特設サイト第14回 震災から学ぶ


  • 西尾さん(右手前)のインタビューに応じる大和田さん(11月21日、陸前高田市役所仮庁舎で)

東日本大震災では名城大学の教員たちもそれぞれ専門分野の立場から被災地の調査に訪れたり、復興にかかわる研究や活動に取り組んでいますが、震災から学ぼうと現地に足を運ぶ学生たちもたくさんいました。

市役所の情報発信を卒論に

都市情報学部の柄谷友香准教授のゼミに所属する4年生の西尾輝(ひかる)さんと鈴木直道さんは昨年11月21日、大学院修士課程の山田哲矢さんと共に岩手県陸前高田市を訪れました。同市をベースに被災地の人たちの生活再建についての調査活動をしている柄谷准教授とともに、復興に立ち向かう同市職員や仮設住宅の人たちから話を聞かせてもらうためです。西尾さんが特に話を聞きたかったのは災害時における市役所からの情報発信がどのようになされてきたかです。できれば卒論としてまとめるつもりでした。

未曽有の被害の中、陸前高田市でも防災行政無線やテレビ、携帯電話など情報通信手段が利用できない日々が続きました。情報を求め、市災害対策本部のある市学校給食センターを訪れる市民たちが相次ぎ、窓口は混乱状態に陥っていました。「何とか被災した市民たちが求めている情報を発信しなければ」。戸羽太市長ら市職員たちの切羽詰まった思いの中で、震災から1週間後の3月18日、「広報りくぜんたかた」の臨時号の発行が始まりました。

「インタビュー」の戸惑い

「広報担当者の方からのヒアリング調査をしたい」。西尾さんからの相談に、柄谷准教授は、迷いました。広報を担当する企画部協働推進室職員の大和田智広さん(33)を始め、市役所のスタッフたちの中には顔なじみも増えていましたが、学生が卒論を作成するための協力までお願いしていいものかどうか。震災発生から8か月が過ぎているとはいえ、まだまだ行政の仕事は多忙を極めています。しかし、大和田さんは「いいですよ。伝えることは大事だと思っていましたから」と引き受けてくれました。こうして、西尾さんが主な聞き手となっての2時間近い、大和田さんへのインタビューが実現しました。大和田さんは、「広報りくぜんたかた臨時号」が3月18日以来、ほぼ毎日のペースで7か月半にわたり、どのようにして発行され続けたか、ていねいに語ってくれました。

広報臨時号の発行

  • 3月18日の1号から10月26日の107号まで発行された「広報りくぜんたかた臨時号」

大和田さんは地元の岩手県立高田高校から福島大学行政社会学部に進学。陸前高田市にUターンして同市役所職員になりました。教育委員会学校教育課、農林水産部に各3年ずつ勤務し、広報担当部署である企画部協働推進室に移って4年目です。震災が発生するまで、月2回発行の「広報りくぜんたかた」の編集を担当してきました。

大和田さんも震災で自宅を失いましたが、両親、祖父ら家族は無事でした。災害対策本部が設けられた市学校給食センター内の6畳ほどの資料室が、仕事と生活の場になりました。資料棚、パソコンを置いた長机、布団。足の踏み場もない状態でしたが、ここで、大和田さんの広報づくりが続けられました。市の窓口業務の仕事もあるため、翌日号の紙面の原版が完成するのは午前0時ごろ。朝6時に起床し、同僚とともに近くの第一中学校の印刷機で約2500部を印刷。地区ごとに仕分して7時には避難所を巡回する自衛隊員に配達を託します。こうして、臨時号は3月18日の1号から毎日発行されました。5月8日からは週5日発行になりましたが発行は10月26日の107号まで続けられました。

生活情報を詰め込む

A4版裏表1枚の「臨時号」は、被災した市民たちが、市民同士や市役所との絆を確かめるためには欠かせないものになりました。小中学校の登校日、入浴サービスの場所と時間、仮設住宅の申し込み。住民たちが知りたがっている生活情報が短いフレーズでどんどん詰め込まれていきました。

