特設サイト第13回 都市情報学部のスクラム


  • 陸前高田市で復興のシンボルとなった「奇跡の 一本松」(2011年12月4日)

誕生直前に阪神大震災

6434人の命が奪われた阪神大震災から1月17日でまる17年を迎えました。被災地の神戸市では地震発生の午前5時46分、市民たちが黙とうしました。市民たちはさらに、昨年3月11日の東日本大震災発生時刻午後2時46分に合わせ、東北地方の方角に向かい2万人近い犠牲者の冥福を祈りました。

名城大学の都市情報学部も今年で開設17年を迎えました。都市情報学部が薬学部の開設以来41年ぶりの新学部として誕生した1995年4月。阪神大震災の被災地には全国から続々とボランティアが繰り出し、新聞やテレビでは連日、震災に関する報道が続いていました。

海道清信教授(都市計画)はこの年、20年間勤務した地域振興整備公団を退職し、助教授として都市情報学部開設に加わりました。阪神大震災発生から3日後、海道教授は母校である京都大学の研究室仲間らと、前年に亡くなった、昭和の日本を代表する建築・住宅学者であった西山夘三・京都大学名誉教授が残した膨大な業績資料を保管する組織の立ち上げについて話し合うため関西に滞在していました。

集まっていたのは関西地区の研究者たちが多く、「現地調査に行こう」という声が上がりました。手書きで作った「建築学会調査団一行」というゼッケンを車の前に掲げ、5、6人で神戸の街に向かいました。現場に踏み込むのは簡単ではありませんでしたが、それでも建物が倒壊し、戦場を思わせる現地を目に焼き付けて回りました。

関西の研究者仲間たちは地元ということもあり、その後も本格的な現地調査に取り組む中で、海道教授は、NPO法人「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」の発足準備作業を引き受け、毎週、名古屋から京都に通い続けました。阪神大震災の復興支援に関わる研究者たちの後方支援でもありました。

病室を襲った激震

都市情報学部の柄谷友香准教授(都市防災計画)は関西大学工学部で海岸土木を学んでいた4年生の時、阪神大震災に遭遇しました。体調を崩し、自宅のある兵庫県尼崎市の病院に入院中だったその日早朝、ドーンとい大きな揺れに襲われました。一瞬、薬の副作用で、自分だけがおかしくなったのかと思いました。しかし、病室はパニック状態になっていました。泣き叫ぶお年寄り。走り回る看護婦さん。大地震が起きたのです。

電気、水道が止まった病院内では、自家発電の薄明かりの中で、人工透析が必要な患者さんのために水を確保しようと慌ただしく走り回る看護婦さんの姿もありました。外ではサイレンの音も聞こえます。その一方では、柄谷准教授をいつも励ましてくれていた看護婦さんが泣いている姿もありました。看護を受ける一方だった柄谷准教授は「助け合わなければ」と思いました。名城大学ホームページで連載中の「育て達人」(2010年7月12日up)に登場した柄谷准教授は当時の心境を次のように振り返っています。

「患者さんをケアする看護婦さんにも心のケアが必要なんだと思いました。一緒に雑談をして励ましたり、パソコンで打てるものは手伝ったりしました。それまで、入院した自分を『何で私だけがこんなつらい思いを』としか考えていませんでしたが、みんながつらい状況になっていたのです。気がついたら看護婦さんを助け、透析している患者さんの手を握って励まし、患者同士のコミュニケーションづくりに役立とうと動いていました。助け合い、励まし合いながら、『人ってすごいな』と涙が出ました」

被災者とともに

  • 陸前高田市の仮設住宅を訪れた柄谷准教授(2011年7月16日)

柄谷准教授は、大学院に進んでからは生活再建の研究に没頭しました。京都大学大学院博士課程を修了して、神戸市に誕生した財団法人「人と防災未来センター」の専任研究員に赴任しました。同センターは阪神大震災の教訓を生かし、防災専門家の育成や地震の被害、復興の歩みなどを紹介する施設で2002年4月に開館。7人が採用された同センターの専任研究員について、当時の読売新聞(2002年4月20日)は、「復旧、復興のエキスパートとして教育を受け、大規模災害時には、現地に飛んで助言する」と解説。その中で、「柄谷友香さん(29)ら2人は、7年前の震災体験をきっかけにこの道を志した。柄谷さんはセンターで『被災者支援』を担当。街や人の再生に必要なものとは何かを探る。『自分だけでなく、被災者とともに研究したい』と志は高い」(要旨)と紹介しています。

