育て達人第028回 米田 勝朗

15年目の女子駅伝部   全国舞台で大きく成長

女子駅伝部監督 法学部 米田 勝朗 教授

 昨年は10月の第26回「杜の都駅伝」(仙台市)、12月の第6回全日本大学女子駅伝(茨城県つくば市)で、いずれも3位に輝いた女子駅伝部。優勝争い常連チームに育てあげた監督の米田勝朗法学部教授に15年目となる今年の抱負をうかがいました。

――1月11日に京都市で開催された第27回全国都道府県対抗女子駅伝では、監督を務めた愛知県チームは10位でした。名城大の女子駅伝部員たちもそれぞれの出身県チームの一員として、たすきをつなぐレースに参加したわけですね。

「競技に取り組む意識はとても高くなった」と語る米田監督

「競技に取り組む意識はとても高くなった」と語る米田監督

 都道府県対抗では選手たちは出身高校所在地の県代表として走ります。名城大からは女子駅伝部11人がエントリーされ、熊本、大分、長崎、岐阜県などのチームで7人が走りました。女子駅伝部員の出身者は全国に広がっており、愛知県チームには一人がエントリーされただけでした。

――昨年も、女子駅伝部の力走はテレビや新聞でも大きく報道されました。

 2005年の「杜の都駅伝」での優勝実績から、周囲からは日本一への期待をひしひしと感じました。プレッシャーの中で、悪くても3位にとどまったことで、今年はまたチャンスがめぐってくるかなと考えています。立命館みたいに、強い選手がどんどん入ってきて、1年生でほとんどメンバーを組むような大学と違って、本学では4年かけてじっくり選手を育ていかなければなりません。しかも、駅伝は1回きりの勝負。大エースもいない分、6人がしっかり力を出し切らなければなりません。学生たちは、「何とか日本一に」とよく頑張りました。今年への期待につながる3位だったと思います。

――「優勝圏内のチーム」という評価が定着すると、「名城大で駅伝をやってみたい」という高校生たちがどんどん出てきそうですね。

 期待できると思います。「つくば」では、3位でゴールした名城大と4位とでは2分以上の差がつきました。2分以上の差が出るというのは、女子駅伝に関しては大学チームの実力が2極化しているといえます。名城大に女子駅伝部が誕生したのは14年前の1995年ですが、部員集めも大変でした。最近は、確かに全国で知名度がアップしたせいか、名城大で走りたいと入ってくる学生が多くなりました。

――創部当時は指導も大変だったのでは。

 女子学生ばかりの指導は初めてで、戸惑うこともありました。東海地方の大学の先生方に「日本一をめざしている」と話したら「この地区で日本一なんかなれるはずがない」と一蹴されました。確かに、関東、関西の大学にはかなわないという雰囲気はありましたが、私も26歳という若さもあり、「いや、できる」と信じていました。私が卒業した日体大の陸上部は700人の部員がいて、私もマネージャーとして選手指導の経験もありますし、OBたちを通じ、全国の大学や高校とパイプがあります。2人だけの部員を、日体大や、先輩たちが指導している大学とか、関東での試合に連れて回りました。日本の大学のトップはこういうレベルで走っているんだということを実際に見せ、吸収してもらうためです。

――部員たちの意識は、今では相当高くなっているのではありませんか。

 部員たちは大学近くで寮生活をしながら、毎朝6時半から1時間走ります。自分たちで用意した朝食を済ませてから1時限目の授業に出ます。練習は午後4時半からです。大学スポーツなので、監督の言いなりではなく、自分で競技を追及していくスタイルを追求してほしいと思っています。

――部員の誕生日にはケーキを差し入れることもあるそうですが。

 競技で成果を残すには、ある程度体を絞りこまなければなりません。食事では必要なものはしっかり食べ、必要でないものはできるだけ排除する考えが必要です。甘いものはそれだけ脂肪がつきやすいわけです。とは言っても女子学生たちですから、甘いものには興味のある年頃です。せめて誕生日くらいは思って差し入れて、みんなで楽しみます。部員たちは、私が言わなくても厳しく自己管理しており、食べ過ぎたと思えば翌朝は20分、30分は長く走ることで埋め合わせています。意識は相当高くなっています。

――女子駅伝部の活躍は、一般学生や卒業生たちにも元気を与えています。

 箱根駅伝ほどではないにしろ、母校の学生たちの力走が全国で中継されているのを見るのはうれしいことです。出ることさえ全国で25校だけなのに、先頭を走り、優勝争いしてくれるのですから。部員たちの同級生たちも応援してくれていましたし、OBの方々は相当うれしかったようです。関東や関西の大学に比べらたらまだまだですが、スポーツを通じて母校が燃えるいい機会になっていると思います。

――4年間、頑張っても晴れ舞台を経験することなく卒業する学生もいるわけですね。

 最初のころは途中退部者もいましたが、ここ10年近く、退部者はいなくなりました。私は高校にスカウト行った時、口を酸っぱくして言うのが「記録なんて4年間が終わってみなければわからない。強くなりたかったら、4年間、絶対やりとおす覚悟をもってきてほしい」ということです。晴れ舞台に立てずに終わる子もいます。昨年12月の東海学生女子駅伝には26人の選手がいる名城大は3チームを編成。全員1年生のチームは2位中京大に6分差をつけ優勝しました。大きな大会に参加経験のない上級生もまじる2チームもオープン参加し、記録は2、3位でした。気持を切らさずに一生懸命、競技に打ち込んでいるからこそです。3チーム出てもこの地区の大学には負けません。

米田 勝朗(よねだ・かつろう)

宮崎県出身。日本体育大学卒、同大大学院体育学研究科修士課程修了。学生、大学院生時代は陸上部マネージャー、箱根駅伝コーチ。1995年に名城大学に助手として赴任、女子駅伝部を設立。講師、助教授、准教授を経て現職。専門は運動方法学。40歳。

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