1号に掲載された「Q&A よくあるご質問」の8例です。「Q1 一般車両のガソリン・燃料の調達は?」。回答は「A1 ただいま、燃料が不足しております。本部にある燃料は緊急車両(救急車、自衛隊車、重機など)の優先的に給油されます。車での外出は極力避けるようにご協力をお願いします」です。

Q2~Q8の質問部分も見てみましょう。Q2紙おむつやミルクなどの生活用品の調達は? Q3水道・電気・ガスの供給のメドは? Q4携帯・固定電話通話エリアは? Q5薬はどうなっているのか? Q6透析の患者の移動はどうすればいいのか? Q7遺体の安置所は? Q8死亡届はどうすればよいか?――。
 これらへの回答は「A2 本部裏の倉庫で生活用品を配布しております。必要な方はお申し出ください」など、ほとんど2、3行で紹介されています。

「Q&A」や一般記事で扱う材料はどんな判断で決めるのか。短いフレーズの「言い切り型」が多いのはどうしてか。西尾さんの質問に大和田さんはていねいに答えてくれました。

ツイッターのアナログ版

殺到する住民たちからの問い合わせ、要望に対し、広報担当の大和田さんは一手に対応を引き受けざるを得ない状況にありました。陸前高田市では津波によって市庁舎が全壊し、職員の約4分の1にあたる113人が死亡・行方不明となりました。ひっきりなしの問い合わせ。個々の部署には対応する余裕がなかったのです。「生き残った自分が何かしなければ」。大和田さんは自分にそう言い聞かせました。

情報を求めて次から次に訪れる被災市民たち。"盾"とならなければならなかった大和田さん。大和田さんはA4サイズ1枚にワード打ちでもいいから広報紙を発行して、市役所で把握している情報をどんどん発信していくしかないと覚悟しました。このため、各部署が発信したがっている情報を集めました。記事は本来の担当である各部署には依頼せず、全て大和田さんが集約して書くことを条件に「広報りくぜんたかた」の臨時号発行が決まりました。記事を短いフレーズ中心にしたのは、ツイッターの「つぶやき」がヒントになりました。「おじいちゃん、おばあちゃんに伝えるにはこれが最適。ツイッターのアナログ版だ」。大和田さんはそう割り切りました。

卒論発表会

  • 3ゼミ合同で行われ卒論発表会(1月28日、都市情報学部3107教室で)発表する西尾さん
  • 説明に使用されたパワーポイント画面

1月28日。都市情報学部3号館の教室で行われた若林拓史教授、鈴木淳生准教授、柄谷准教授の3ゼミ合同で開かれた卒論発表会。欠席者2人を除く18人が発表しましたが、西尾さんは「東日本大震災発生時における岩手県陸前高田市の災害情報発信の実態に関する研究」のテーマで発表しました。発表7分、質疑3分。持ち時間は10分です。

西尾さんはパワーポイント画面を使いながら、被災者が命をつなぐために不可欠な生活情報を得る手段がないなかで、陸前高田市が震災発生1週間後から広報臨時号発行に踏み切った経過を発表しました。

「広報担当者のA氏(大和田さん)が、災害対策本部を訪れる住民たちの対応しながら広報を作成したことで住民たちの情報ニーズが把握しやすかった。さらに広報担当者が住民側だけでなく、行政側各部署を回り、積極的に情報を集約していたことで、必要とする回答や情報がスムーズに発信できた」。「結論」では、災害対策本部立ち上げ直後の業務量の多さに伴うサポート体制の必要性をあげたほか、複数の手段による災害情報の発信体制の確立が求められるのでないかと指摘しました。

現場の声を聞いて

西尾さんと一緒に陸前高田市を訪れた鈴木さんも「東日本大震災における市対市の行政支援の成果と課題に関する研究」のテーマで、名古屋市が陸前高田市に職員を長期にわたって派遣している行政支援についての研究結果を発表しました。

名古屋市は陸前高田市の深刻な被災状況を視察したうえで昨年4月以降、住民票交付や復興計画策定など23分野で職員132人(1月末時点)を陸前高田市に派遣しています。従来の被災自治体への支援では、どこの自治体が何を支援するかは国が決めて、派遣期間は長くて1か月程度と短期です。これに対して名古屋市は「パッケージ(丸ごと)支援」と呼ばれる支援を行っています。常時20人以上の派遣職員が部署単位での丸ごと支援にあたっています。

