育て達人第095回 佐藤 隆雄

被災地出身の研究者として母校の復興支援研究に協力   子供時代の「なぜ、どうして」の姿勢を持ち続けてほしい

理工学部卒業生 佐藤 隆雄さん(岩手県大船渡市災害復興計画策定委員)

 理工学部建築学科を1973年に卒業した防災研究者の佐藤隆雄さんは岩手県大船渡市出身。国のシンクタンクである財団法人日本システム開発研究所で30年近くにわたり国や地方公共団体の災害現場調査、防災計画の立案に関わってきました。現在、都市情報学部の柄谷友香准教授らが取り組む震災復興支援研究にも学外から参加協力しています。

――都市情報学部の柄谷准教授ら5人の先生方が取り組む東日本大震災の復興を支援する共同研究に佐藤さんは外部から参加されています。参加した経緯を教えて下さい。

「名城大学時代は建築を学ぶ他大学の学生たちとも活発に交流しました」と語る佐藤さん(埼玉県さいたま市のJR大宮駅前で) 

「名城大学時代は建築を学ぶ他大学の学生たちとも活発に交流しました」と語る佐藤さん(埼玉県さいたま市のJR大宮駅前で) 

 柄谷先生らの共同研究は「被災者の生活再建をベースにした持続可能な復興まちづくり支援」がテーマです。柄谷先生は、震災直後から岩手県では最も被害が大きかった陸前高田市に入り、被災住民の中に飛び込み、生活再建の実態と課題について調査を続けています。これはとても大切なことだと思います。コミュニティーが分断された被災地では、住民たちが主体とならなければいい復興にはなりません。私は陸前高田市に隣接する大船渡市出身の防災研究者ということで、大船渡市の災害復興計画策定委員として、学識経験者の立場から提言を取りまとめています。生活圏を共有する陸前高田市と大船渡市の復興には広域的な視点が不可欠であるということもあり、共同研究者5人の1人である海道清信教授から声がかかりました。私が京都大学の研究生時代、海道先生とは同じ研究室でした。柄谷先生も学会活動を通じて存じていました。

――どのような形で防災研究に関わってきたのですか。

 1984年から30年近く大蔵省のシンクタンクである財団法人日本システム開発研究所に勤務し、国内各地の災害現場の調査や防災計画づくりに携わりました。災害ボランティアのあり方を調査するためイタリア、フランス、ドイツを訪問したり、1998年に神戸市に設立されたアジア防災センターのシステムづくりの調査のため、アジア7か国での調査も行いました。住民と行政のパートナーシップによるまちづくりの提唱も行っています。

――東日本大震災では出身地の岩手県大船渡市も大きな被害を受けましたね。

 大震災の発生した3月11日は、私が監修した「知ろう!防ごう!自然災害」という本の出版記念の催しが東京都内で開かれている最中でした。出席者が起振車に乗って「震度7」の揺れを体験し、お祝いに移りかけた時、本物の揺れがありました。高校まで暮らした大船渡市も大きな被害に見舞われ、私の実家も津波で浸水し、全員が避難しました。首都圏に住む小学校の同級生たちと連絡を取り合い、何とかガソリンを確保し、10人で救援物資を積み込んだ10トントラック1台と乗用車2台で大船渡に向かいました。支援物資の輸送、市の復興計画の仕事も含めると、これまで10回くらい大船渡に入りました。

――名城大学ではどんな学生生活を送りましたか。

 建築学科の学生たちで「礎(いしずえ)」という勉強会サークルを作りました。「建築の勉強は全ての礎」という立場から名付けたサークルです。総勢100人近くが参加していて、さらに古建築研究会、民家研究会とか小さな研究会グループが10くらいありました。私は地域環境計画研究会というのを作り、過疎地の研究をしていました。愛知県では奥三河地区で過疎がすごく進んでおり、それをどう考えたらいいかという研究会です。当時、名古屋大学工学部建築学科におられた早川文夫教授のチームと一緒に東北地方の過疎調査に加わりましたが、この時の1年間の研究体験が、その後の私の研究活動の原点になりました。

――躍動感にあふれた学生時代を送られたのですね。

 理工学部全体が躍動していたように思います。交通工学の小沢久之亟(きゅうのじょう)教授は、実現すれば東京―名古屋が30分で結ばれるという音速滑走体の実験に取り組んでいて、私たちも見学に出かけました。建築学科での「礎」での研究活動は学外にも広まり、愛知県内で建築学科がある名城大のほか、名古屋大、名古屋工業大、愛知工業大、中部工業大(現在の中部大学)の5大学で「愛知県建築学生連絡会議」というのを作り、私は初代議長を務めました。4年生の時です。また、全国36大学の建築学生が一堂に集い研究成果を語り合う、「全国建築学生サマーキャンプ」を岐阜県中津川市の夕森キャンプ場で開催しましたが、その実行委員長も努めました。名城大学を卒業して、京都大学工学部に研究生としてお世話になったのも、こうした研究仲間との交流があったからです。

――後輩にあたる学生たちにアドバイスをお願いします。

 建築では特にそうですが、現地や現場を見ることが大切だと思います。研究所勤務時代にも若い研究員たちに言っていたのは感知能力を磨くことでした。そして、常に疑問を抱くことです。子供時代にはみんな素直に思った「どうして?なぜ?」という気持ちを、どこまで持ち続けることができるかです。持ち続けることで物を見る目が研ぎ澄まされ、感性が磨かれます。矛盾に気づくことが物事の本質を見極める基本だと思います。

大船渡市復興計画策定委員会のメンバーと佐藤さん(前列右から2番目)

大船渡市復興計画策定委員会のメンバーと佐藤さん(前列右から2番目)

佐藤 隆雄(さとう・たかお)

岩手県大船渡市出身。名城大学理工学部建築学科卒。京都大学工学部研究生として3年間、過疎対策など地域計画分野を研究。1984年~2006年、大蔵省(現在財務省)所管の財団法人日本システム開発研究所に勤務。独立行政法人防災科学研究所客員研究員。災害復興まちづくり支援機構事務局次長。大船渡市災害復興計画策定委員。63歳。

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