地に直行するボランティアバスが他にはないこともあり、毎回50人近くが参加し、夏休み中には7台のバスが運行されました。

高田さん、水野さんが訪れた十八成浜は、瓦礫こそかなり片付けられていましたが、川に近い住宅地では地盤が緩み、敷地に空いた穴を埋めないと崩れ落ちる心配がありました。2人は穴埋め作業に汗を流しました。初めて足を踏み入れ、自分の目で見て、現地の人たちの生の声を聞いた被災地。「時の経過とともに忘れられるのが寂しい」。被災地の人たちの言葉は2人の心に重く残っていました。すでに30回を超えている弾丸バスツアーによる十八成浜でのボランティア活動。十八成浜にバスが到着すると、ボランティアたちからは「ただいま」のあいさつが、出迎える被災地の人たちからは「お帰りなさい」の声が飛び交うようになっていました。

雨、雪、嵐の758キロ

  • ビニール袋のカッパをかぶり走り続けた高田さんと水野さん(埼玉県久喜市で)

震災から1年の節目として、東別院で開かれる被災者応援チャリティーイベントで、十八成浜から758キロ先の名古屋まで絆のたすきをつなぐ被災者応援リレーへの参加者を募集していることを高田さんと水野さんが知ったのは11月、弾丸バスでのボランティアに参加した時でした。2人はすでに、卒業旅行も兼ねて12月9日のホノルルマラソンへの参加を決めていましが、「3月なら、ホノルルマラソンを走っても体力的に問題ないはず」と参加を決めました。「学生時代の最後に被災地のためにできるのは走ることだけ」。2人に迷いはありませんでした。ホノルルマラソンはもちろん完走しました。フルマラソンとしての42.195キロを高田さんが4時間50分、水野さんが4時間30分で走り抜きました。

「ナゴヤ」にちなんで全行程が758キロに設定された十八成浜から名古屋までの被災者応援リレーに参加したランナーは19歳から71歳までの男女17人。フルマラソンには7回も参加しているという会社員もいました。学生は高田さん、水野さんを含め3人。3月8日午前7時、十八成浜の住民50人に見送られてリレーがスタートしました。

高田さん、水野さんに割り当てられたのは体力のいる夜間走行区間。福島県、栃木県、東京都、神奈川県、静岡県。出発当初から降っていた雨は雪に変わり、冷たい風も容赦なく吹き付けました。2人は頭と両手が出る穴を開けたビニール袋をカッパ代わりして走り続けました。特に終盤11日午前3時半ごろからの静岡県湖西市から海沿いの区間では嵐のような強風をまともに受けての走りでした。福島県内で立ち寄ったコンビニでは、「応援していますよ」「頑張って」と差し入れしてくれる市民もいました。

追悼と応援

  • 静岡県掛川市付近で

ランナー1人が走っている最中は、残る16人は伴走する乗用車3台に分乗して移動。リレーも大詰めとなった11日午後2時、到着した名古屋市の熱田神宮からは全員で東別院を目指しました。ついにゴールが見えてきました。愛知ボランティアセンターの人たちが言っていた「追悼と応援」という言葉を何度もかみしめながら走り続けたという水野さん。高田さんも、出発前にバスケット部員たちや、教育実習で教えた母校の名城大学附属高校の生徒たちが、「東北に笑顔を届けろ」「頑張って」などと書き込んでくれたTシャツへの寄せ書きを励みに走り続けました。さらに、十八成浜の人たちが「お帰り」と出迎えてくれた時のことを思い浮かべながら、「たった1回の交流だけでは終わらせたくない」と自分に言い聞かせながら走り続けました。午後2時15分。ランナーたちはチャリティーイベントに参加していた3500人が待ち受ける東別院に駆け込んだのです。

大切なのは被災地を忘れないこと

  • 3800人が参加したチャリティーイベント会場に到着したランナーたち(3月11日午後2時15分、名古屋市中区の東別院で)

758キロの行程中、それぞれ50キロずつを走り抜いた高田さんと水野さん。高田さんは三菱東京UFJ銀行に、水野さんは大塚製薬に就職が決まっています。卒業式直前に758キロリレーを走り抜くことで2人は学生生活を締めくくりました。

水野さんは2年生の夏から3年生の春まで、右ひざの疲労骨折のため、部活ではコートの外で仲間の練習を見守るしかありませんでした。病院通いしたことがきっかけとなり製薬会社への就職を選んだという水野さんは、「高校生と違って大学生は自分の可能性の選択肢が広がります。何がしたいのか、ボランティアもそうですが、いろいろな経験をして見つけてほしいと思います」と後輩たちにエールを送っています。

高田さんも、後輩たちへのアドバイスとしては「時間を有意義に使うこと」をあげました。そして、被災者への支援については、「現地に出向かなくても、名古屋でも被災地のためにできる活動はたくさんあります。大切なのは被災地を忘れないこと。忘れないよう、何か一つ接点を持ち続けることだと思います」と語ってくれました。

