特設サイト第10回 杜の都に集う


  • 走り終えた選手たちの健闘をたたえる卒業生たち(仙台市役所前の市民広場で)

「特別な年だからこそ仙台を走りたい」――。東日本大震災の被災地である仙台市で10月23日に行われた第29回全日本大学女子駅伝対校選手権大会(杜の都駅伝)。26チームの選手たちが復興への願いを込めて杜の都を駆け抜けました。名城大学は5年連続の3位でしたが、一時は2位に躍り出るなど大健闘。6区間38.6キロの沿道では被災地から駆け付けた卒業生たちも含め、名古屋から、そして全国から集まった名城大学関係者や卒業生たちが熱い声援を送りました。そして、新たな絆の物語もたくさん生まれました。

応援準備

  • 家族ぐるみで応援準備をする東北支部の会員たち(仙台市営陸上競技場前で)

午前9時。杜の都駅伝がスタートする仙台市陸上競技場前で、ライトグリーンのウインドブレーカー姿の名城大学校友会東北支部の皆さんによる応援準備が始まりました。まず、100本近い応援幟旗の組み立てです。陣頭指揮をするのは支部長の野神修さん(1962年理工学部・土木卒)。受付用の机が置かれ、全国から駆け付ける卒業生を中心とした応援参加者の名簿が広げられました。受付担当は前支部長の照井健夫さん(1962年理工学部・建築卒)です。名簿の所属欄は、大学、校友会本部、スポーツ後援会などと区分され、校友会関係では群馬、関東、神奈川、静岡、新潟、岐阜、愛知、大阪、香川と支部の名前が並んでいます。参加予定者にふられた通しナンバーは89まで続いています。応援幟旗の組み立て作業では奥さんら家族会員たちも加わり手際よく進んでいました。

10時近くになると、遠方からの応援参加者たちも続々と姿を見せ、がぜんにぎわい出しました。大きな被害が出た宮城県気仙沼市から奥さん、娘さんと一緒に訪れた堀籠正生さん(1964年理工学部・建築卒)が、懐かしい顔ぶれをカメラに収めようと早速シャッターを押しています。気仙沼市役所で復興業務の最前線に立っている広瀬宜則さん(1981年理工学部・土木卒)、石巻市にある幼稚園園長で、3月11日の夜、園舎屋根に園児たちや職員たちと避難、夜明けの救援を待った津田広明さん(1963年理工学部・機械卒)も日程をやりくりして駆けつけました。

親心

  • 出陣式の指揮をとる土橋さん(仙台市営陸上競技場メーンスタンドで)

10時すぎ。受け付けに「選手の親ですが」と男性が現れました。6区を走った八木絵里選手(法学部3年)の父親で、福井県から訪れた八木幸治さん(57)です。「3日前に届いたメールでは5区かアンカーを走るかも知れないとありましたが、その後は全然連絡がない。娘は本当に走るんでしょうか」。とても心配そうです。2区を走った高木綾女選手(理工学部1年)の両親も広島県から到着し、八木さんに話しかけました。やはり心配そうな表情です。1区を走る米津利奈選手(人間学部1年)が、スタートする競技場に入るため、マネージャーの西沢美春さん(法学部3年)とともに通りかかりました。八木さんが声をかけると、「絵里はアンカーを走ります。大丈夫です」。不安そうな八木さんに2人は笑顔で、八木選手の出場を伝え、レースが始まる競技場内に向かいました。

「皆さん集まって下さい」。東北支部事務局長の土橋宏さん(1964年法商学部卒)が声を上げました。「各区間の選手の名前と応援する際の愛称を発表します。メモして下さい」。土橋さんは、町が壊滅状態の被害を受けた宮城県女川町の教育長で災害対策副本部長でもある遠藤定治さん(1964年法商学部卒)と同級生。駒方校舎での学生生活を共有した仲です。土橋さんは競技場メーンスタンドでの出陣式では「ふれー、ふれー名城」の応援エールの指揮もとりました。

「第1走者は米津。リナです。第2走者は高木。沿道ではアヤメと応援して下さい。第3走者は野村。サヨです。第4走者は浦川。アリナ。第5走者は池田。エリカです。最終アンカーは八木。エリです」。八木選手の名前が読み上げられると、八木さんの顔に新たな緊張が走りました。社会人の姉、兄とは年が離れた末っ子の八木選手。その分、お父さんっ子だと言います。「チームの足を引っ張らないか、本当に心配です」。八木さんは祈るような表情でした。

