育て達人第068回 柄谷 友香

生き方変えた阪神・淡路大震災の体験   地域再生へ自助、共助、公助のあり方探る

都市情報学部 柄谷 友香 准教授

 都市情報学部の柄谷友香准教授は大学4年生の時、入院中の兵庫県尼崎市の病院で阪神・淡路大震災を体験しました。泣き叫ぶお年寄り、走り回る看護婦さん。窓の外では緊急車両が慌ただしく走っていました。災害に対し自分は何をできるのか。震災体験は柄谷准教授の研究者としての生き方にも大きな影響を与えることにもなったそうです。

――なぜ工学部土木工学科を選んだのですか。

「若いうちから自分の幅を決めてしまわないこと」と語る柄谷准教授

「若いうちから自分の幅を決めてしまわないこと」と語る柄谷准教授

 高校までは神戸市にある中高一貫の女子校でしたが、空港とか橋などの建設にかかわる仕事をしたいと思いました。海外旅行などで飛行機を身近に感じ、パイロット、スチュワーデスとか華やかな世界ではなく、空港とか大きな構造物を造りたいと考えたからです。恩師は海岸工学が専門で、修士課程まで師事しました。海岸環境の調査では、学生たちと一緒に海岸近くに泊まり込んで指導していただきました。潮が引くと全員が胴長長靴で生物や水質の調査をするといったスタイルでした。

――阪神・淡路大震災はどこで体験したのですか。

 体調を崩し、震災直前のクリスマス日に、自宅のある尼崎市の病院に入院しました。大学4年の時です。卒論をまとめなければならなかったので、共同研究をしている友人たちが毎日のように来てくれ、ベッドの上でパソコンをカチャカチャさせていました。そして年が明けて1995年、1月17日の朝がやってきました。ドーンと大きな揺れがきたとき、最初は薬の副作用で自分だけがおかしくなったのかと思いました。しかし、周りではおばあちゃんが鳴き叫ぶなど混乱状態で、大震災であることがわかってきました。電気、水道が止まるなか、透析が必要な患者さんのための水の確保に看護婦さんが走り回っていました。やがて、運び込まれた負傷者を収容するため、症状の軽い入院患者さんは退院させられることになり、慌ただしく入れ替えが行われました。

――病室ではどんなことを考えましたか。

 自家発電の薄明かりの中を病院の人たちが懸命に動き回る一方で、私がいつも励まされていた看護婦さんたちが泣いているのを見ました。患者さんをケアする看護婦さんにも心のケアが必要なんだと思いました。一緒に雑談をして励ましたり、パソコンで打てるものは手伝ったりしました。それまで、入院した自分を「何で私だけがこんなつらい思いを」としか考えていませんでしたが、みんながつらい状況になっていたのです。気がついたら看護婦さんを助け、透析している患者さんの手を握って励まし、患者同士のコミュニケーションづくりに役立とうと動いていました。助け合い、励まし合いながら「人ってすごいな」と涙が出ました。

――震災体験が、都市防災計画の研究に進む契機となったわけですね。

 関西大学での修士論文は海岸環境についてまとめましたが、京都大学の博士課程では災害と人についての研究に取り組みました。震災を体験した一人として、自然科学としての災害というよりは社会科学としての災害の研究こそが自分に課せられたテーマではないかと思ったからです。震災で生き残った人たちにはこれからも長い人生があるわけです。被災地は人の力、行政の力などを生かしながら、どのように再建されていくのか。このプロセスを追いながら自助、共助、公助のあり方を探ってみたい。そうした思いが、入院中に震災を体験して以来、私の中にありました。論文は社会科学的側面も含め総合的な防災研究を行う京都大学防災研究所の研究室でまとめました。

――柄谷研究室のホームページを見ると「研究室に行けば元気がもらえる」という書き込みがありました。

 最初に教えた学生たちが書き込んだものです。私は外の仕事も多いのですが、戻ってくると相談に乗ってほしいと待ち構えている学生がいてくれます。授業、留学、就職についてなど様々で、一歩前に進みたいけれども足踏みしている場合の相談ですね。そうした学生たちの背中をポンと押す、これも私の役割です。みんないいものを持っており、小さな達成感を積み重ねることで自信をつけてほしいと思うからです。ゼミではコミュニケーション力を一番大切にし、自分の力が発揮できるよう全員にいろいろな機会を与えています。

――学生たちへの注文をお聞かせ下さい。

 若いうちから既成概念にとらわれたり、自分の幅を自分で決めてしまうことはしない方がいいと思います。素晴らしいチャンスを逃してしまうからです。何事にも興味を持ち、やってみようというチャレンジ精神がとても重要だと思います。研究では1歩進んでも5歩ぐらい後退することがありますが、そのプロセスがとても大事で、やったことは一つも無駄にはなりません。若いころには無駄かなと思えることでも、たくさん経験することです。将来、共に高め、時には支えてくれる人にきっと出会えるはずです。

柄谷 友香(からたに・ゆか)

兵庫県尼崎市出身。関西大学工学部土木工学科卒。同大大学院工学研究科修士課程修了、京都大学大学院工学研究科博士課程修了。博士(工学)。(財)阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター専任研究員、京都大学大学院工学研究科助手を経て2006年に名城大学都市情報学部助教授、07年から現職。専門は都市防災計画、都市地域計画。

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