特設サイト第4部 第5回 「可児名城新聞」輝く

  • 開設20周年を迎えた可児キャンパス。右はキャンパスのシンボル「虹のモニュメント」
    開設20周年を迎えた可児キャンパス。右はキャンパスのシンボル「虹のモニュメント」

都市情報学部の誕生

名城大学で1954年開設の薬学部以来6番目の学部となる都市情報学部が岐阜県可児市の可児キャンパスに誕生したのは1995年4月。この年1月17日には阪神・淡路大震災が発生しており、2015年で20年の歳月が流れました。
都市情報学科の入学定員は200人ですが1期生入学者は259人に達しました。学生数は2年目の1996年度は474人、3年目の1997年度には697人、完成年度である1998年度には925人に達しました。阪神・淡路大震災以降、復興対策や災害に強いまちづくりが大きな課題となり、一方では地方分権の時代を迎え、「環境にやさしい街づくり」など特色ある都市計画に取り組む自治体も相次ぎました。都市情報学部にも「まちづくり」や「都市計画」を学びたいと入学してくる学生が少なくありませんでした。

  • 3期生の橋本さん
  • 3期生の橋本さん

3期生の橋本昌紀さん(名城大学総合政策部職員)も、他大学にはない学部のユニークさや、これからの時代に求められる学問ではないかと感じ、特に環境分野について学びたいと考え入学しました。「入学当初、先生たちの専門は、土木、経済、情報、交通、行政、環境アセスメントなど、大変幅が広いと思いました。ただ、私も含めて多くの学生たちは、『自分はこれを学ぶんだ』という高い志を持って集まってきていたと思います」。また、当時は、パソコンのOSソフト「ウィンドウズ95」が出始めたころで、コンピューターを使った学びにあこがれて入学してくる学生もたくさんいたそうです。
橋本さんは愛知県一宮市の自宅から名鉄電車を乗り継いで1時間半近くかかる通学でしたが、都市情報学部で提供される、多種多様な学びの魅力に取りつかれ、後に振り返ってみると、4年間で休んだのは2日だけでした。開講されている科目はほぼ全て履修し、卒業後はそのまま大学院都市情報学研究科(修士課程)に進みました。

  • 「可児名城新聞」創刊メンバーの伊藤さん
  • 「可児名城新聞」創刊メンバーの伊藤さん

橋本さんと同期生の伊藤大介さん(東京都)は卒業論文で、2000年9月に名古屋市とその周辺で発生した東海豪雨と被害について、GISと呼ばれる地理情報システムで、地形の高低差でのデータに着目して分析しました。卒業後は名古屋工業大学大学院(修士課程)に進み、JR貨物(東京)に就職しました。大阪、岡山勤務など転勤もありましたが、現在は東京の本社で「鉄道ロディスティック本部」に所属。トラック輸送に比べ二酸化炭素排出量の少ない鉄道輸送が見直される中、鉄道による物流推進に関わる部署での仕事に取り組んでいます。
「都市情報学部では災害をテーマに学びましたが、就職してからも、考え方、アプローチの仕方とか学生時代の学びが仕事に生かされていると思います」。伊藤さんは懐かしそうに語ってくれました。

つながりが希薄なキャンパス

  • 学生たちが可児キャンパスに向かう名鉄西可児駅近くの通学路
  • 学生たちが可児キャンパスに向かう名鉄西可児駅近くの通学路
  • 「地域めでぃあ研究会」の部室として使われた現在の同窓会室
  • 「地域めでぃあ研究会」の部室として使われた現在の同窓会室