東日本大震災のマグニチュード9 .0は、阪神淡路大震災の7.3をはるかにしのぐ、これまでに経験したことのない巨大地震でした。柄谷准教授は2日後の3月13日から行動を起こしました。4月17日までの1か月余の間にほぼ1週間単位で3回に分け、被災地を見て回りました。青森県八戸市、岩手県久慈市、盛岡市、宮古市。宮古市田老地区、山田町、宮城県仙台市、石巻市。そして同県亘理町、気仙沼市。4月27日からは岩手県では最も被害の大きかった陸前高田市を研究のベースとしました。長期休暇以外は授業のない土、日曜日を中心に滞在、被災した人たちと生活を共にしながら被災地の生活再建、復興のありかたを探る調査研究活動で、社会学では「参与観察」と呼ばれる研究手法です。

柄谷先生がいない

都市情報学部では、防災、都市計画、まちづくりの研究に携わる教員たちが、東日本大震災の空前の被害状況を様々な思いで見据えていました。海道教授も、まちづくり計画の専門家として、現場に足を運びたいという思いはありましたが、新学期の慌ただしいキャンパスの中では身動きできない状況でした。何といっても名古屋から東北は遠いのです。阪神大震災でも現地調査には深く関われなかっただけに、研究者としての無念さも禁じえませんでした。

そうした中、海道教授は、キャンパスで柄谷准教授の姿を見かけていないことに気づきました。最初は春休み中ということもあって、あまり気にはなりませんでしたが、やがて、柄谷准教授が被災地に飛び込んでいることを知りました。柄谷准教授は国土交通省国土計画局の研究会委員や、内閣府中央防災会議の専門委員も歴任しています。海道教授は、「国に頼まれて、あちこち引き回されているのではないか」とも考えました。

支援体制

  • 東日本復興支援で開かれた全学フォーラムで研究者への支援を訴えた海道教授(2011 年5月13日)

柄谷准教授は授業もこなしながら現地での調査活動を続けていました。新幹線を乗り継ぎ、東北新幹線一ノ関駅から、中古車を走らせて向かう陸前高田市。瓦礫に囲まれた道を走ることが多くパンクも心配です。避難所や仮設住宅にも寝泊りしながら、被災地の生活の中に飛び込んでの調査活動やボランティア活動。各地からの講演依頼。大学に戻れば授業だけでなく入試委員など任された仕事も詰まっています。時間のやりくりだけでなく移動のための交通費だけでもかなりの出費になっているはずです。

「学部、大学としてもバックアップしてやらなければ」。海道教授だけでなく大野栄治学部長(土木計画)、福島茂教授(都市計画)ら柄谷准教授と研究領域が近い都市情報学部の教員たちも同じ思いでした。

5月13日、天白キャンパスで開かれた第2回東日本大震災関連フォーラム。現地報告をした柄谷准教授とともに参加した海道教授は「大学としても、こうした現地調査研究に取り組む教員への支援を考えてほしい」と訴えました。すでに生活支援、教育支援とともに、研究支援を行うことを決めていた名城大学では、学術研究支援センターが中心になって具体的な支援要項を決めました。柄谷准教授の研究への支援の場合は、本学の専任教員が被災地の大学・研究機関の研究者と共同して、被災地復興を目的として行う研究に対して助成を行う「震災復興支援事業」として扱われることになりました。研究費は1件150万円。すでに柄谷准教授が持ち出している自己負担金に及ばない額ではありますが、名城大学としては応募があった研究の中から5件で総額650万円の支出でした。

卒業生も合流

柄谷准教授の震災復興支援事業としての研究課題は「被災者の生活再建をベースにした持続可能な復興まちづくり支援」です。共同研究であるため、大野学部長が研究代表者となり、研究分担者には柄谷准教授のほか海道教授、福島教授、鈴木淳生准教授(オペレーションズ・リサーチ)の学内3教員と学外から岩手県大船渡市の災害復興計画策定委員の佐藤隆雄さん(62)が名前を連ねています。