チーム新記録

  • 第2区間で選手を応援する支部長の野神さん、前支部長の佐藤さん、大学職員(右から)

午後12時10分。号砲とともに26人の選手が走りだしました。あっという間に先頭に踊り出た立命館の竹中理沙選手(4年)。立命館が3連覇を達成した2008年大会のメンバーですが、09年大会からは佛教大学が2連勝し、立命館は連続2位でした。「再び頂点に」という闘志が伝わってくる走りです。

名城の1年生、米津選手も冷静に竹中選手を追っていきます。「名城大学らしく、全員駅伝でたすきと心を笑顔でつないでいきたい」。大会に挑む心境をそう語っていた米津選手。競技場を出て間もなく、沿道のあちこちでは「リナ頑張れ」の声が上がりました。名城大学の幟旗や小旗を手に応援する津田さんら卒業生たちです。大学からかけつけたスポーツ後援会の上林晃会長、副会長の小原章裕農学部教授、佐土井有里経済学部教授らからも「頑張れ」の声が飛びました。

1区は竹中選手が区間新記録で圧勝。米津選手も5位と健闘、同じ1年生の高木選手にたすきをつなぎました。「応援してくれて人たちへの感謝の気持ちを走りで返したい」と語っていた高木選手も5位のまま、たすきを3区以降の先輩たちにつなぎました。
3区の野村沙世選手(法学部4年)も快走しました。「大会史上最強」と言われた佛教大の吉本ひかり選手を追い上げ、区間賞に1秒差に迫る素晴らしい走りで3位に浮上。そして4区では主将の浦川有梨奈選手(法学部4年)が優勝候補の佛教大を抜き去り2位に踊り出たのです。高低差の激しい5区では池田絵里香選手(法学部2年)が3位に後退しましたが、最終6区ではアンカーの八木選手も快走しました。区間1位(区間賞)のタイムで立命館、佛教に続いて3位で仙台市役所前のゴールに飛び込んだのです。13年連続出場の名城が5年連続3位入賞、2時間7分58というチーム新記録達成の瞬間でした。

役割分担

  • 校友会東北支部が作成した「応援実施計画書」

校友会東北支部が作成した「応援実施計画書」の中の「コース沿道応援体制一覧表」。各区間に4~7か所の応援スポット(場所)、引率責任者名、応援に加わる校友会支部名、通過予定時刻、次の応援スポットへの移動方法、電車発車時刻、注意点などがびっしり書き込まれています。支部長の野神さんが名城大学ラグビー部時代に助っ人選手として走った名古屋~大垣間駅伝での体験と、卒業後の鉄道人生で身に付けたダイヤ編成のノウハウを発揮しての“技”と言ってもいいでしょう。野神さんは機会あるごとにコースを車で走り、起伏や坂の勾配などを頭の中に叩き込んできました。「コース全体を通して、応援が手薄になっている場所はないか。選手が一番苦しく感じるスポットでの応援者数は十分か。心配すればきりがないのですが最後まで気になります」。

応援場所の移動では校友会東北支部会員、奥さんたち家族会員たちが大きなサポート役を果たします。第1中継所を過ぎた2区コース途中から仙台市役所前に移動するため、初代支部長の佐藤有一さん(1963年理工学部・建築)らとともに、佐藤さんの奥さんの佳子さんが運転する車に乗せてもらいました。仙台市内の道を知り抜いているだけに、県外からの応援者にはまさに心強いサポーターです。

仙台市役所前のゴール付近では、シャッターチャンスを狙うプロ、アマのカメラマンたちであふれていました。脚立の上からカメラを構える堀籠さんの姿もありました。2005年の名城大初優勝の瞬間を撮れなかった堀籠さんにも、「今年こそは」という期待を膨らませていました。しかし、残念ながら最初に飛び込んできたのは立命館、続いて佛教でした。

再会

  • 再会を果たした及川さん夫妻、小林副学長、津田さん(左から)

仙台市役所前の市民広場では、応援参加者たちが走り終えた選手たちの健闘をたたえる慰労会が始まろうとしていました。熱い応援を続けた卒業生たちの会話も弾んでいます。選手たちにジュースの差し入れをした岩手県北上市から駆け付けた及川森夫さん(1971年理工学部・機械卒)は小林明発(あきよし)副学長とうれしい再会の握手を交わしていました。

