育て達人第062回 三澤 博敬

働きながら土木学んだ中村キャンパス

大切にしてほしい学びへの情熱

名城大学技術士会会長 三澤 博敬 さん(理工学部OB)

 「技術士」の資格を持つ卒業生有志の会「名城大学技術士会」が発足3年目に入りました。技術士は難関の国家資格で、全国17大学に、それぞれの卒業生たちによる技術士会が組織されていますが、中部地区で技術士会が誕生しているのは本学だけです。初代会長の三澤博敬さん(1966年卒)に、OBの立場から母校への思いを語っていただきました。

――名城大学技術士会の設立の狙いを教えて下さい。

「名城大OBのパワーは大きい」と語る三澤さん

「名城大OBのパワーは大きい」と語る三澤さん

 名城大学は1926年に名古屋夜間高等理工科講習所として開学しましたが、理工学部はその主軸として約5万5000人の人材を送りだし、産業技術の世界的な集積地である中部地区の発展と地域活性化に貢献してきました。名城大学技術士会は、実社会で活躍している名城大学卒業の技術士有志が、自らの研鑽と母校の教育・研究活動への協力、特に国際社会に通用する技術者の育成を目指すJABEE教育、技術士資格取得支援などを行うことを目的に2008年2月に約90人で発足しました。現在約150人の会に成長しました。

――どんな学生生活を送られたのですか。

 長野県の工業高校を卒業して建設省(国土交通省の前身)に就職し、富山県にある工事事務所に勤務しました。ところが伊勢湾台風(1954年9月)が発生し、復旧工事のために全国の地方事務所から人が集められ、私も富山勤務は9か月だけで名古屋に移動になりました。崩壊した護岸など、復旧工事の設計審査を担当しましたが、毎日夜10時、11時ごろまで仕事に追われました。復旧作業にめどがついた段階で、名城大学の第二理工学部(夜間部)に通いました。所属の中部地方建設局には当時、仕事を終えてから名城大学で学ぶ先輩や同僚がたくさんいたからです。当時は我が家も含め、多くの一般家庭にとって、子供の教育は高校までが限度で、大学まで進学させるのは厳しい時代でした。大学で学ぶには自分の力でお金を用意するしかなかったのです。当時の理工学部は現在、附属高校がある中村キャンパスにありました。私は建設工学科土木分科で、仕事を終えた午後6時ごろから夜9時すぎまで学びました。肉体的にも大変でしたが、経済的にはさらに大変で、授業料滞納でよく名前を張り出されました。

――国家公務員の給料でも十分ではなかったのですか。

 国も貧しかった時代でした。失業対策事業の日当が245円でニコヨン(100円が2つと45円)と呼ばれた時代です。7000円に満たない月給も2回に分けて支払われ、寮の食費3000円も寮のおばさんに頼み込んで分割にしてもらいました。

――それでも皆さんの向学心はすごかったのですね。

 苦労して算段した授業料で学んでいるわけですから、みんな必死でした。先生方も褒め方が上手でした。「夜間学生の方が成績がいい」と士気を上げてくれたり、時には酒を酌み交わしながら励ましてくれました。今でも同じ勤務先から第二理工学部に通った先輩、後輩で名城会という同窓会を開いていますが、技術職の官庁ということもあって、幹部のほとんどが名城大理工学部OBという時期もありました。私もずっと富山に勤務していたら、行きたかった大学へは進学できなかったでしょう。伊勢湾台風は大きな爪痕を残しましたが、そのことで私は名古屋に来て、名城大学で学ぶことができました。運命の不思議さを感じます。

――外から見た母校の印象をお聞かせ下さい。

 大学の創立75周年、校友会の創立50周年など盛大な記念行事などを見ていると、16万人を超す卒業生を送りだしてきた名城大学のパワーは大変なものだと思います。特に校友会の記念行事では、若い卒業生の皆さんが力を合わせ、よくぞやってくれたという思いです。16万人の中にはお互いが知らないだけで、社会の様々な分野で活躍しているその道の達人や卒業生がたくさんおり、中部地区の様々な分野の発展を支えていると思っています。

――OBとして学生へのメッセージをお願いします。

 学生は勉強するのが当たり前ですが、学ぶことに情熱を持つことの意義を改めて自覚してほしいと思います。努力し、継続することは大きな力になります。挫折しても立ち直る力を蓄えておいてほしいと思います。私も何度も挫折しましたが、立ち直って仕事を覚えてくると仕事は面白くなってきます。在学中はあまり感じないかも知れませんが、卒業すれば母校という看板をずっと背負っていくことになります。その看板も多くの卒業生たちが歯を食いしばり、辛抱を重ねて引き継いできたものだと思います。私たち技術屋は現場経験を第一にやっていますが、パソコンばかり相手にしているとどうしてもコミュニケーション不足になりがちです。人に伝えなければ現場は回りません。そのコミュニュケーションの基本は何といってもあいさつです。学生時代に、しっかりあいさつする習慣を身につけてほしいと思います。

三澤 博敬(みさわ・ひろゆき)

長野県出身。建設省(現在の国土交通省)中部地方建設局に勤務しながら名城大学第二理工学部建設工学科土木分科卒。元中部地方建設局企画部技術審査官。2008年2月、名城大学技術士会設立とともに初代会長に就任。2010年5月、瑞宝双光章を受章。70歳。

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