育て達人第130回 奥田 英司

赤﨑先生のノーベル賞は全卒業生の誇り
農学部同窓会が早めの60周年記念総会

農学部同窓会会長 奥田 英司さん(1971年農学部農学科卒)

名城大学農学部同窓会が11月8日に設立60周年記念総会を開催します。卒業生が自動的に会員となる同窓会が設立されたのは1956(昭和31)年4月。実際の60周年にはちょっと早目の開催に至った経緯と開催の意義について、奥田英司会長に聞きました。

――名城大学に農学部が開設されたのは1950(昭和25)年4月。卒業生たちが集う同窓会は6年後の1956年4月に発足しており、今年で満58年ですね。

「同窓会も赤﨑先生のノーベル賞受賞で盛り上がるでしょう」と語る奥田さん

「同窓会も赤﨑先生のノーベル賞受賞で盛り上がるでしょう」と語る奥田さん

そうです。実際の60周年は2年先です。ただ、農学部は私が2年生だった1969(昭和44)年1月に、春日井市の鷹来校舎から天白校舎に移転しました。農学部卒業生約1万3000人の中には、鷹来校舎時代こそ青春の全てだったという卒業生たちいます。一方、現在は附属農場となっている鷹来キャンパスでは来年(2015年)3月からリニューアル工事が始まります。このため、こうした卒業生たちから、自分たちが過ごした学生時代の面影が残されているうちに、「鷹来キャンパス」見学を盛り込んだ記念行事の開催を求める声が高まり、前倒しですが設立60周年記念総会を開催することになりました。

――記念総会はどんなプログラムで行われるのですか。

会場は附属農場に近いJR勝川駅前のホテルです。午後4時から開かれますが、開会前に「鷹来キャンパス見学ツアー」が組まれ、バスが往復します。総会への参加申し込み者約80人のうち、半分がツアー参加希望者。鷹来校舎で学生生活を送った80歳、70歳代の皆さんが中心です。ホテルでの懇親会では、ツアー参加の卒業生の皆さんと、鷹来校舎時代を知らない卒業生の皆さんが懇親を深め、鷹来校舎で名城大学の農学部の礎(いしずえ)を築いた先輩たちの貴重な体験談に耳を傾けていただければと思っています。

――卒業生の出身地を見ると“全国区”ですね。

鷹来校舎で学んだ皆さんは特に全国から入学しています。私は1967(昭和42)年入学の団塊世代ですが、200人近い同期生で、自宅通学者は50人もいなかったと思います。鷹来校舎が旧陸軍兵器工場の払下げを受けた老朽施設だったこと、名古屋からの交通アクセスもあまり便利ではなかったこと、さらに私が入学する直前まで、紛争の時代が続いてこともあり、地元受験生が敬遠したこともあると思います。1969年に天白キャンパスに移転してからは地元受験生、女子受験生がどんどん増え続けました。

――鷹来校舎時代の農学部はどんな雰囲気でしたか。

私は名古屋市内出身ですが、家が造園業だったので農学部を選びました。名城を選んだのは附属高校で学んだこともありますが、併願した東京の大学より入学手続きの締め切りが早かったこともあります。当時はまだ農業、林業、造園業を継ごうという学生たちが多く、都会育ちは少なかった。鷹来校舎周辺の農家に下宿している学生が多く、服装にも無頓着でした。2年生の1月に天白キャンパスに引っ越した当時は、すでに法商学部から分離した法学部、商学部と短期大学部が駒方校舎から、理工学部も中村校舎から移転していました。農学部の合流で、名城大学がやっとタコ足大学状態を解消し、総合大学らしいキャンパスを構えることができましたが、名古屋という都会のキャンパスに最後に合流したこともあって、農学部の学生たちは最初、かなり田舎っぽかった。馴染むまでは結構時間がかかったような気がします。

――鷹来時代に比べたら天白キャンパスでの学生生活は快適だったのでは。

鷹来時代、実験は旧軍施設だったコンクリート造りの本館でしたが授業は粗末なプレハブ教室。夏は暑さにうだり、冬は寒さに震えていました。天白キャンパスでは当時の5号館が農学部の建物でしたが、冷暖房が効いていてまさに快適でした。明るくきれいな実験室で器具や備品も真新しく、研究熱心な学生は実験室に入るのが嬉しそうでした。農学部は実験に追われ、単位を取るのは相変わらず大変でした。

――赤﨑勇終身教授(大学院理工学研究科教授)のノーベル物理学賞が決まりました。農学部卒業生の皆さんの反響はどうですか。

受賞決定のニュースがテレビで流れると同時に高知県の同期生から電話が入りました。「これからは胸を張って名城大学卒ですって言えるぞ」と声が弾んでいました。私たちの世代はまだ、自ら胸を張って出身大学を名乗るにはためらいがありました。赤﨑先生の受賞は名城大学の全卒業生にとり、このうえない喜びであり誇りです。

――農学部の先輩として後輩たちへのエールをお願いします。

今の学生の皆さんは、私たちの時代に比べたらはるかに幅広い専攻分野で学ぶ機会に恵まれていますし、活躍の舞台も格段に広がっています。ただ、農学部がここまで立派に整うまでには、多くの先輩たちが刻んだ歴史の重みがあります。開学90年周年を迎えようとしている機会に、ぜひ、名城大学が歩んだ道のり、そして農学部がかつて歩んだ苦難の時代をぜひ知ってほしいと思います。

農学部同窓会第19代会長の奥田さん

農学部同窓会第19代会長の奥田さん

奥田 英司(おくた・えいじ)

名古屋市出身。名城大学農学部卒。学生時代は水上競技部(水泳部)に所属し、現在同部OB会長。卒業後は家業を継ぎ、東郊造園(名古屋市昭和区)の3代目社長。2011年4月から第19代農学部同窓会会長。

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