トップページ/ニュース 中欧スロバキアの軍事史研究者が都市情報学部で講義
中央ヨーロッパにあるスロバキア共和国の軍事史研究所で主任研究員を務めるペーター・ホルバートさんが12月3日、ナゴヤドーム前キャンパスで行われた都市情報学部の稲葉千晴教授が担当する3年次開講科目「都市と国際関係」でゲスト講師として登壇し、第一次世界大戦時に「チェコスロバキア軍団」と呼ばれた軍事組織の成り立ちや1918年のチェコスロバキアの独立に果たした役割、知られざる日本との関わりなどを解説しました。
スロバキアの軍事組織「チェコスロバキア軍団」について解説
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スロバキアの地理や言語も紹介
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稲葉教授が翻訳
ホルバートさんはまず、学生たちにとってなじみの薄いスロバキアの地理や言語、歴史などを紹介。第一次世界大戦の開戦時、チェコスロバキアは独立国ではなく、ロシアと戦ったオーストリア・ハンガリー帝国の一部でしたが、「ロシアで捕虜となったチェコスロバキアの兵士たちはロシアとではなく、独立のためにオーストリア・ハンガリー帝国と戦った。その軍隊が『チェコスロバキア軍団』」と説明しました。
また、ホルバートさんはチェコスロバキアの独立に大きな役割を果たした人物として、チェコ人で初代大統領となったトマーシュ・マサリクと、35歳で初代外相に就いたエドヴァルド・ベネシュ、チェコスロバキア軍団をまとめ上げたスロバキア人のミラン・シュテファーニクの3人を挙げ、特にシュテファーニクについて「スロバキアの英雄で、3人の中でチェコスロバキアの軍隊の組織化を最も強く考えていた」と指摘しました。
ホルバートさんはチェコスロバキア軍団と日本との関わりについても紹介。1918年10月、チェコスロバキアは独立を果たす一方、ロシア革命でロシア軍が崩壊すると、チェコスロバキア軍団はシベリアで孤立して窮地に立たされ、その救出のため日本に協力を求めようと、シュテファーニクが来日。日本は権益獲得を狙いシベリア出兵を画策していたこともあり、兵士たちはウラジオストクから日本の船で横浜に逃れることができたことを解説しました。
最後に、ホルバートさんは「チェコスロバキア軍団」についての歴史的評価について「チェコスロバキア共和国として独立したことで、オーストリア・ハンガリー帝国時代の軍隊の士官たちはその身分をはく奪されたが、帰ってきた『チェコスロバキア軍団』の兵士たちは新たな国家の軍隊での身分を確立し、その後の国防を担う重要な役割を果たすことになった」と強調しました。