鈴木さんは名古屋市派遣の2人の職員にインタビューを行い、「部署単位で丸ごと支援することで効率がよく、引き継ぎもスムーズにいく。長期的な復興計画も立てられる」とパッケージ支援の意義について聞き取りを行いました。

西尾さんも鈴木さんも、行政担当者だけでなく、柄谷准教授に紹介してもらい、仮設住宅住民たちの声も聞き、問題点や課題を探していました。行政担当者の指摘がどれだけ住民たちの声を反映したものなのかどうか。現場の声を聞くことで、インタビューに応じてくれた担当者たちの説明を、背景も含めて納得することができました。

ボランティア活動の比較

3ゼミ合同卒論発表会での18人の発表者のうち、柄谷ゼミ生の発表者6人は全員が震災関連の発表でした。荒川元喜さんと柴田耕平さんはともに名城大学が宮城県気仙沼市大島に学生たちを派遣して実施したボランティア活動と、NPO法人が一般参加者を募って実施ししたボランティア活動との比較を中心にした研究結果をまとめました。柴田さんは6月2日~5日の大島ボランティアに参加したほか、柄谷准教授から「募集しているよ」と教えてもらった静岡県ボランティア協会が募集したボランティア活動に参加。6月30日~7月4日、岩手県遠野市をベースに、陸前高田市、大槌町で瓦礫の撤去や清掃などのボランティア活動を体験しました。

「名城大学で参加したボランティアは人生経験というか、体験することの意義を感じることがメーンだと感じましたが、社会人も加わったボランティア活動だと、専門性を生かした活動が用意されていました」と語る柴田さん。卒論発表では、ボランティア活動を行ううえでの「教育機関とNPOの情報の共有化」「被災地への関心の希薄化防止」などを課題として挙げました。

被災地でのボランティア活動では、鈴木さんも陸前高田市で、西尾さんも宮城県石巻市での活動を体験しています。柴田さんの発表に対する質疑では、ほかのゼミ生からも「自分もレスキューストックヤードというNPOや名城大学のボランティア協議会での活動に参加しており、関心を持って聞かせてもらいました」という声も聞かれました。

被災地を心に刻んで

ゼミ生たちが仕上げた卒論についての柄谷准教授の感想です。「リアリティがありました。行政の情報発信や行政間の支援の在り方など難しいかなと思ったのですが、それぞれの視点を持って、一生件懸命取り組んでくれました。発表した学生たちは研究者になるわけではなく間もなく就職します。私も含めて被災地に一緒に並んで見て、学生たちには若い、新しい感性で見てほしいと思いました。彼らの心に何らかの形で、あの大変だった年に、自分も被災地に行ったんだということを刻んでもらえればそれでいいと思います」。

西尾さんが、大和田さんへのインタビューをもとに卒論発表を終えたことを知らせようと、大和田さんに電話してみました。大和田さんは、「ボランティアに訪れた学生たちに被災状況を説明したりすることはありましたが、卒論とか研究目的でのインタビューに応じたのは初めてでした。自分の取り組みが卒論テーマとして分析されるとは思いませんでしたが、私も自分の仕事や行動を客観的に振り返ることができました。今後の災害発生時の情報発信の有り方としても大切な研究になったのではないでしょうか」とうれしそうでした。


  • 卒論発表を終えたゼミ生らと柄谷准教授(1月28日、3107教室で)

被災地を心に刻んで

  • 陸前高田市の被害状況について柄谷准教授から説明を受ける学生たち(10月9日)
  • 明治三陸地震津波(1896年)の反省から高台移転し、被災を免れた大船渡市吉浜地区で佐藤さん(左)から説明を受ける学生たち(10月10日)

都市情報学部では昨年10月8日~11日、希望学生を募り、被災地の岩手県陸前高田市、大船渡市を訪れる3泊(うち車中2泊)4日の体験ツアーを実施しました。「現場力強化プロジェクト」という、2010年度から行っている、学生に現場を体験させる事業です。2010年度は11事業が実施されました。