伴走責任者は現場主義のOB

高田さん、水野さんら市民17人のランナーたちを励ましながら伴走した被災者応援リレー責任者は愛知ボランティアセンター事務局長の久世義晃さん(27)です。久世さんも2007年に経済学部を卒業した名城大学OBです。高校時代から「阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を送る中学生高校生の会」の会長としてボランティア活動に取り組み、2001年12月には「自分の目で、7年たった被災地を見て、様子を伝えたい」と、神戸の復興住宅を訪れています。

名城大学2年生だった2004年10月には新潟県を中越地震が襲いました。久世さんは地震発生後から延べ2か月、現地でボランティア活動に打ち込み、大学側にも学生ボランティアの現地派遣を働きかけ、43人の派遣を実現させました。2005年2月に発行された「名城大学経済・経営学会」19号には「私の災害ボランティア体験記」という久世さんのレポートが掲載されています。この中で久世さんは、高校生の時に愛知県西枇杷島町(現在の清須市)で水害ボランティアを体験したこと、その時から「苦しんでいる人がいれば、少しでもお手伝いをしようという気持ちを持ち、その思いがいろいろなボランティアを行うきっかけになりました」と述べています。ボランティアでは現場主義にこだわる久世さんの原点と言ってもいいでしょう。

体験を財産に

  • ボランティア仲間のねぎらいを受ける久世さん(左)と高田さん、水野さん

民間ボランティア団体である愛知ボランティアセンターは「阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を送る中学生高校生の会」を母体に、東日本大震災の発生直後の昨年3月17日に活動を始めました。名城大学を卒業後、広告代理店勤務、国会議員秘書などの経験もした久世さんは震災発生当時はアルバイト社員でしたが、迷うことなく愛知ボランティアセンターの立ち上げに参加、事務局長に就任しました。同センターがとりあえず名古屋でできる活動として始めたのが被災地への応援物資の送り込みでした。久世さんは被災地の石巻市に乗り込み、現地が必要としている救援物資リスト情報を集め続けました。十八成浜への弾丸バスボランティアツアーにはほぼ毎週、責任者として参加しています。

高田さん、水野さんの被災者応援リレーでの力走ぶりに久世さんは「758キロのリレーはほとんどが冷たい雨や雪の中での走行となりました。特に夜の走りは大変で、高田さんや水野さんのような若い人たちを中心に走ってもらいましたが、2人とも本当に頑張ってくれました」と頼もしそうです。

被災地支援ボランティアの先輩としての久世さんの信念は明快です。「迷ったら行くべきです。経験は次の災害の際に生かすことができます。名城大学でも、東海、東南海地震への備えとして、今回の東日本大震災での経験をぜひ財産として残してほしいと思います」と話しています。

黙とう


  • 総会で東日本大震災犠牲者への黙とうをする ボランティア協議会の学生たち

東日本大震災から1年。名城大学でも犠牲者への鎮魂の思いをこめた黙とうが行われました。ボランティア協議会は3月10日午後4時から、タワー75の15階レセプションホールで2011年度の総会を開催し、参加者約50人が1分間の黙とう行いました。

あいさつに立った会長の日江井康輔さん(経営学部3年)は「今年度は東日本大震災が発生したことで、会員一人の意識が問われた年でした」と、被災地に送る3万枚のタオル集め、宮城県気仙沼市大島でのボランティアなどの活動を総括。「被災地を実際に目で見て、肌で感じることで、震災の被害の大きさを実感しました。初めての経験で、ばててしまうこともありましたが、たくさんの壁を乗り越え成長することができました」と述べました。

  • 三重県支部総会で、被災卒業生たちへの支援継続を訴える校友会の岩室副会長

校友会三重県支部(高臣岳文支部長)も3月10日、三重県四日市市の四日市都ホテルで2011年度総会を開き、参加者約80人が、物故会員とともに東日本大震災犠牲者への黙とうを行いました。来賓としてあいさつに立った名城大学校校友会の岩室隆副会長(1970年理工学部電気電子工学科卒、支部担当)は「東日本大震災から明日でちょうど1年です。校友会も全国支部、同窓会から、たくさんの義援金をいただきました。東北支部の野神修支部長を通し、被災された卒業生の皆さんにお渡しし、被災の状況とお礼の気持ちがつづられた手紙をたくさんいただきました。そこには、卒業して長いこと母校には顔を出していませんが、こんなに私たちのことを心配してくださるとは、といった感謝の文面がつづられていました。まだまだ復興は進んでいません。私たちはさらに支援を続けていかなければと思います」と述べました。被災地で頑張る同じ名城大学の卒業生たちを決して忘れないという決意の表明でもありました。総会に引き続いての記念講演では学務センター長の今西文武経済学部教授が「東日本大震災と名城大学ボランティア活動」について語りました。

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「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

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