及川さんは小林副学長が名城大学で教員生活をスタートさせた当時の教え子にあたります。岩手県出身の及川さんが名城大学に入学したのは1967年。この年、小林副学長も名古屋工業大学大学院を修了し、名城大学理工学部に助手として採用されました。及川さんら学生たちにとって、当時の小林副学長は兄貴分的な存在でした。徹夜での実験にも遅くまで付き合ってくれましたし、学生時代にスキー部で鍛えていた小林副学長は、自分の別荘で、学生たちのためにスキー合宿もしてくれました。

及川さんと小林副学長とは、卒業後も年賀状の交換など交流が続いていました。2000年9月12日に東海豪雨が東海地方を襲い、名古屋市内だけで死傷者51人、約3万棟が床上床下浸水の被害が出ました。及川さんは小林副学長あてに救援物資を送りました。大学研究室も小林副学長の自宅も被害はありませんでしたが、及川さんは被害の様子を伝えるテレビニュースを見て驚き、「名古屋が大変なことになっている。水も不足しているようだ。岩手の水を送ってやろう」と思い立っての行動でした。

それから10年半後の2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。及川さんの家は岩手県大船渡市三陸町の越喜来(おきらい)湾のすぐそばにあり、押し寄せた巨大津波に跡形もなく持って行かれました。幸い、及川さんは仕事の関係で、妻紀美さんとともに、実家のある北上市近くの別宅住まいをしていて、大船渡市の家にいた母親も近くに住んでいる弟が助けに駆けつけ、ひざまで水につかりながら避難し無事でした。

及川さん夫婦は大船渡へ車を走らせました。被害は予想以上で3月11日夜は家には近付けず、避難所で一泊しました。朝、やっと訪れた目的地。低地にあったわけではなかったのに自宅はコンクリートの基礎部分のみを残して全て流出していました。車も流されました。小林副学長から毎年届いていた年賀状や写真など、思い出につながるもの全てが津波に持っていかれたのです。

安否情報

小林副学長夫妻は及川さん一家の安否を気遣っていました。「何とか無事でいてほしい」。消息を知る手がかりを求め、インターネットでの情報集めもしました。「及川森夫さんがどこの避難所に見えるか探しています。北上市内ではないかと思いますが、ご存知の方はお知らせ願います」。4月8日に日付で安否確認サイトにアップされた小林副学長夫妻のコメントです。

及川さんが北上市の実家に無事に避難しているのを確認したのは卒業生たちの安否情報を懸命に集めていた野神さんでした。連絡がつかないでいた多くの卒業生たちの安否確認同様に、NTTに繰り返して確認申請を行うなどして、及川さんの連絡先を探し当てたのです。

杜の都駅伝での応援で30数年ぶりに再会した及川さんと小林副学長。及川さんの妻紀美さんも「小林先生からいただく年賀状には楽しいエピソードが紹介されていて、毎年楽しみにしていました。きょう、初めてお会いしたのに初対面という気がしません」と嬉しそうでした。

及川さんが津田さんの姿を見つけました。及川さんにとって津田さんは学生時代に所属していた自動車部の先輩です。津田さんは名城大学で助手をしていたこともあり、小林副学長にとっても会いたかった、被災を心配していた卒業生でした。大震災では大変な体験をした及川さん夫婦と津田さん。安否を気遣い続けた小林副学長。杜の都で再会を果たした4人の笑顔が、記念写真の中で晴れ晴れと輝いていました。

最強の補欠

  • 応援者懇親会で米田監督に「最強の補欠」として紹介された選手たち

仙台駅東口に近い仙台ガーデンパレス。午後4時半から校友会東北支部主催の「応援者懇親会」が始まりました。参加者は大学関係者と家族会員を含む東北支部、その日のうちに帰るには時間的に厳しい大阪方面の支部を除く全国の支部関係者、そして女子駅伝部の選手や関係者ら約80人。野神さんの開会あいさつです。「大震災では大学を含めて皆さんからご支援いただきました。被災者に代わり厚く御礼申し上げます。家屋が流出してしまった方も応援に来てくれ、力強い声援をいただきました。東北支部として家族も含めて応援させていただきました。無事に応援を終えることができ、これで一安心です」。

大橋正昭理事長、中根敏晴学長ら大学関係者のあいさつが続き、女子駅伝部の加鳥裕明部長(理工学部教授)が東北支部への感謝の気持ちを語りました。「3月11日の大震災では、たくさんの方が被災したにもかかわらず、心温まる、力強い応援をいただき、選手たちはそれを力として気持ちよく走ることができました」。選手10人が会場に駆け付けました。米田勝朗監督(法学部教授)は選手たちを正面壇上に並ばせ、6区間を走った6選手たちを1人ずつ紹介。さらに米田監督は、晴れ舞台を走ることができなかった4人の選手を前に並ばせました。