佐藤さんは大船渡市の出身で、埼玉県在住の防災研究者です。1973年に名城大学理工学部建築学科を卒業。京都大学工学部建築学科に研究生として3年間在籍した後、当時の大蔵省のシンクタンクである財団法人日本システム開発研究所で30年近く、防災研究に関わってきました。共同研究者に佐藤さんを推したのは京都大学で同じ研究室だった海道教授でした。大船渡市は陸前高田市と隣接しており、産業や人の交流も盛んです。地元を熟知しているうえ、海道教授の要請で、都市情報学部での特別講義をしたこともあります。柄谷准教授とも学会などを通して意見交換をしたこともありました。

柄谷准教授が陸前高田市の被災住民たちの中に飛び込み、生活を共有しながら調査研究活動に取り組んでいることについて佐藤さんは「絶対必要なことです。行政の支援をあてにするだけでなく、自分たちの地域の復興は自分たちで考えるという方向に持っていくことが大事。柄谷さんはそのために行政と適度な距離を保ちながら、住民たちの相談役にもなっています」と話しています。

被災地から課題が見えてきた

  • 400人が参加した「名城大学シンポジウム」で現地報告をする柄谷准教授

「被災された方々自身が、自分たちで知識、知恵、ノウハウを学びながら、生活再建に向けて主体性を発揮することが新たな課題として見えてきました。実際に、被災者の方々が震災直後から、避難所運営などで主体性を発揮する機会が多く見受けられましたし、被災者の方自身が支援者にもなっています。このことで、行政の方々の負担が軽減され、その分が、真に行政の方々の支援やサービスが必要な方々に向けられることになりました。こういう循環が少なからず見られてきました」

新年が明けた1月7日、天白キャンパスで開催された都市情報学部主催の東日本大震災復興での「まちづくりと暮らしの再建」をテーマ掲げた「名城大学シンポジウム」。会場いっぱいに埋まった約400人の学生や市民、行政関係者らを前に柄谷准教授は、陸前高田市からの現地報告を行いました。

新年早々にも関わらず、これだけの参加者があったのは、基調講演を行った日本学術会議の会長で、首相の諮問機関「東日本大震災復興構想会議」の委員でもある東京大学の大西隆教授(国土計画)、阪神大震災での体験も交えて現地報告を行った兵庫県震災復興研究センター代表理事で、大船渡市災害復興計画策定委員長でもある神戸大学の塩崎賢明教授(住宅問題・住宅政策)、陸前高田市を行政支援する名古屋市からの派遣職員である阪野武郎・陸前高田市復興局技師、そして柄谷准教授。今回の震災復興では最前線に立つ“時の人”たちが勢ぞろいしたこともあるようです。会場に国土交通省関係者たちの姿も見られました。


  • 「まちづくりと暮らしの再建」を話し合ったパネル討論

後方支援の絆

  • 大野学部長
  • 海道教授
  • 福島教授

シンポジウムの準備、運営は柄谷准教授の研究を支援する都市情報部の教員スタッフや職員たちによって進められました。大野学部長は開会、閉会のあいさつを、鈴木准教授は司会進行を受け持ち、パネルディスカッションには海道教授と福島教授(コーディネーター)も加わりました。大西教授は福島教授の大学院時代の恩師であり、塩崎教授は海道教授の大学院時代の研究仲間。「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」(京都府木津川市)の運営でも塩崎教授が理事長、海道教授が副理事長を務めています。

「都市情報学部の教職員としても、被災地に飛び込んで頑張っている柄谷先生を何としても応援してやろうという気持ちで取り組んできました。きょうはこういう形で皆さんと一緒に議論できる場が持てました。私自身にとっても、今までに参加したシンポジウムの中では最高のシンポジウムだと思います」。パネルディスカッションでマイクを握った海道教授の声が弾んでいました。柄谷准教授にとっても、海道教授ら支援のスクラムを組んでくれた都市情報学部のスタッフたちは頼もしい支援部隊に違いありません。

5日後の1月12、13日、柄谷准教授は石川県輪島市にいました。2004年の新潟県中越地震を機に設立された災害支援組織の研修会で、「東日本大震災から300日 陸前高田市の被災者は今」のテーマで基調講演し、パネル討論に参加するためです。そして14、15日はセンター試験監督のため都市情報学部のある可児キャンパスに舞い戻っていました。

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「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

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