可児市虹ヶ丘の閑静な住宅団地に隣接した敷地面積6万3000平方メートルに及ぶ可児キャンパス。学生たちは名鉄広見線西可児駅から徒歩で通学していました。割勘でタクシーに相乗りする3、4人グループもいました。しかし、緑に囲まれた閑静なキャンパスは、学生たちにとって、到着すれば最終講義が終わるまでは簡単には抜け出せない、"陸の孤島"でもありました。遠方から電車、バスを乗り継いで通学し、授業が終わればただ帰る学生たち。キャンパスは「賑わい」とはほど遠く、人と人とのつながりも希薄でした。 「希薄さを埋めるために学生同士が共通の話題を持つことはできはないか」。伊藤さんが仲間たちと語り合い、行動に移したのは可児キャンパスでの新聞発行でした。新聞づくりのノウハウを学ぶため、伊藤さんは同級生3人とともに天白キャンパスで「名城大学新聞」を発行する新聞会に入会し、通い続けました。サークル活動ということで、大学から地下鉄塩釜口駅までの通学定期券購入の証明書は発行してもらうことができましたが、往復にはたっぷり時間がかかりました。 天白キャンパスの新聞会には15人ほどの部員がいて、年3回、新聞を出していました。伊藤さんたちは、過去の「名城大学新聞」や、交換紙として他校から届いていた「早稲田大学新聞」「都立大学新聞」などの紙面構成を研究。特集記事の切り口、レイアウト、写真の扱い方などについて学びました。可児キャンパスでは、大学へのサークル登録に必要な部員15人を何とか集め、「地域めでぃあ研究会」(2000年度からは「可児キャンパス新聞会」に改称)を発足させ、2年生になった1998年4月20日、「可児名城新聞」を創刊しました。

「可児名城新聞」のキャンペーン

  • 通学問題をキャンペーンした「可児名城新聞」
  • 通学問題をキャンペーンした「可児名城新聞」

創刊号では「自動車通学を考える」という特集記事が組まれました。現在では、可児キャンパスに限り学生の自動車通学が許可されていますが、当時は、まだ学生の自動車通学は禁止されていたため、学生たちが団地内の路上に無断駐車し、団地住民とのトラブルが相次いでいたからです。団地住民からは、学生たちによって捨てられるごみ、騒音、速度の出しすぎに対する苦情が上がっていました。創刊号では、虹ヶ丘自治会長への取材、一部学生の駐車マナーの悪さなどから住民たちとトラブルが起きていることなどを取り上げました。特集記事の前文(リード文)です。

現在、可児校舎では基本的に自動車通学を認めていない。これは校舎設置時の虹ヶ丘自治会との同意によるもので、最大の目的は団地内における交通事故を未然に防ぐことである。しかながら現状は、学生の迷惑駐車によって、大学が苦情を受けることが多々あったり、明らかな違法駐車も見受けられ、徹底的な改善が必要といえよう。今回我々は、虹ヶ丘会自治会長に取材し、団地内における迷惑駐車等の学生の態度についてお話をうかがった。

創刊号以降の紙面でも、引き続き通学問題でのキャンペーンが行われ、大学側に通学バスの充実を訴えつつ、大学側と団地自治会側との話し合いの進展について紹介しました。
第3号(1998年10月19日)では、初めて1年生から4年生までがそろって開催されることになる「第4回大学祭」を特集。開催のニュースが載った1面と「虹ヶ丘に集GO!!」の見出しの付いた2面を両面チラシとして印刷し、西可児地区で配布される各新聞に折り込みました。

産廃問題で御嵩町町長にインタビュー

  • 可児キャンパスから望む可児市の街並
  • 可児キャンパスから望む可児市の街並

「可児名城新聞」の紙面では地域の問題にこだわりました。可児市に近い御嵩町で起きていた産業廃棄物処分場建設の是非をめぐる問題も取り上げられました。御嵩町では、1991年以降、産業廃棄物処分場計画をめぐり大きく揺れ動き、伊藤さんや橋本さんら3期生が入学する前年の1996年には反対派の柳川喜郎町長が自宅マンションエレベーター付近で2人組に襲撃され、頭蓋骨骨折の重傷を負う事件も起きていました。
伊藤さんの呼びかけに応えて「地域めでぃあ研究会」に入部していた3期生の高津智也さん(東京都)も積極的に取材しました。御嵩町役場に出向いての取材では柳川町長からも直接話を聞くことができました。
「御嵩町の産廃問題は全国的な問題にもなっていたので、『地域めでぃあ研究会』を名乗る以上、ぜひ、地域の人たちにも読んでもらいたいと思って記事を書きました。大人の人たちが見たら稚拙な記事だったと思いますが、柳川町長さんが取材に応じてくれた時は、夢中でカメラのシャッターを押しました」。高津さんの声が電話で弾んでいました。
高津さんは都市計画を学びたくて都市情報学部を選びました。卒業後は橋本さんとともに大学院に進み、修了後は東京のIT企業にシステムエンジニアとして就職しました。

