移行用/ニュース 赤﨑終身教授のノーベルレクチャーに満席の会場から拍手の嵐

数分で満席となったストックホルム大学講堂の会場 数分で満席となったストックホルム大学講堂の会場

ストックホルム滞在中の名城大学の赤﨑勇終身教授は12月8日午前9時(日本時間午後5時)過ぎから、ストックホルム大学講堂で開かれたノーベル賞受賞者記念講演会(ノーベルレクチャー)に臨みました。ノーベルレクチャーはノーベルウィーク行事の中では唯一、一般市民も受賞者たちの講演を聞けるチャンス。開場と同時に日本や現地メディア、市民、若手研究者、学生たちが一斉に会場に駆け込み、会場は数分で満席となり、立ち見がでるほどの盛況ぶりでした。

講演は赤﨑終身教授、名古屋大学の天野浩教授(元名城大学教授)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授の順に英語で行われました。トップバッターを務めた赤﨑終身教授は、「私の名前は赤﨑と言います。赤は英語で“RED”を意味しますが、本日は青色発光についてお話しします」と軽いジョークで、緊張感が張りつめていた会場を和ませました。赤﨑終身教授は体調を考慮し、イスに腰かけての講演となりましたが、スライドを使い30分間、LED開発に取り組んだ研究生活を振り返りました。1989年にPn接合窒化ガリウムLEDができた瞬間について、「目にしみるような青色発光は私の研究人生の中でも最も思い出深い出来事の一つでした」と語るなど、力強く、時には感慨深げに語り続けました。

赤﨑終身教授に続いて天野浩教授は、壇上を歩き回りながら、時には大きなジェスチャーを交えて講演。名古屋大学の学生時代からの師匠となった赤﨑終身教授との出会いについて、「赤﨑先生に出会えて私は幸運だった」と述べたうえ、「若い人たちは、難しい課題にも果敢に挑戦してほしい」と熱いメッセージを送りました。中村教授も、「昔、窒化ガリウム発光に関する学会発表では、赤﨑先生がチェアマンを務め、天野先生が講演者。私は数人しかいなかった聴講者の1人だった」と当時のエピソードも交え語りました。

  • 会場となったストックホルム大学講堂の演壇
  • 会場となったストックホルム大学講堂の演壇
  • 3人を紹介する司会者
  • 3人を紹介する司会者
  • 会場を見渡しながら講演する赤﨑終身教授
  • 会場を見渡しながら講演する赤﨑終身教授
  • スライドで天野教授ら研究仲間を紹介する赤﨑終身教授
  • スライドで天野教授ら研究仲間を紹介する赤﨑終身教授
  • 「講演の出来は60%ぐらい」と話しながらノーベル財団専用車に乗り込む天野教授
  • 「講演の出来は60%ぐらい」と話しながらノーベル財団専用車に乗り込む天野教授
  • 講演前に言葉を交わす赤﨑終身教授と天野教授
  • 講演前に言葉を交わす赤﨑終身教授と天野教授
  • あいさつする赤﨑終身教授
  • あいさつする赤﨑終身教授
  • 赤﨑終身教授の講演に耳を傾ける若者たち
  • 赤﨑終身教授の講演に耳を傾ける若者たち
  • 講演終了後、スタンディングオベーションを送る聴衆
  • 講演終了後、スタンディングオベーションを送る聴衆
  • 多くの報道陣に囲まれながら、笑顔で会場を後にする赤﨑終身教授
  • 多くの報道陣に囲まれながら、笑顔で会場を後にする赤﨑終身教授

中根学長ら随行者の全員も見守る

会場では、中根敏晴学長、吉久光一理工学研究科長ら名城大学からの随行者全員が赤﨑終身教授らの講演を見守り、耳を傾けました。理工学部の上山智教授は、「スライドの中には天野先生をはじめ、多くの研究仲間の写真や名前が登場した。自分一人だけで成し遂げた功績ではなく、協力してくれた研究仲間をも称える赤﨑先生の人柄が出た素晴らしい講演だった」と感動した様子で振り返っていました。
同行した赤﨑終身教授の二女赤﨑淳子さんは、「早朝からの講演で、途中で具合が悪くならないか心配でドキドキしながら講演を聞いていました。無事終えることができほっとしました。父の晴れの姿を間近で見ることができて本当に幸せです」と嬉しそうに話してくれました。
講演を終えた3人が再び登壇すると、会場を埋めた市民、若い研究者、学生らは立ち上がって大きな拍手。3人の功績をたたえるスタンディングオベーションの嵐が続きました。
(広報課・小山達也、写真も)
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