育て達人第158回 坂東 俊治

「その道一筋」でナノ物質を研究 応用化学科をけん引

理工学部応用化学科 坂東俊治教授(物理化学)

理工学部に2013年度に設置された応用化学科の整備が着々と進んでいます。2017年度は大学院理工学研究科応用化学専攻修士課程も設置されました。同年度の文部科学省私立大学研究ブランディング事業(世界展開型)に、同学科・研究科が中軸になる「新規ナノ材料の開拓と創製による名城大ブランド構築プログラム」が選定され、存在感を増しています。

近年の流れと今後の展望を語ってください。

好きな言葉を色紙に書いた坂東教授

好きな言葉を色紙に書いた坂東教授

応用化学科は,理系女子学生の比率が高く、広い視野で自然科学を眺める体制が整っているとは思います。また、最近の学生は自然環境や社会環境改善に対する意識が高く、いろいろな情報を瞬時に調べる能力には感心する所がありますが、その根本を調べる努力を避けたがる傾向があることも確かです。つまり、目先の新しさに目を奪われ、基礎となる学問の習得に時間を割く努力が少ないように感じます。

化学の領域に限らず、最近はナノ(10億分の1)メートル領域の構造制御・設計が重要な要素を占め、産業等の発展を担う基盤となっています。そのような要請に応えられるように、学部教育では基盤となる基礎教育を充実させ、大学院においてもさらに、自分の力で学部時代の基礎学問の再勉強を行っていくことが重要であると思っています。この繰り返しを通じて、自分自身で展開する実験的研究への基礎学問の適応ができる能力が養えるものと考えています。

大学院進学に関しては、まだ女子学生の比率が低いと感じます。理工系企業への女性の進出が目覚ましい昨今において、このような状況を改善していく方策が必要と感じます。

カーボンナノチューブの発見者、飯島澄男終身教授とのかかわりは。

飯島先生が科学技術振興機構の支援で、ナノチューブ科学を発展させるために計画された「ナノチューブ状物質プロジェクト」へ、研究員として採用していただいたことから始まります。このプロジェクトは1998年から5年間の時限プロジェクトとして発足し、筑波地区と名古屋地区に研究の拠点が置かれました。

私には名古屋地区の研究室立ち上げと研究遂行の役割が与えられ、名城大学内研究室の整備にあたりました。それ以前は分子科学研究所(愛知県岡崎市)で助手として研究に従事しており、ポジションを求めて外部へ出ていくことが必須の状況でしたので、とりあえず次のポジションという形で「飯島プロジェクト」に加わりました。とはいっても、本プロジェクトは目的達成型のプロジェクトではなく、目的設定・発展型のプロジェクトであり、飯島先生とは緩い結束の元に、ある程度自由に活動させていただき、ナノ空間利用という領域の発展に寄与できたと感じています。その後、2001年に名城大学のポジションを得ることができ、「飯島プロジェクト」の雇用から離れるわけですが、実験室環境はそのまま利用することができ、飯島先生も名城大学内におられるということで、飯島先生との関係が続いています。

私立大学研究ブランディング事業での役割は。

本事業での私の役割という大それた気概はあまりありませんが、今まで通り、ナノメートル領域の新規物質を作製し、原子・分子レベルで構造の分析を行い、その電子物性を探っていくことが私の役割であると考えています。それに伴い、このような領域に興味を持つ学生を増やし、ナノ物質作製の基本的な考え方、取り扱い方、分析の仕方などの基礎技術を教え、さらに発展させていきたいと考えています。このような活動を通じて「ナノ物質作製・分析・評価」の領域で名城大学のブランディング化を図りたいと思います。