可児のニュースを優先

  • タワー75建設計画の記事(1999年7月5日)
  • タワー75建設計画の記事(1999年7月5日)

紙面づくりは伊藤さんのノートパソコンの「一太郎」のソフトを使って行われました。1ページを1段12文字で9段に分けて、写真スペースを空けて記事を埋めていきました。プリントアウトした記事紙面と写真を印刷所に持ち込み、写植印刷してもらう方法です。幸い、地元の自動車学校や商店街も広告を出して応援してくれました。
伊藤さんたちは可児キャンパスに関するニュースの発掘にこだわりました。1999年7月5日付の第6号では、「天白校舎に高層ビル」の見出しで、名城大学が2年後の2001年に迎える「開学75周年」の目玉事業として「高層棟」(タワー75)と共通講義棟の建設を計画していることを伝えています。

週刊誌「サンデー毎日」(毎日新聞社、6月13日号)の連載「21世紀の大学」で名城大学が取り上げられ、その中で網中(政機)学長がこの計画を明らかにした。同誌によると、学長は「2年後の開学75周年に合わせて共通講義棟、高層棟を建設し、高層棟の中には福利厚生施設、学生サービスセクション、大学院、情報センターなどが入る予定」と語り、都市情報学部設立以来の大プロジェクトを推進するようだ。高層棟は老朽化し、建て替え期にある1号館の場所に建てられる模様だ。

  • 前年の台風で傾いたままのグラウンドフェンス(1999年7月5日「可児名城新聞」から)
  • 前年の台風で傾いたままのグラウンドフェンス(1999年7月5日「可児名城新聞」から)

ニュースソースは週刊誌。「推進するようだ」、「建てられる模様だ」の伝聞記事からは、可児キャンパスの学生たちが、大学本部のある天白キャンパスの情報をつかむのに相当苦労している様子がうかがえます。ただ、紙面では、「高層ビル建設」の記事を押しのけて、トップ記事を飾ったのは、「グラウンドのフェンス 今夏、修繕へ」と可児キャンパスのニュースです。体育館付近で雨の中に咲いたアジサイのカラー写真が準トップを飾りました。
フェンス修繕の記事は、前年の台風で傾いたままの、体育授業でも使われるグラウンドフェンスが、やっと修繕されることになったというニュース。都市情報学部が大学本部に対し、本格的な修繕を行うための費用を申請する意向であるという内容です。
「都市情報学部では、研究・実習費しか予算を組むことができず、今回のような修繕費をこの中から出すと、教育活動に支障が出る可能性がある。そのために、本学へ申請しなければこのような工事はできないようである」と補修工事が遅れた背景を解説。早急に修繕工事をしなければ新たな被害拡大が心配されるとしたうえで、「安全性を速やかに取り戻せるように、都市情報学部における判断によって修繕等を行える制度に大学の財務システムの改善を望みたい」と訴えています。

小さなネタでも大事に

  • 虹ヶ丘自治会と合同で大学周辺の「クリーンアップ」に取り組む学生たち(2014年11月)
  • 虹ヶ丘自治会と合同で大学周辺の「クリーンアップ」に取り組む学生たち(2014年11月)

伊藤さんは、最初に虹ヶ丘の自治会の人たちと話しをするまで、団地内で学生たちの路上駐車問題が深刻になっていることを知りませんでした。団地の人たちが平穏な日々を送っていると思っていたのに、実はそうではなかったと知った時は愕然としたそうです。「可児名城新聞」のキャンペーンもあり、大学側は2000年春、約200台収容可能な学内駐車場を整備。自動車通学を認めたことで、住民とのトラブルも解消されました。伊藤さんが4年生の時です。
「通学問題が落ち着いたあと、帰宅途中、自治会の役員をされている長老の方と会話を交わすことがありましたが、団地の方々といい関係を築いて卒業できて良かったと、今でも思い出すことがあります」。伊藤さんはそう振り返りました。

1999年7月5日「可児名城新聞」第6号に、伊藤さんの「続・最近見つけたしょうもないもの」というコラム風の小さな記事が掲載されていました。伊藤さんが団地の通学路で、自動販売機で販売されていた1年遅れの「季節限定」飲料に気づいた体験をまとめた記事です。

