育て達人第128回 高木 理仁

50周年迎えた名城大学土木会
社会基盤整備への貢献に誇りを

土木会創立50周年記念事業実行委員長 高木 理仁さん(1971年第二理工学部卒)

名城大学で土木工学を学んだ卒業生は1万人超。その卒業生たちが集う「名城大学土木会」が創立50周年を迎え10月25日に記念祝賀会を開催します。1946(昭和21)年に名古屋高等理工科学校に増設された土木科から現在の社会基盤デザイン工学科まで、時代とともに変遷してきた「土木」の看板。50周年記念事業実行委員長の高木理仁さんに聞きました。

――「名城大学土木会」の生い立ちを教えてください。

名城大学では理工学部同窓会が1961(昭和36)年に設立されましたが、3年後の1964年に名城大学土木会が発足しました。同窓会設立前から、名古屋高等理工科学校土木科、名古屋専門学校応用物理学科土木分科、理工学部建設工学科土木分科の各卒業生たちからの要望もあっての発足でした。理工学部の「土木」はさらに土木工学科、建設システム工学科と看板を替え、建設システム工学科は2013年度からは、現在の社会基盤デザイン工学科となりました。名城大学土木会は、名城大学で土木を学んだ全ての卒業生たちが集う親睦団体です。1964年の旗揚げから今年で50年を迎えました。

――土木の世界に興味を持ったきっかけは何ですか。

小学生のころから、庄内川にかかる中央線の鉄橋の構造を下からのぞき込んだりしていましたが、6年生の時に伊勢湾台風がありました。自宅は守山区にありましたが港区に親戚がいて、大変な被害があったことを覚えています。高校は土木科でしたが、伊勢湾台風当時、なかなか水が引かない国道1号での道路復旧のため、ドラム缶を筏で運び、土砂を詰めて埋め込んでいく"ドラム缶工法"の映像を授業で見て、道路を整備する仕事にあこがれました。国交省に採用していただけることが決まって配属先の希望を聞かれた時は迷わず「名四」(名四国道事務所)と答えました。入省してみて、周囲には、仕事をしながら夜間に名城大学理工学部で土木を学んでいる同僚や先輩たちがたくさんいることを知り、私も翌年、入学しました。

――勤務を終えてからの勉強ですから強い意志が必要ですね。

入学した当時の理工学部は中村校舎でしたが、2年生になった1968年に天白キャンパスに4号館が完成し、建設工学科土木分科も第一部は天白に引っ越しました。しかし、第二部はそのまま中村校舎に残り、測量実習や実験が日曜日に天白キャンパスで行われました。まだ塩釜口までの地下鉄鶴舞線は開通しておらず、名鉄東枇杷島駅に近い中村校舎での授業は勤労学生にとっては助かりました。中部地方整備局の職場から名城大学に通う学生、卒業生は非常に多く、夕方、温かい目で私たち勤労学生たちを送り出してくれました。おかげで私も堀田駅から張り切って名鉄電車に乗り込み、大学に向かいました。当時、2500人近い中部地方整備局の職員の中でも名城大出身者は一大勢力で、"5人に1人は名城卒" と言われた時もありました。

――国交省時代の38年間はどんな部署で仕事をしたのですか。

最初の職場となった名四国道事務所(熱田区)に5年近くいたあと中部地方整備局(中区三の丸)道路部計画調整課に配属されるなど、出先と整備局を行ったり来たりしました。紀勢国道事務所熊野出張所、2度の名四国道事務所、岐阜国道事務所などです。56歳の定年の時は紀勢国道事務所長でした。国交省で働かせていただいたので当然といえば当然ですが、どっぷりと土木の世界につかり、中部地方の様々な社会資本整備の仕事に携われたことを誇りに思います。

――名城大学土木会が50周年を迎えたことで、学生たちへ特に伝えたいことは何ですか。

名城大学土木会は、名城大学で土木を学んだ全ての卒業生の皆さんのための組織です。会の目的では会員相互の交流・親睦を図ることを通じて、名城大学が将来的に発展していくために卒業生として何ができるかということも大きな柱です。大学の発展は、卒業生の活躍が社会的に評価され、認められることを抜きにしては考えらないと思います。大学、在学生たちと手を携え、母校の発展に寄与できればと思っています。私は2011年~2014年、名城大学土木会の第16代会長をさせていただき、卒業式に学科別に行われる謝恩会では「名称は変われど私たちが学ぶ土木工学は一貫して同じ。社会基盤整備に貢献できる土木にプライドと愛着を持ち続けてほしい」と訴えてきました。在校生の皆さんに伝えたい思いも同じです。

――50周年記念ではどんな事業を計画していますか。

10月25日に名古屋ガーデンパレスで開催する祝賀会に合わせ、記念誌の発行などを行います。記念誌は、これまで、しっかりと書き残されたものがなかった土木会の沿革や活動、各年代の卒業生たちからの寄稿による「土木への追憶」など充実した内容です。ただ、古い写真がなかなか集まらず苦戦しています。2013年3月には、研究実験棟Ⅱの竣工に合わせ、先行して研究実験棟Ⅱ正面玄関横に記念植樹(ヒトツバタゴ)をし、記念碑を設置させていただきました。

「土木工学への誇りと愛着を持ち続けてほしい」と語る高木さん

「土木工学への誇りと愛着を持ち続けてほしい」と語る高木さん

高木 理仁(たかぎ・まさひと)

名古屋市守山区出身。名古屋市立工芸高校を卒業し国土交通省中部地方整備局(当時は建設省中部地方建設局)に入省。1971年名城大学第二理工学部建設工学科土木分科卒。38年間の国交省勤務後、日本道路交通情報センター名古屋事務所長を経て株式会社NIPPO中部支店参事。2014年6月まで名城大学技術士会長とともに名城大学土木会の第16代会長。

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