育て達人第089回 野神 修

被災卒業生の安否確認でかけ続けた電話   マニュアルに頼らず体で覚える努力を

校友会東北支部長 野神 修さん(1962年理工学部卒)

 校友会東北支部長の野神修さんは3月11日の東日本大震災を仙台市の自宅で体験しました。幸い本人も家族も無事で自宅も被害は免れましたが、翌日から東北6県で506人いる卒業生たちの安否確認に奔走しました。理工学部を卒業後、国鉄マンとして東北新幹線開業など多くの事業に取り組んだ野神さんにOBの立場から語っていただきました。

――名城大学での学生生活は1958年(昭和33年)から1962年(同37年)までですが、当時はご出身の長野県から名古屋の大学に入学する学生は多かったのですか。

「仙台駅改良は都市計画で仙台市と国鉄の連携がうまくいったケース」と語る野神さん(仙台駅前で)

「仙台駅改良は都市計画で仙台市と国鉄の連携がうまくいったケース」と語る野神さん(仙台駅前で)

 多かったです。私は飯田市に近い高森町の出身ですが、飯田線で豊橋に出て名古屋に向かうか、辰野に出て東京に向かう学生に分かれました。半分まではいきませんが、名古屋で勉強しようという学生は結構いました。理工学部は中村校舎にあり、甚目寺町(現在のあま市)の下宿から名鉄津島線で通いました。通学に便利なこともあって沿線には名城大生がかなり住んでいました。ラグビー部でしたので、毎日夕方は鶴舞のグラウンドで練習がありました。特待生とはいえ貧乏学生で、家庭教師もしていました。ラグビーの練習を終えて夜8時ごろから教えるわけで、教えられる娘さんも眠そうでかわいそうでした。

――学生時代から鉄道の仕事を目指したのですか。

 父親が鉄道にあこがれていたこともあって、私も理工学部で土木を学びながら、卒業したら大きなトンネル工事の仕事をしたいと思っていました。高速道路、首都圏の鉄道会社の就職試験も受けましたが、やはり最終的には青函トンネル工事をやりたいという夢を果たそうと国鉄をめざしました。仙台の東北支社採用が決まり、意気揚々と入社し、車掌やいろいろな現場の研修を半年した後、配属されたのはトンネル部門ではなく停車場部門でした。駅関係の改良計画だとか貨物駅、操車場とかの部門です。東北本線の東北部はまだ複線・電車化していませんでしたので、電車化に伴う車両基地の建設など忙しい仕事が次々と待っていました。

――東北新幹線の開業にも関わったわけですね。

 ルート選定や仙台駅改良、総合車両基地の設計などに関わりました。新幹線乗り入れに伴う仙台駅をめぐってはいろんな案があり、最初、強かったのが地下ルート案でした。駅前広場の狭さもずっと指摘されていたこともあります。しかし、そのまま新幹線を地下に通したのでは工事費的にも都市計画上からも、禍根を残すだろうということになり、地上乗り入れとなりました。駅を9メートル後退させたうえで西口広場を重層構造とし、上は歩行者、下は車が中心になるようにしたうえで東口に大きな広場を造り、今の仙台駅が誕生しました。仙台市の都市計画と国鉄の連携がうまくいったケースです。

――東日本大震災では仙台駅なども大きな被害が出たのですか。

 新幹線の電車を降りて見上げればわかりますが、460メートルほどの長いホームの釣り天井が落ちるなどの被害が出ました。私が心配したのは入社した年に自分で設計し、「現場に行って監督してこい」と言われて造った仙台駅から2キロ離れた車両基地の水タンクです。在来線車両で使う水50トンを供給するため、高さ10メートルのKトラス鋼構造という支柱上に設置したタンクです。当時標準設計がなく、自分で図面を引き、数量の計算をして造り上げましたが、頭でっかちの構造なうえ、造ってから50年近くが立っていましたので、大地震に耐えてくれたかどうかすごく心配しました。自分の目で確認したくて現場に出向き、無事な姿を写真に収めてほっとしました。

――校友会東北支部長としても支部会員の安否確認の作業も大変だったのでは。

 東北6県で506人の会員がいますが、大地震があった翌日から安否調査のため、名簿をもとに次々に電話をかけ続けました。宮城、岩手、福島の3県沿岸部にいる卒業生は140人ほどいました。その中から、危ないなと思った人の名前には線を引いて絞り込んでいきました。70人近い方とは電話で直接お話しすることができましたが、さらに手紙を出すなどして消息をたどりました。今なお14人と連絡がとれていませんが、判明した限りでは亡くなった方はいませんでした。校友会本部の林譽史朗会長も心配して名古屋からわざわざ仙台まで出向いて下さり、相談の結果、6月末までに25人に見舞金を送りました。

――後輩である学生たちに先輩の立場からメッセージをお願いします。

 泥臭いかも知れませんが、社会人になったら、何事も体にしみこませて覚えていくことだと思います。受け身でやっているだけでは成長しません。マニュアルだけに頼ったり、パソコンだけに頼ってはだめです。泥臭いと思っても自分で買って出ることですね。今回の大震災では学生の皆さんが積極的に復興支援活動に取り組んでいることは知っていますし、気仙沼の大島でのボランティア活動にも大変感謝しています。ボランティア活動はいいことだと思います。お金を出してでも、こういう行動に立ち向かうことで、自分の身に財産としてついてくると思います。

仙台駅の在来線ホーム

仙台駅の在来線ホーム

新幹線ホームに立つ野神さん

新幹線ホームに立つ野神さん

野神 修(のがみ・おさむ)

長野県出身。名城大学理工学部建設工学科土木分科卒。国鉄(現在のJR)東北支社に入社。東北本線複線化、電化、東北新幹線のルート選定、仙台駅改良などの事業に関わり国鉄清算事業団東北支社長などを歴任。1997年~2007年大林組参与。2008年から名城大学校友会東北支部長。みやぎ長野県人会会長。72歳。

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