  • 伊藤さんの記事に使われた秋季限定飲料の写真
  • 伊藤さんの記事に使われた秋季限定飲料

それは、1998年のしかも秋季限定飲料(120円)である。あまり売れなかったのであろうか、いまだに大学に近い文房具店前の自販機で販売中である。帰宅途中に偶然発見し、先日試してみた。当日は夏のように暑かったので、気分だけでも一足早く、(98年版のため実際は逆戻りしているのだが)「秋」に浸ろうと硬貨を投入した。
出てきた商品の賞味期限を確かめ、数か月間は大丈夫だったので飲んでみた。秋の果物の代名詞「梨」の味が舌にまとわりついた。口の中だけ秋になったが、暑いので違和感がある。かなり以前から、栽培の技術革新などの影響で、「旬」という言葉が死語になりつつあるが、最近ではこのような季節限定の商品が多く見られるようになった。その狙いが外れ、売れ残ってしまったのは残念だが、今日もまた面白い体験ができたので良しとしよう

ドーム前キャンパスへ

  • 東京に集まった「可児名城新聞」のメンバーたち。伊藤さん(右手前)の左が高津さん(2015年2月6日、東京・秋葉原で)
  • 東京に集まった「可児名城新聞」のメンバーたち。伊藤さん(右手前)の左が高津さん(2015年2月6日、東京・秋葉原で)

2017年4月、都市情報学部は22年間の可児キャンパス時代に別れを告げ、名古屋市東区矢田南のナゴヤドーム前キャンパス(ドーム前キャンパス)に引っ越します。学生たちにとって、1000人足らずの単独キャンパスから、3学部で3000人近い学生・教職員が集う都心キャンパスへの移行となります。一緒になる他の2学部は、2016年4月新設予定の外国語学部と、都市情報学部とともに天白キャンパスから移転してくる人間学部です。2013年9月20日の記者会見で計画を発表した中根敏晴学長は、「開学90周年事業としては最大の記念事業であり、名城大学が大きく羽ばたくビッグチャンスにしたい」とドーム前キャンパス開設の意義を強調しました。
伊藤さんも、「同じキャンパスに複数の学部があって、いろんな学生が混じり合う方がいい。私たちも一時期、天白キャンパスの新聞会の活動に参加したことがあるが、可児から塩釜口はあまりにも遠すぎました」と移転を歓迎しています。その一方で、「可児にいたからこそ地域の皆さんとの交流など貴重な体験もできたし、仲間たちと密度の濃い付き合いができました」と語ります。
高津さんは4年生の時、都市情報学部での必要単位はほぼ取り終えていたこともあり、大垣市の自宅から天白キャンパスに通い、他学部履修科目として理工学部建築学科や農学部の授業に出ました。「意欲さえあれば、キャンパスの立地はあまり関係ないと思うが、ドームキャンパスなら天白キャンパスに通うのも格段に便利。授業が終わったらナゴヤドームでドラゴンズの試合も観戦できるわけですから、やはり素晴らしい。そんな環境を用意してくれる大学に感謝しなければ」と、やはり移転を歓迎しています。
まだ、ちょっぴり新年の気分が残る2015年2月6日。「可児キャンパス新聞会」のメンバーだった4人が東京・秋葉原の居酒屋に集いました。伊藤さんと高津さん、名古屋から駆け付けた後輩ら4期生の2人です。4人が顔をそろえたのは、前年暮れの12月3日に開かれた都市情報学部20周年記念式典で久し振りに再会したのがきっかけです。新聞づくりに明け暮れた日々の話は尽きることがありませんでした。「可児キャンパス新聞会」はすでに自然消滅していますが、「可児名城新聞」は4人の思い出の中でいつまでも輝き続けているようでした。

  • 可児キャンパス正門から続く桜並木が新入生を迎えるのも今年と来年だけになります(2010年撮影)
    可児キャンパス正門から続く桜並木が新入生を迎えるのも今年と来年だけになります(2010年撮影)

2013年4月から連載してきました「名城大学物語」は今回で終了させていただきます。第1部から第4部まで計36回にわたる連載となりました。ご愛読ありがとうございました。

(広報専門員 中村康生)

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