陸前高田市、大船渡市を訪れた11人は8日夜、海道清信教授の見送りを受けて名古屋駅を出発。9日午前11ごろに陸前高田市に到着し、大野栄治学部長、柄谷准教授、福島茂教授、鈴木淳生准教授と合流し、柄谷准教授の案内で、津波で全壊した市役所など震災の爪痕が生々しい市内や仮設住宅など見て回りました。10日は隣接する大船渡市に入り、名城大学卒業生(1973年理工学部建築学科卒)で、同市災害復興計画策定委員でもある防災研究家の佐藤隆雄さんの案内で同市内を視察。学生たちは、市役所が津波被害を免れたことで行政が打撃を受けることがなかった大船渡市と陸前高田市との復興のスピードの違いを実感しました。

「特に印象に残っているのは陸前高田市の市役所です。4階建ての建物で、屋上のさらに上へ避難された方々のみ助かったと言われる場所です。津波の大きさ、恐怖を痛感しました」「仮設住宅で住むことを強いられている方々は、いきなりの訪問者にもいやな顔一つせず、むしろ歓迎してくれたことに驚きました」「印象的だったのは被災した地域ごとに復興のスピードが違うことです」「被災した地域と被災しなかった地域の両方を自分の目で見ることができたこと、現地の人の声を聞くことができ良い経験になりました」。

参加学生たちが書いたレポートからの抜粋です。紹介してくれた福島教授は「大変短い現地滞在期間であったこともあり、感想文の域を出ませんが、彼ら・彼女なりに色々なことを感じたようです」と話してくれました。

今夜は夜警です。

大和田さんが中心となって発行が続けられた「広報りくぜんたかた臨時号」は昨年10月26日の107号が最後となりました。震災前まで8ページスタイルで874号まで発行されていた「広報りくぜんたかた通常号」が7か月半ぶりに875号として復刊したからです。10月19日、「復興祈念特別号」として発行された「広報りくぜんたかた10月号」はA4版カラー18ページ。表紙には大震災翌日の3月12日に誕生した赤ちゃんと母親の写真が掲載され、巻頭で戸羽市長の復刊にあたっての決意が述べられています。≪いつの日か「津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市が、このように素晴らしいまちに生まれ変わったのか」と世界中から賞賛をいただけるように、復興に向け全力で取り組んでいきます≫。

写真、記事、見出し、レイアウトは全て大和田さんの手によるものです。見開き特集には「風化させてはならない "黒い悪魔"の脅威」の横見出しとともに、大和田さんが震災当日に撮影した、押し寄せた津波が防潮堤を越え、市中心部が水没するまでの4枚の写真も掲載されました。大和田さんはあの日も、カメラを手に市内の保育園に向かう途中に激しい揺れに遭遇しまいた。「でかい津波が来る」と直感して、高台まで全力疾走し、大津波を300枚の写真に収めていました。特集面には震災から7か月の記録や震災直後の街を支えた医師や消防団、ボランティアの活動も紹介されています。


  • 復刊した広報通常号の「復興祈念特別号」の特集面では記録に残そうと8枚の写真を掲載。
    上4枚は大和田さん撮影。下はアップした4枚です。

午後3時21分

午後3時24分

午後3時26分

午後3時28分

1月15日付の広報881号の編集作業が一段した1月11日、大和田さんはツイッターでつぶやいていました。≪今夜は今年初の消防団の夜警。自分が津波から難を逃れたのは消防団活動をしていたからだと思っている。あの日、地震が起きてから「でかい津波が来る」と直感したのも、日頃の危機意識があったからこそ。団の先輩から「自分の身の安全を確保してから、人を助けろ」と言われていたことも幸いした。≫(1月11日 )

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「名城大学きずな物語」では、東日本大震災を通して、名城大学にかかわる人たちを結びつけた絆について考えてみたいと思っています。「名城大学きずな物語」を読まれてのご感想や、どのような時に名城大学との絆を感じるか、母校とはどんな存在なのかなど、思いついたご意見を名城大学総合政策部(広報)あてに郵便かEメールでお寄せください。

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