「4人は残念ながら走れませんでしたが最強の補欠です。この4人がいたから走った6人のレベルが上がりました」。米田監督が紹介したのは谷水見圭(法学部4年)、須谷綾香(法学部4年)、小田切亜希(法学部3年)、松山芽生(法学部1年)の4選手です。小田切選手は8月に中国で開かれたユニバシアードのハーフマラソンで5位、谷水選手も5月に宮崎県延岡市で開かれた大会の女子1万5000メートルで1位、須谷選手も2年生で5区、3年生で4区を走った実績があります。

6つの指定席

選手たちはチームメイトでありながら、一方ではライバルでもあります。今年も25人の部員がエントリメンバー10人の枠を争ってきました。晴れ舞台を走れるのはさらにその中の6人だけです。最後の6人を選ぶのは、選手たちのコンディション、モチベーションなどを冷静に見据えた米田監督です。1年から3年生まで6人の枠に入れず、4年生の今年が最後のチャンスだった谷水選手は、残念ながら大会直前に足を痛めていました。大会10日前の10月13日午後6時すぎ。ライトが灯る名城大学第2グラウンドで行われた大詰めの練習。6つ指定席を目指す選手たちに、走れない谷水選手が大きな声を送っていました。「自分の足で。ファイト。もう1周行けるよ。もっと、もっといけるよ」。

チャリティーラン

谷水選手は3月11日の大震災直後、女子駅伝部の部員たちを誘って、名古屋の名城公園で開催された被災者救援を目的にしたチャリティーランに参加しました。さらに4月、名城大学で開かれた東日本大震災被災者への支援方法を話し合う全学集会でも女子駅伝部を代表して発言しました。「息の長い支援として、チャリティーランのようなイベントも必要だと思います」。谷水選手の提案は10月29日、「名城大学24時間チャリティーラン」として実現しました。約530人の学生や教職員が東北復興への思いを胸に、夜を徹して延べ約5300キロを走り抜きました。谷水選手ら女子駅伝部部員たちは、ゴール地点に掲げられた横断幕「心の襷をつなごう!24時間チャリティーランin名城大学」を作り上げたほか、運営の裏方としても24時間ランを支えました。

主将の浦川選手はチャリティーラン会場で、取材を受けた読売新聞記者に、「今年も仙台で大会を開催してもらえたことが本当にうれしかった。少しでも恩返しができればと思いました」と話していました。

※「名城大学24時間チャリティーラン」については
名城大学ホームページ(http://www.meijo-u.ac.jp/event/detail.html?id=3CsIXi)、
名城大学メールマガジン(http://www.meijo-u.ac.jp/about/pr/mail/backnumber/b_111014.html)でも紹介しています。


  • チャリティーランの最後を飾り、女子駅伝部の選手たちを先頭に走り出す参加者全員での最終ラン
    (10月30日午前10時50分、10号館前で)

最高の応援団

仙台ガーデンパレスでの「応援者懇親会」の舞台に戻ります。選手を代表して浦川選手とともに八木選手もあいさつのマイクを握りました。「今年の駅伝は自分たちにとって、思いの詰まった一戦で、走る前から泣いてしまうこともありました。先輩たちに代わって走るということは不安でしたが、たくさんの声援にどれだけ励まされたか知れません。沿道のあちこちに名城の方がたくさんいて、すごく力になりました。名城の応援団が一番だと思いました」。

「わー」「よく言った」。会場は一斉に大歓声と拍手に包まれました。東北支部の年輩の卒業生たちの中には、思わず目頭を押さえる人もいました。選手たちは、たすきとともに、母校と卒業生たちの絆もしっかりとつないでくれたのです。

「被災から立ち直ろうとする自分を励ますために」と日本舞踊を舞った宮城県栗原市の佐藤与吏子さん(1968年商学部卒)、奥さんや仲間にも協力してもらい「コンドルは飛んでいく」などアンデスのフォルクローレを演奏した仙台市の石原修治さん(1972年理工学部・建築卒)、名城節を踊った事務局長の土橋さん。母校と、そして全国の卒業生同士の絆を深める杜の都での宴。次々に祝福を受ける八木選手のお父さんも完全に名城ファミリーの一員になっていました。

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

名城大学総合政策部(広報)
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