ご自身の大学、研究所時代の思い出を聞かせてください。

「その道一筋」でナノ物質を題材にして研究を展開してきました。その第一歩が名城大学内で「超微粒子」、最近の言葉に置き換えれば「ナノ粒子」を扱いだしたことです。大学時代は炭化物超微粒子の作製を行い、透過電子顕微鏡を使ってその形状や結晶構造を調べることに面白みを感じていました。しかし、その「超微粒子」なるものが何の役に立つのですか…ということにはほとんど興味がありませんでした。試料を作って電子顕微鏡を使って解析し、さらに条件を変えて試料を作り、調べることが面白かった、ということです。就職についてどうしようかなと思っているとき、岡崎の研究所で「技官」の口があるから、興味があるなら公務員試験を受けてみなさい、と言われたのがきっかけで、公務員試験受験、技官採用面接へと進み、分子研の技官となり、研究機器の世話役になりました。そこでも、ある程度自由に活動させていただける身分になったことが、今後の自分の進むべき道を決めたものと感じています。つまり、大学時代の出会いときっかけで、就職した分子研でいろいろと面倒を見てくださった「先生方」が私を成長させてくれたと思っています。 その時に言われた言葉で一番印象に残っており、感謝している言葉として「○○さんの代わりはなかなかいないが、君の代わりはいっぱいいるからな~」という言葉でした。確かにその通り。そうならないようにという活力とやる気を与えてくれました。

分子科学研究所から母校に戻って以降の教育、研究の進展は。

研究の進展という面では、遅々として進まない、というのが正しいでしょう。しかし、複数のテーマを学生に割り振り、ゆっくりながらも着実に前進し、その中から新しい展開が期待できないかと考えています。そのようにして発展させてきたものに「酸化物ナノチューブ」というものがあり、今後、二次電池の電極材料等への展開ができないかなと思案を巡らせています。 学生教育については、毎年驚かされることばかりで「われわれの常識は、学生たちの常識ではない」ということを目の当たりにしています。時代に適応し、学生たちに接していかなければ、一人取り残されると危惧を感じます。

「二次電池の電極材料等」と聞くと、リチウムイオン電池の開発者の吉野彰大学院理工学研究科教授が学内にいます。

吉野先生は、イオンの出し入れで電気エネルギーをため込むという原理を民生レベルの応用に結びつけたというところで評価しています。吉野先生が開発されたリチウムイオン電池には リチウム(Li) やコバルト(Co)という希少金属が使われています。それらの金属をナトリウム(Na)や鉄(Fe)などの豊富な金属に変えられるような新規材料を創成すれば、いろいろな面でのブレークスルーになります。いずれにしても、層状物質がこれに関する キーマテリアルであると信じ、酸化物ナノチューブの探究を進めています。

ご自身の教育、研究の力点は。

これから役に立つかもしれないことを発掘する。そのためには自分が楽しくなければ何もできない。楽しいことというのは、困難に直面し悩まされ、解決の糸口らしきものを見つけてトライしているときである。そのことを学生にも教えたい。役に立つかもしれないことが100個見つかれば、ひょっとしたら本当に1つくらい役に立つものになるかもしれないからです。

学生にメッセージをください。

実行しなければ失敗しないし、結果も出ない。実行すれば、失敗ばかり。しかし、たまには成功する。君ならどちらを選ぶ。

趣味や好きな言葉を教えてください。

趣味は、料理,土いじり、散策、そば屋巡りです。好きな言葉は「まかぬ種は生えぬ」。メッセージと同趣旨です。

最後に、受験生にアドバイスをください。

苦労しないで、たやすく利益を得ることを「ぬれ手で粟」といいます。これは、ぬれた手でゴマ粒みたいな小さなものをつかむと、ぬれた手に小さな粒がいっぱいくっついて多くのものが取れることに例えられた言葉ですが、ぬれた手はすぐに乾き、小さな粒はパラパラと落ち、どこかに行ってしまいます。受験勉強は、大学に入るためのその場しのぎの勉強と考えるのではなく、今後、自分の能力を大きく広げていくための「苦労」であると考えられるといいですね。苦労して得た「力」は一夜漬けのような「ぬれ手」ではありません。大学では、楽しいことがたくさんありますが、それ以上に苦労することも多くなります。

天白キャンパス研究実験棟Ⅱで学生を指導する坂東教授

天白キャンパス研究実験棟Ⅱで学生を指導する坂東教授

坂東 俊治(ばんどう・しゅんじ)

1958年、福岡県田川市生まれ。1981年、名城大学理工学部一部電気工学科卒。 1991年、博士(理学、東京工業大学)。1981~1990年、愛知県岡崎市の分子科学研究所技官、1990~1998年、同研究所助手、1998~2001年、科学技術振興機構「ナノチューブ状物質プロジェクト」研究員、2001~2006年、名城大学理工学部材料機能工学科助教授、2006~ 2013年、同教授、 2013年から現職。所属学会は物理学会、フラーレンナノチューブグラフェン学会、米国化学会、米国物理学会、米国材料学会。

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