移行用/ニュース 天野浩名大教授が名城大生にエール
恵まれた環境を無駄にせずやりたいことに熱中を
学生たちはきつい指導にもついてきてくれました
赤﨑勇終身教授とノーベル物理学賞の共同受賞が決まった名古屋大学の天野浩教授(元名城大学教授)が名城大学教員時代の思い出を語り、名城大学の学生たちに熱いエールを送ってくれました。10月16日、NHK報道番組「ナビゲーション」の収録のために名城大学を訪れた際、収録前の限られた時間ですが、天野教授は快く渉外部広報課のインタビューに応じてくれました。
――名城大学に来るのは久しぶりですか。
この建物(本部棟)は久しぶりです。ただ、理工学部には非常勤講師としてきています。講義は前期で、最後の講義が終わった7月ごろですので、それ以来ですね。
――天野先生のノーベル受賞に拍手を送ろうと大勢の教職員が待ち構えていました。
びっくりしましたよ。でも本当にありがたかったです。名城大学には18年間お世話になりましたが、こんなに温かく出迎えてもらって本当にうれしかったです。
――ノーベル賞の受賞決定後、すごい取材攻勢ですが、週刊誌には少年時代には漫画ばかり読んでいたとも書かれていますね。
そうですよ。高校まではサンデー、マガジン、ジャンプの3冊は毎週読んでいました。今は読んでいません。そんなことまで週刊誌に書かれているんですか。でも漫画が好きだったのは事実です。
――名城大学には講師、助教授、教授として18年勤務されましたが、どんな印象をお持ちですか。
学生さんが非常に素直ですね。ちょっときついことも言いましたが、頑張ってついてきてくれました。頑張ってくれた学生たちは今では第一線で活躍しています。初期のころは名古屋大学の大学院に進む学生もいましたが、しばらくしたら、名城大学の方がしっかり勉強できるということで、名城大学の大学院に残ってくれるようになりました。ドクター(博士課程)にも進学していました。
――赤﨑先生と一緒に1992年に名古屋大学から名城大学に赴任されました。名城大学時代で特に思い出に残っていることはありますか。
――天野先生たちのやる気に、大学をあげて応えてくれたわけですね。
そうだと思います。名城大学の研究体制の充実は、今ではもう、この地域での私学ではトップクラスです。本当にうれしく思います。あの当時のサポートがなかったら、今にはつながらなかったと思います。本当に名城大学にはお世話になりました。
――名城大学教員時代は研究活動以外でも仕事が多かったのでは。
一番びっくりしたのは、在学生父母との懇談会。最初は大学生でも父母懇があるのかと思いました。地方にも出向いて懇談するわけですが、親たちに「あなたは学生の単位をよく落としていますが、どういう教育方針でやっているのですか」とか言われるわけですね。「半導体工学の科目をたくさん落としていますがどうしてなんですか」とか。
――私立大学ならではの体験だったわけですね。
ところが、最近は名古屋大学でも似た傾向はあるんです。10月18日には「ホームカミングデイ」というのがありますが、父兄たちがたくさん来ます。名大生の子どもがいる卒業生たちですね。名城大学時代と同じようなことをやられるんですよ。今は、国立も私立も関係なく、親が子どもの大学教育に関心があるんですね。学生たちも、親が関心を持つことは当たり前だと思っているようです。
――名城大学の学生たちにメッセージをお願いします。
名城大学は研究をやるうえでも、勉強をやるうえでもいい環境なので、こうした素晴らしい環境を無駄にすることなく、やりたいことに熱中してほしいと思います。本当に、どんどんよくなっている大学だと思います。私が赴任したのは22年前になりますが、学生のレベルも一段とアップしている感じです。今度はナゴヤドーム前キャンパスもできるということですが、あそこならロケーションも素晴らしい。環境はますますよくなりますね。可児キャンパス(岐阜県)の都市情報学部も移転すると聞きましたが、私も入試監督の当番で何度か可児キャンパスには行きました。懐かしい思い出です。
天野 浩(あまの・ひろし)
1960年、静岡県浜松市生まれ。名古屋大学工学部卒。工学博士。名古屋大学助手を経て、1992(平成4)年から恩師の赤﨑勇教授とともに名城大学に赴任。講師、助教授を経て2002年から教授。名城大学での18年の教員生活を経て2010年から名古屋大学教授。
このインタビューは、「育て達人」にも掲載しています。
育て達人 第131回 天野 浩