育て達人第081回 坂 齊

天上の喜びと共に歩んだ研究・教育40年   いつでもグローバルな視野で学ぶ習慣を

学術研究支援センター長 農学部 坂 齊 教授(植物生理生態学)

 学術研究支援センター長の坂齊・農学部教授の退職記念最終講義が行われました。日本の農業に直結する農水省研究機関での基盤研究。その成果を還元させた東京大学、名城大学での教育・研究活動。坂教授がイネをベースに、生理生態学研究に取り組んだ半生を振り返ったサヨナラ講義のテーマは「天上の喜びと共に歩んだ40年の研究・教育」でした。

――どうして農学部を選んだのですか。

「研究・教育も人生も大きな視野でみることが大切」と語る坂教授

「研究・教育も人生も大きな視野でみることが大切」と語る坂教授

 家が農家だったこともあります。中でもイネへの興味は、コメが主食で基幹作物だったからです。何しろ、私が名古屋大学に入学(1961年)の頃は、生協に米の配給帳を提出しなければならないほど食糧増産が求められていた時代でした。2年生の時、教養部科目の植物生理学の授業が鮮烈な印象として残っています。植物の茎を切り、切り口にオーキシンという植物ホルモンを与えると固まりができ、やがて新しい芽が出てくるという講義でした。この時の興奮がイネとホルモン、組織培養の研究に関わるきっかけになりました。

――農水省の研究機関に就職したのも食糧増産への使命感ですか。

 基礎研究が中心の大学院の仲間同士で、「本格的に作物増産の研究をするには農林省(現在の農水省)でなければ」とよく話題になりました。ボス(指導教授)から「農林省に行かないか」と声がかかった時は飛びつきました。農林省にはたくさんの研究機関があり、農業技術研究所の生理遺伝部農林技官・研究室長(作物生理研究)という肩書が28年に及ぶ農水省での研究生活のスタートでした。つくば研究学園都市での研究生活では、再編後の農業環境技術研究所や農業生物資源研究所に所属し、さらに札幌市と新潟県上越市の試験場で研究管理・運営にも従事しました。どこでも研究所前に広がる田んぼや畑と研究室を白衣姿で往復する日々でした。ただ、やがてコメは過剰時代を迎えます。収量よりもおいしいコメ、量より質を高める研究が求められるようになりました。

――54歳で東京大学の教壇に立たれました。

 「農水省での研究実績を教育として還元してみないか」という誘いをいただきました。東大の定年は61歳でしたが、わずか7年でも、蓄積した成果を次の世代に役立ててもらいたいと思いました。とは言え、東大からは「最先端の研究があって初めていい教育もできます。研究はしっかりやって下さい」と厳しく注文されました。おかげで再び本格的な研究と教育の世界に関わることになりました。農水省ではコメ増産の研究は細りましたが、大学ではグローバルな視点での農業・農学を指向できます。海外に目を向ければ東南アジアやアフリカなど、コメの増産が迫られている国々がたくさんあり、増産研究は必須なのです。私も増産に関わる技術支援等のためにタイ、フィリピンをはじめ海外に出ました。

――名城大学での6年を振り返っての感想をお聞かせ下さい。

 東大でも名城大でも教育の基本姿勢は変えませんでした。意欲のある学生たちは東大でも名城大でも大差はありません。農水省時代におけるJICA(国際協力機構)の技術移転事業参加や米国留学、国外学会の経験を基に、学生たちには、海外に目を向けて農業・環境を学ぶとともに、それを通じた開発途上国への技術支援を呼びかけました。両大学には、大学で学んだ農学の知識に加え、海外渡航も経験してスキルを高め、JICAの試験を受けて青年海外協力隊に参加した学生たちがたくさんいます。今年度も私の研究室分も含め3人がオーストラリアや米国に農業研修に出かけたり、協力隊員として中米に行く卒業生がいます。一方、学術研究支援センター長だった3年間は、教員の科学研費補助金(科研費)獲得の支援など、事務職員の皆さんと教員の連携の重要性を改めて思い知りました。

――最終講義のテーマは「天上の喜びと共に歩んだ40年の研究・教育」でした。

 高校卒業後に家を出て、大学・大学院で学び、40年間に及んだ農水省そして東大、名城大での研究・教育人生。そして68歳で再び家に帰ります。イネの組織培養研究で学位を取り、学生時代を含めるとほぼ50年、ずっとイネ・ホルモンについての研究を続けることができました。後半13年間は環境科学教育にも携わり、望外の幸せを味わいました。2月12日の最終講義では、ちょっと恥ずかしかったですが「天上の喜び」という言葉を入れました。今後は自由になる時間を、読書等とともに、学生たちの卒論や修論・学会発表資料に手を入れて、論文として光を当ててやるつもりです。せっかく価値ある実験データをまとめた学生たちの頑張りや成果を埋もれさせずに、社会に還元することが大事だと思います。

――学生たちに最後のエールをお願いします。

 物事を常にグローバルに見る習慣をつけてほしいですね。就職先にしろ、最初から「どうしても名古屋で」と考えるのではなくて、海外にも目を向けて勉強してほしいと思います。最終講義のパワーポイントは米国モンタナ州の風景画面で締めくくりました。私は車が大好きで、調査研究で訪れた米国では、果てしなく続くモンタナの大地を何度かドライブしました。地平線に向かって一直線に続く道路。広大な風景と向き合いながら、研究・教育も人生も大きな視野から見ることが大切なのだと自分に言い聞かせました。

卒業生も含め100人を超す学生・教員たちを前にした坂教授の最終講義(共通講義棟北201講義室で)

卒業生も含め100人を超す学生・教員たちを前にした坂教授の最終講義(共通講義棟北201講義室で)

坂 齊(さか・ひとし)

三重県出身。名古屋大学農学部卒。同大大学院農学研究科博士課程中退。農学博士(名古屋大学)。農水省の農業技術研究所などを経て1997年から東京大学農学部教授。同大名誉教授。2005年から名城大学農学部教授。2008年から学術研究支援センター長。68歳。

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