育て達人第132回 杉村 忠良

航空機設計者・土井武夫先生の生誕110周年
名城大学でも実践した努力を貫くことの尊さ

理工学部交通機械工学科 杉村 忠良 教授(航空工学)

戦時中、戦闘機「飛燕」などを設計し、戦後も国産旅客機YS-11の開発に参加した土井武夫氏が1904(明治37)年に生誕して110周年。1996年に92歳の生涯を終えるまで、日本の航空史とともに生きた土井氏は、交通機械学科が誕生した直後の名城大学に教授として迎えられ、同学科長、学生部長を務めました。航空工学の大先輩として指導を受けたという杉村教授に聞きました。

名城大学理工学部に交通機械学科(現在は交通機械工学科)が開設されたのは1965(昭和40)年。土井先生は翌年の1966年から1977年まで11年間、同学科の教授でした。

「土井先生はとにかくエネルギッシュだった」と語る杉村教授

「土井先生はとにかくエネルギッシュだった」と語る杉村教授

交通機械工学科は2015年で学科開設50周年を迎えますが、日本の航空界では重鎮と言われ、重爆撃機「飛龍」を設計した小澤久之亟先生に加え、「飛燕」を設計した土井先生も教授に就任してのスタートでした。この当時、「音速滑走体」の実験がメディアで大々的に取り上げられていた小澤先生、YS-11開発に参加した土井先生にあこがれて入学して来る学生たちがたくさんいました。私が名城大学で教員生活をスタートさせたのは1968年からですが、小澤先生は理工学部長、学長の仕事もあったため、本来なら小澤先生が担当するゼミ生の卒業研究等の面倒をみました。同時に航空工学の大先輩である土井先生からも教員として育てていただく幸運に恵まれました。

土井先生はどんな先生でしたか。

エネルギッシュな先生で、だめなことはだめとはっきり言う先生でした。「材料力学」の講義を持たれていましたが、授業は厳しく、「企業に入ってからも身になる学問とはこういうものだ」といわんばかりの迫力がありました。20種類以上もの飛行機を設計した川崎航空機時代に培われた厳しさだと思いました。講義の終盤にはチョークの粉で、上着の袖は真っ白になる。それくらい熱の入った授業をする先生でした。私は「厳しさは人への愛情があるからだ」と思っておりました。

教員の先輩として助言を受けたこともあったのですか。

私が名城大学で初めて担当した講義は「工業力学」という科目でした。ところが、使用するテキストに対して土井先生は「難しすぎるから別なのにした方がいい」と難色を示されたのです。東大の教養部の講義でも使われている名著でしたが、土井先生は、名城大学の学生には難しすぎると思われたのでしょう。私は「難しいところはゆっくり教えます。ぜひこれで行かせてください」と押し切りました。土井先生は「しょうがないなあ」と言った様子でしたが、私は「東大でやっていて名城大でできないはずはない」という意気込みがありました。学科草創期は、優秀で飛行機にあこがれて入学してきた学生が多かったこともあったのだとも思います。そのテキストの使用は10年近く続きました。

土井先生は学生たちにどんなことを求めていたのでしょう。

私は常々学生に「予習、復習、練習をしっかりして、全ての科目で100点を取りなさい」ということと、「数学、物理をよく勉強しないと理工学部にきた意味はないんだ」とも言っています。土井先生は学生だけでなく、私たち若い教員にも、学ぶ姿勢としてよく言っておられたのは「To on my happiness」。何をやるにも自分の幸せのためにやらなければということですね。自分のためにもなるんだから、思ったことはどんどんやれというエールだったのだと思います。

岐阜県各務原市の「かがみがはら航空宇宙科学博物館」では同館と川崎重工の主催で12月7日から、「航空機設計者・土井武夫生誕110周年企画展」が始まります。

土井先生は1927年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業していますが、同級生8人は土井先生のほか零戦を設計した堀越二郎氏、YS-11開発チームをまとめた木村秀政氏ら日本を代表する航空機設計者たち。土井先生、木村先生は1904年生まれですが、堀越さんは1903年生まれ。ライト兄弟が初飛行に成功したのも1903年で、土井先生たちは航空史の中では、まさに飛行機の申し子とも言える世代だと思います。企画展は日本の航空史とともに生きた技術者たちに触れるいい機会でもあり、私が指導している「航空工学研究室」の学生たちをはじめ、航空機に興味のある皆さんにはぜひ訪れてほしいと思っています。

学生たちへのメッセージをお願いします。

私の名城大学での教員生活は土井先生との出会いから始まりましたが、その教員人生も今年度限りで定年を迎えます。学生の皆さんに贈る言葉としては、やはり土井先生風になりますが、努力する姿勢は自分の向上につながるということです。自分を信じなくて誰が信じるか。努力するということは大変なことですが、自分を信じて努力すれば必ず自分に返ってくるということです。

「中学生のころから飛行機にあこがれた」という杉村教授

「中学生のころから飛行機にあこがれた」という杉村教授

「土井武夫生誕110周年企画展」のポスター

「土井武夫生誕110周年企画展」のポスター

杉村 忠良(すぎむら・ただよし)

名古屋市出身。名城大学理工学部機械工学科卒、名古屋大学大学院工学研究科航空工学修士課程修了。工学博士(名古屋大学)。名城大学理工学部助手、講師、助教授を経て1998年から現職。日本航空宇宙学会中部支部長など歴任。著書に『機械系学生のための応用数学』(三恵社)など。

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