育て達人第076回 鈴木 正之

苦学しながら在籍した相撲部で最後の貢献   部活動で得る体験はかけがいのない財産

理工学部 鈴木 正之 教授(トレーニング科学)

 理工学部で体育科目を担当する鈴木正之教授は本学での教員歴が2011年で50年目を迎えます。夢を膨らませて飛び込んだ学生相撲と家庭の事情での頓挫。本学でも相撲部を旗揚げし、学生たちの活躍に夢を託したことのある鈴木教授に聞きました。

――高校、大学時代は相撲部だったのですね。

「中村校舎時代の勤労学生のハングリー精神には敬服しました」と語る鈴木教授

「中村校舎時代の勤労学生のハングリー精神には敬服しました」と語る鈴木教授

 静岡県の県立田方農業高校相撲部で、全国大会や国体にも出場しました。日体大でも相撲部に入り、いきなり東日本学生相撲選手権で予選リーグを勝ち抜き、優秀選手に選ばれるなど順調なスタートを切ることができました。ところが1年生の終わり、ミカン農家だった実家が始めた温泉旅館が倒産してしまいました。山一つがミカン畑でしたが全部売り払っても間に合いませんでした。寮生活を送りながら相撲にどっぷりつかっていた私は、仕送りはなくなり、自立するしかありませんでした。

――アルバイトをしながら学費、生活費を稼ぐ学生生活に一変したわけですか。

 そうです。寮を出て、半端ではないほどいろんなアルバイトに明け暮れました。おもにやったのが土木作業です。工事現場では掘削機械はまだ本格的には使われておらず、人力が頼られた時代でした。ビル工事現場で支柱を打ち込むための穴掘りに汗を流し、特に夏休みや春休みなど長期の休みには集中してやりました。日曜日ごとにやったのは製氷作業です。まだ電気の冷蔵庫は普及しておらず、冷蔵庫には氷が不可欠でした。夜間から明け方、ドラム缶に水を集めて凍らせて、できた氷を切断する作業です。2日連続ではとても体が持たないきつい仕事でした。

――それでも相撲部は続けたのですか。

 当時の相撲部の監督で、後に学長も務められた塔尾武夫先生に「自分でやれるだけやってみなさい」と励ましていただきました。できるだけのことをやり、ギブアップはそれから考えようと決めました。退寮はしましたが退部はせず時間を見つけては相撲の練習も続けました。ただ、学生相撲では、学年が上がるごとに対外試合出場のチャンスが増えるのですが私には無縁でした。4年生の時はリーグ2部でしたが、入れ替え戦に出させてもらい何とか1部昇格に貢献させてもらいました。今でもささやかな誇りです。

――名城大学にも相撲部をつくられたわけですね。

 赴任した1962年当時、理工学部は附属高校のある中村校舎、法商学部は駒方校舎での授業で、いずれも一部と二部がありました。私の所属する理工学部だけでも5000~6000人の学生がいたと思います。運動場も体育施設も整っておらず、鶴舞公園や瑞穂グラウンドでの集中講義もしました。昼夜の授業、附属高校の授業も持つ中で相撲部を旗揚げしたところ、学生、高校生20人近くが集まりました。1967年に天白キャンパスに移ってからは現在の共通講義棟北の裏に当たる場所に、屋根付きの立派な土俵も出来ました。土俵開きには九州場所に向かう途中の大関北の富士関が立ち寄ってくれました。しかし、相撲部の練習は冬でも外。まわし姿で練習をするわけですからきつい。部員は減り続け、1976年、廃部となりました。相撲部員のいない土俵では、ラグビー部に頼まれ、フォワードを鍛えるために、ぶつかり稽古の相手をしていました。

――教員として2011年で50年目となる感想をお聞かせ下さい。

 天白キャンパスに移ってからは、体育施設を少しでも充実させたいと競技場や体育館の設計図面を自ら引き、教授会を通し実現に努めました。学生規模に体育、運動施設が追い付かない状態で、6号館の学生食堂上に造った体育館は、ロッカーもシャワーもトイレもない練習スペースのフロアを設けるだけで精一杯でした。中村校舎時代も含め学生たちの学生生活での意欲、自立心は極めて旺盛でした。特に印象に残るのは、昼の勤務を終えてから学ぶ二部の学生たちのハングリー精神です。体育の必須単位も今は2単位ですが、当時は4単位でしたから、負担は大変だったと思います。

――学生たちへのアドバイスをお願いします。

 部活の勧めですね。私の学生時代の相撲部での体験もそうですが、部活で得た子弟関係、部員間の人間関係などの体験はかけがいのない財産です。今、部長をしているバーベルトレーニング部は30人がパワーリフティングとボディービルの2競技に取り組んでいます。マイナーなスポーツだということもあって、大学に入ってから始めた部員がほとんどですが、2010年度は4人が世界大会に出場しました。10人の卒業生のうち大学院進学の1人を除く全員が就職を決めています。部活での体験が企業から評価されたのだと思います。

鈴木 正之(すずき・まさゆき)

静岡県出身。日本体育大学卒。1962年に名城大学理工学部に技術員として赴任。助手、講師、助教授を経て現職。スポーツ筋力トレーニングの理論や実技の市民向け普及活動にも力を入れており、近著「女性アスリートのための筋力トレーニング科学」など著書は25冊。日本ニューダンベル協会理事長。71歳。

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