育て達人第122回 高橋 好治

1955年の東海学生駅伝で初優勝

タコ足大学チームで発揮した団結力

法商学部商学科卒業生 高橋 好治さん(NPOたかはま副理事長)

ウェブサイトで連載中の「名城大学物語」。第2部第8回の「東海駅伝で初優勝」(2013年12月25日アップ)では、名城大学陸上部が初の優勝に輝いた1955年の第9回東海学生駅伝をめぐるドラマを取り上げました。優勝メンバーの1人で法商学部卒の高橋好治さん(愛知県高浜市)に、当時の学生とスポーツについて語っていただきました。

名城大学は1955(昭和30)年1月に開催された第9回東海学生駅伝競走で、出場4回目にして初優勝しています。力のある選手が集まっていたのでしょうか。

「タコ足大学でしたがいざという時の団結力はすごかった」と語る高橋さん

「タコ足大学でしたがいざという時の団結力はすごかった」と語る高橋さん

第9回大会では1年生でしたが3区を走りました。4年生までずっと3区でした。長距離は豊橋工業高校時代から走っていましたが、当時の豊橋工業高校は陸上部が強く、中京商業高校(現在の中京大中京高)と競い合っていました。豊橋工業から名城大学に進んだ陸上競技部の先輩から、名城に来ないかと熱心に声をかけていただきました。先輩たちのスカウトは盛んでした。名城大学の陸上部を強くしよう、名城大学の歴史を自分たちで築いていこうという意気込みが伝わってきました。学生数が多い名城大学は校舎が駒方、中村、鷹来に分かれ、さらに薬学部も八事校舎ができるなど、いわゆるタコ足大学。練習は自分たちの校舎でそれぞれ行いましたが、理工学部の1、2年生と法商学部のある駒方校舎には練習できるグラウンドもなく、瑞穂陸上競技場に走って出かけ、練習しました。

工業高校から法商学部に進まれたのですか。

私は家族とともに1948年に満州から豊橋市に引き揚げてきました。豊橋工業高校では建築科で学びました。建築士になって自分の家を建てようと思ったからです。名城大学でも理工学部建築学科に進みました。2年生までは駒方校舎でしたので、陸上の練習は法商学部の部員と一緒にしました。いろんな大会の5000メートル、1万メートルで優勝するなど新聞に何度も名前が出ました。しかし、陸上と建築学科の勉強を両立させるのは大変で、悩んだ末に法商学部に移って陸上に打ち込むことにしました。それでも試験には苦労しました。卒業できたのは卒業してCBCのスポーツ記者になった同級生にノートを見せてもらうなど、みんなに助けられたからです。今の時代に比べたら 学生同士の友情も厚かったと思います。

駅伝で優勝した時の新聞記事を読むと、学生たちの応援もすごかったようですね。

名城の応援団は素晴らしかったと思います。外からも、名城の応援団は立派だという評価がありました。駅伝の時は、走り終えた我々選手たちの前に並んで健闘をたたえてくれました。私もいろんな大会でそれなりの成績を上げていたこともあり、個人的にも名前を覚えていただいたようです。団員の中には、卒業してスズキ自動車に就職した方もいました。私は中央発條という自動車のサスペンションスプリング、各種精密ばねなどを造る会社に就職し、実業団で10年ほど陸上を続けましたが、営業の仕事では、名城大学時代の縁でその方から仕事を紹介していただいたこともありました。

卒業して実業団で陸上を続けることに迷いはありませんでしたか。

実は卒業後は豊橋に戻って学校の先生になることが決まっていました。しかし、中央発條の江口鐘蔵社長は、当時、愛知陸上競技協会の会長もされていた方で、「青春は2度とないぞ」と誘ってくださいました。その言葉が決め手になり実業団陸上に進みました。配属は営業部で、陸上部の活動は通常の仕事を済ませてから。帰宅は9時すぎという日々でした。本社がある名古屋市緑区鳴海町の近くまで市電が走っていて、市電と競争して練習をしました。電停ごとに止まる動きに合わせて走るインターバルトレーニングですね。選手生活を10年ほど続けた後、監督もしました。27歳で結婚しましたが、陸上に明け暮れた末、営業の仕事で出張も多く帰りも遅い。家族は大変だったと思います。

定年退職後は地域のボランティアに力を入れているようですが。

工場が碧南市にあった関係で高浜市に家を建てました。しかし、陸上と仕事に夢中になっていたので地域と深く関わることもないまま65歳で定年退職しました。町内会長はどうかという話が来た時は喜んで引き受けました。地域の人たちを知るチャンスだと思ったからです。生まれ育った地域なら小学校以来の友人がいますが、途中から住み始めた人間が地域に溶け込んでいくにはまず人を知らなければなりません。地域づくりのボランティアに取り組んでいて、2001年に「NPOたかはま」を立ち上げました。やっと地域に受け入れてもらえるようになったのかなと思っています。

後輩たちにエールをお願いします。

後輩である陸上部員や女子駅伝部の皆さんは、60年近くも前、我々のような先輩が走っていた時代のことは全然知らないでしょうね。何年経っても母校の後輩たちの活躍を願わない卒業生はいないと思います。頑張ってください。

第21回東海学生陸上競技選手権(1955年5月)の5000メートルで優勝した時の高橋さん (瑞穂競技場で)

第21回東海学生陸上競技選手権(1955年5月)の5000メートルで優勝した時の高橋さん (瑞穂競技場で)

高橋 好治(たかはし・よしはる)

満州(現中国東北部)出身。1958年法商学部商学科卒。陸上競技部時代、東海学生駅伝の初優勝に貢献し、4年間3区を走り続け区間優勝2回。卒業後は中央発條に入社し、実業団駅伝でも活躍。営業部長、専務取締役を歴任。「NPOたかはま」副理事長。78歳。

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