育て達人第116回 金子 美由紀

男子バレー部率いて25年ぶりリーグ優勝   ベストサポート賞はチーム力への勲章

薬学部 金子 美由紀 准教授(健康科学、バレー部監督)

 名城大学バレーボール部(男子)が東海大学男女リーグ戦春季大会で25年ぶりの優勝を果たしました。金子美由紀監督(薬学部准教授)は全国の大学バレー部では唯一の女性監督。28人の男子部員を率いて、東海地区王者に輝いた喜びを語ってもらいました。

――読売新聞記事を検索したら、1987年(昭和62年)11月8日の都民版に、第1回さわやか杯全国都道府県対抗中学校バレーボール大会に備える東京選抜チームの練習の様子を紹介した記事があり、主軸選手として金子先生の名前がありました。

「ベストサポート賞での優勝が何よりうれしい」と語る金子准教授

「ベストサポート賞での優勝が何よりうれしい」と語る金子准教授

 小学1年からずっと水泳をやっていましたが、中学2年でバレーボールに転向しました。練習がきつくて、バレーの方が楽そうに見えて。親に「私、バレーをやるから水泳はやめる」と宣言したんです。単純でした。どんなスポーツでもみんな厳しいことに気付いていなかった。自宅は杉並区ですが、「日本一を狙える」ということで、文京区の中学校に越境しました。3年生の時、春は圧勝していたチームに、夏の全国大会決勝で逆転負けしました。しかし、その年にさわやか杯(現在はJOC杯)の第1回大会があって優勝。オリンピック有望選手賞までもらったので、高校、大学とバレーボールを続けることになりました。

――オリンピック有望選手だったのですね。

 高校は葛飾区にある共栄学園、大学は東海大学に進みましたが、1989年の世界ユース(ブラジル)、1991年の世界ジュニア(チェコスロバキア)という世界の舞台ではいずれも銅メダルでした。大学4年生の全日本インカレでの優勝を最後に選手生活にはピリオドを打ちました。一種の“燃えつき症候群”ですね。当時の女子バレーボールでは、大学ではなく実業団チームに所属しなければ、オリンピックを目指す全日本のチームには選んでもらえない流れでしたので、オリンピックへの夢は大学に進学した時点で事実上は途絶えていました。今考えると大学に入る前に、戦い続けることに疲れていたのかもしれません。

――名城大学の男子バレーボール部監督に就任した経緯を教えてください。

 大学4年生の時、全日本インカレの予選が名古屋であり、名城大学バレー部監督だった亀山紘美先生(当時は薬学部教授で現在は名誉教授)から声をかけていただいたのがきっかけです。大学卒業後は新聞記者とかスポーツライターの仕事にあこがれていたのですが、「名城大学に来ればジャーナリズムについての勉強もできるし、3年くらいどう?」という感じでした。「薬学部助手補」という身分で名城大学に就職させてもらいました。22歳の時です。「男子バレー部を見てほしい」ということで1年間コーチをしましたが、2年目からは監督を引き継ぎました。

――東海リーグの春季大会では25年ぶりの優勝と同時に、2年間、授賞該当校がなかった「ベストサポート賞」も受賞しました。

 こんなことを言ったらお叱りを受けるかも知れませんが、私は、勝ち負けは後でいい、チーム全員でしっかりと戦って勝てたらさらにいいという考えでやってきました。スパイクをミスったとかで怒るより、靴が並べられていない、ボール拾いがしっかりできていない、気をつけができないとか、そんなことで怒ることが多かった。私にとっては、勝てばいいんでしょうというチームでの優勝ではなく、脇役もしっかりこなしたことへの評価である「ベストサポート賞」ももらえたチームで優勝したことが何よりもうれしかった。   私は中学、高校、大学でも何回か日本一を経験させてもらいました。ただ、心のどこかには、天狗にはなっていなくても、バレーさえやっていればいいんでしょうみたいな思いがあったと思います。しかし、大学時代、先輩や監督に、バレーボールも人間的な部分が大事なんだということをしっかり教えてもらいました。それまで、何度も聞かされてきた「バレーボールが人間をつくる」という意味が心にしみるように分かってきました。

――優勝の可能性が高まってきたことでプレッシャーもありましたか。

 名城にもスポーツ推薦ができたとは言え、リーグ強豪校はさらにいい条件でどんどんいい選手を集めています。名城は2位までいったことはありますが、私の心の中に、「リーグ優勝なんて無理だよな」という意識がなかったと言えばウソになります。ところが今回は、結構強いと言われた大学相手に勝ち進みました。「これはひょっとしたら」と思いました。そうなるとプレッシャーですね。選手たちも「もう負けられない」というムードでした。優勝が決まって、選手たちは私を胴上げしてくれようとしましたが、「西日本大会で優勝したらお願いね」と断りました。優勝できたのは、キャプテン以下28人の部員全体のチーム力ですし、中学校時代から一緒にバレー人生を歩んできて、今はコーチとして助けてもらっている元全日本代表の江藤直美さんの指導もあってのことです。特に朝練や夜遅くまでの練習に黙々と取り組んできた学生たちには頭が下がります。部員の3分の1は理工、農学部の学生で、実験、実習もしっかりこなしながら練習に打ち込んでくれました。

東海大学男女リーグ戦春季大会で25年ぶり優勝を決めたバレー部員

東海大学男女リーグ戦春季大会で25年ぶり優勝を決めたバレー部員

金子 美由紀(かねこ・みゆき)

東京都出身。東海大学体育学部体育学科卒。1995年名城大学薬学部助手補。助手、助教を経て2012年から准教授。96年からバレーボール部監督。2012年愛知学院大学大学院心身科学研究科修士課程を修了。修士論文テーマは「薬剤師養成課程における健康教育の有用性」。2013年4月からは医学博士を目指し弘前大学大学院生。

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