ナノサイエンスの先駆者・飯島澄男終身教授

名城大学はカーボンナノチューブ発祥の地

飯島澄男終身教授に試料を提供した安藤義則名誉教授
「名城大学はカーボンナノチューブ発祥の地」

飯島教授との関わりを書いた本学退職記念誌を手にする安藤義則名誉教授=8号館で

 飯島澄男終身教授は1991年、本学理工学部の安藤義則名誉教授(当時は教授)からもらった炭素の試料をNECの電子顕微鏡で調べてカーボンナノチューブ(CNT)を発見しました。それゆえ、安藤氏は「名城大学はカーボンナノチューブ発祥の地」と宣伝しています。安藤氏が本学を訪れた機会に8号館でその経緯を聞きました。

―――飯島教授は、名城大学で行われていた「超微粒子の物性」に関する新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)の5年間のプロジェクトで多くの成果を挙げた後、同プロジェクト終了後の1987年にNEC基礎研究所に移りました。しかし、名古屋に家族がおられたため、月に1度、名古屋に帰宅するのに合わせて、日曜日に行われていた理工学部2部の物理実験の非常勤講師をお願いしました。1991年4月からそれが実現し、私とペアで実験を担当しました。

 1990年にフラーレンの大量作製法が発表されたのをきっかけに、世界中にフラーレン・フィーバーが起きていました。フラーレンとは、サッカーボールのように、6角形と5角形の環が並んだ球形の炭素で、1985年に発見されました(発見した3研究者は1996年にノーベル化学賞を受賞)。理工学部の私の研究室では、フラーレンの大量作製に適した装置があったので、その装置を用いてフラーレン大量作製の実験をしていました。1991年4月に、飯島教授は私の研究室の装置を見て、「自分は今さらフラーレン研究を後追いする気はないけれど、ここにある電極にくっ付いているのもカーボンだよね。これを持って行って高分解能透過型電子顕微鏡(HRTEM)で調べてみてもいいですか」と尋ねました。それは、フラーレン作製の使い古しの黒鉛電極(陰極)で、先端に炭のような堆積物が数mmの厚さに付着したものでした。私にとっては単なる廃棄物でしたが、1980年台初頭から種々のカーボンのTEM像を調べてきた飯島教授にとっては全く違って見えたのでした。

 飯島教授は、この年の5月にその試料の中からカーボンナノチューブを発見しました。7月の終わりごろ、私は飯島教授と一緒に日進市にある名城大学のテニスコートに行く車中で、「この前の試料はたいへん面白く、今まで見たこともないファイバー状のカーボンがたくさんできていたから、もっといろいろな条件で作ってみてくれませんか」と頼まれました。飯島教授にとっては、私の研究室にあった使い古しの炭素電極はまさに宝の山だったのです。―――

 カーボンナノチューブ発見の論文は、その年の秋の「ネイチャー」誌に掲載されました。最後の謝辞には「I thank Y. Ando for the carbon specimens(試料).」と明記されました。

 飯島氏はこの業績を、思いもよらない発見という意味で「セレンディピティ(偶然な幸運)」と言っています。しかし、それは特別に限られた人にしか成し遂げられない快挙だったのです。

 飯島教授は1999年に本学の教授となりました。本学は飯島教授のカーボンナノチューブと赤﨑勇終身教授・特別栄誉教授の窒化物半導体を融合した「ナノファクトリー」を打ち立てようということで、2002年、文部科学省の「21世紀CEOプログラム」に応募し、電気電子・情報分野で全国20件の一つとして採択されました。飯島教授をプロジェクトリーダー、私がサブリーダー、天野浩特別栄誉教授(当時は理工学部教授)がチーフを務めました。ナノファクトリーの実験施設は、現在共通実験棟IIが立っている場所にありました。その後、設備は11号館と14号館に移動し、今も活発に研究が続けられています。

飯島教授の研究協力者、坂東俊治教授(左)と丸山隆浩教授(右)=研究実験棟IIで

 飯島教授の本学での研究には、理工学部応用化学科の坂東俊治教授と丸山隆浩教授(学科長)が「研究協力者」として関わっています。

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