育て達人第112回 清水 春雄

母校から届いた59年ぶり招待状に感激

  歴史の重さ大切に後輩を育ててほしい

旧名古屋専門学校卒業生 清水 春雄さん(十勝電気工事業協同組合顧問)

 名城大学では3月19日の卒業式に合わせ、前身の名古屋高等理工科学校、名古屋専門学校卒業生、そして名城大学の1958年(昭和33年)3月までの卒業生を対象に初の「スペシャルホームカミングデイ」を開催します。北海道帯広市から駆けつける80歳の清水春雄さん(名古屋専門学校卒)に、卒業59年後の母校への思いを語っていただきました。

――名古屋専門学校は1947年に開校しましたが、2年後に新制の名城大学が開学したことで、1955年には最後の第7回卒業生を送り出しました。清水さんは第6回卒業生ですね。

「母校のうれしいニュースは何よりの励み」と語る清水さん(JR帯広駅前で)

「母校のうれしいニュースは何よりの励み」と語る清水さん(JR帯広駅前で)

 そうです。名古屋専門学校は2年制で、入学、卒業時期も変則でした。私は1952年7月入学で1954年8月卒業です。校舎は名古屋市中村区にある現在の中村キャンパスにあり、東枇杷島のガード下にあった下宿の仲間には理工学部の電気工学科の学生もいました。実験室にはモーターが2、3台あり、運転方法を学びました。発電システムの権威だった高阪釜三郎先生や電気の石橋新太郎先生らに熱心に教えていただきました。

――北海道から、どうして名古屋専門学校を選んだのですか。

 卒業すると難関の国家試験を受けなくても「電検二種」(電気主任技術者第二種)の資格が得られるということを新聞で知りました。これは大変な魅力でした。30人を超す同期生たちは全国から集まっていました。入学当時は、創立者の田中壽一さんの経営姿勢を巡って学園は騒然としており、「えらいところに来た」と思いました。しかし、田中さんは、おそらく当時の通産省(現在の経済産業省)と相当掛け合って、電検二種の資格取得を実現させたはずで、後になり、新しい道を開拓した経営センスは大変なものだと思いました。

――学生時代で思い出に残っていることは何ですか。

 専門学校生とは言っても名城大学生と同じ学生だという意識で、みんな角帽もそろえていました。ただ、いきなり専門である電気の授業が始まりました。具体的な金額は忘れましたが、高い授業料だった印象はあり、それだけにみんな、貪欲に学びとろうという姿勢は真剣でした。勧誘されたヨット部に入りたかったのですが、負担する金を計算してみると常滑市にあった練習場までの交通費も含め、とても無理な額で、早々にあきらめました。

――卒業と同時に故郷にUターンしたわけですね。

 そうです。帯広に帰って、電気関係の会社で5年間働きました。しかし、経営が思わしくなく、給料の遅配や、資材を買うにも現金が用意できないなど大変な苦労を体験しました。ただ、見切りをつけて自分で会社を始めてからは、5年間の苦労が教訓として生かされました。おかげで、無借金で始めた会社経営は順調でした。5年間の苦労がなければこうは行かなかっただろうとしみじみ思いました。

――名城大学電気会会誌の第26号(1992年7月30日)には「電気会30周年に想う」として、「日東電気工業代表取締役」の肩書きの清水さんの随想が、第33号(1999年8月21日)には、「黄綬褒章の受章者のご紹介」として清水さんの経歴が紹介されています。

 随想は、自分の人生のきっかけをつくっていただいた母校への感謝を込めて、原稿の依頼に応えペンを走らせました。黄綬褒章は、十勝電気工事業協同組合理事長、北海道電気工事業工業組合副理事長など、地元での業界発展に尽くしたということでの受章でした。電気工事業界も“金の卵”と言われる中卒者の奪い合いなど職人不足が深刻化するなか、組合として事業内訓練学校を作ったことでの業績が評価されたのだとは思いますが、私はたまたまそういうポストにいただけにすぎません。業界組織全体がしっかりしていたからこそいただけたのだと思います。

――「スペシャルホームカミングデイ」の案内状は、対象となる卒業生8345人のうち、住所が確認できた2000人近くに送られました。どんな思いで受け取りましたか。

 びっくりしました。自分が学んだ当時を思い出しながら、“名城も大したもんだ、ゆとりができたということなのか”と思いました。連絡がつく札幌と東京の同期生に電話を入れて、一緒に名古屋に行こうと誘いましたが、残念ながら2人とも体調が万全ではなく、「じゃあ、俺が代表で行ってくるぞ」と伝えました。まだ、健康なうちに、もう一度母校の集いに出られるのですから感無量です。

――母校へのメッセージをお願いします。

 母校のいいニュースを耳にすると、ああ名城でよかったとうれしく思います。これからも、いいニュースで我々卒業生を励ましていただければと思います。名城大学はこれだけの歴史を刻んできました。教職員の皆さんには、さらに後輩たちの指導をよろしくお願いしたい気持ちで一杯です。若い学生の皆さんたちには、自分で見つけた仕事に全力でぶつかってほしいですね。苦労にもぶつかりますが、自分の天職だと思えば苦労は乗り越えられると思います。

清水 春雄(しみず・はるお)

北海道帯広市出身。1954年8月、名古屋専門学校応用物理学科電気分科卒。故郷にUターンし日東電気工業を設立、現在は相談役。十勝電気工事業協同組合理事長などを歴任し、現在は同組合顧問。1998年に黄綬褒章を受章したほか2007年秋の園遊会に招待され参列。

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