特集家族のカタチ。
家族は今、いろいろな問題をはらんでいるように見える。課題も多いし、さまざまな問題も頻出している。なんとかしなければならないと、みんながそう考えている。とくに若い人たちは、これから新しい家族をつくり出していく道の途中にいる。
しかし、今は「家族」だけを見ていればいい時代ではない。回りを見渡せば、グローバル化やテクノロジーの進化、いろいろな波が私たちに覆いかぶさってきている。
そんな時代の「家族のカタチ」を、考えてみたい。
「家族のカタチ」って何?子どもの頃から馴染んだ「のび太君」の家族?父、母、子ども、(+ドラえもん)のような核家族でしょうか。
線と点。
日本において、家族は「線」でつながっている。線は、結婚や出産などによって、連綿と過去から未来へと結ばれてきた。しかし、時代とともに、「線」は「点」になりつつある。その背景にあるのは、「家族の個人化」である。
戦後の高度経済成長期における特徴的家族は、「近代家族」と呼ばれ、父はサラリーマン、母は専業主婦で家事育児をする。この性別役割分業を基本とする家族のカタチが次第に変化しつつある。個人の自律性や選択の自由が増し、女性の社会進出に伴って夫婦間の役割も固定化されない関係性が当たり前になってきている。家族を構成する一人一人が、自由に行動する傾向にある。結婚相手も家柄、学歴、国籍などにこだわらず個人が選択する。最近では、法的な結婚にも、性別にもこだわらない。こうなると、家族は「線」としてつながれることなく、個人の選択による「点」として家族は存在していくことになる。
これが日本の、新しい家族のカタチであるというのが、安藤喜代美先生の考えである。
- 安藤喜代美先生のお話から編集部により作図
- 内閣府「男女共同参画社会に関する調査」を元に安藤喜代美先生作成
近代家族の崩壊。
産業構造の変化(第1次産業から第2次・第3次産業への移行)により成立したと考えられる「近代家族」は、すでに終焉をむかえた。しかし今なお、理想の家族は、「のび太一家」のようなお父さんとお母さんがいて、温かく、居心地の良い場所である。現代の個人化した家族では、現実はやや異なる。離婚件数は2002年をピークに減ってきているものの、今でも年間20万組以上が離婚している。さらに、かつて子どもがいる夫婦の離婚は少ないとされたが、今では子どもを連れて「ひとり親世帯」となるケースは増えている。再婚も増加している。再婚の際にすでに子どもがいる場合、家族の再編成が行われ、ステップ(義理の)ファミリーと呼ばれ、アメリカではよくあるケースである。
線がいったん切れて、新たな線が紡ぎ出されるということだろうか。
国の施策には、「子どもを生み育てる」「老親等の介護や扶養をする」といった従来の家族機能を維持しようとする傾向が根強い。子どもを育てるのも、年老いた親の介護も家族がするのが望ましいという大義名分なのかもしれない。危機にひんするという国の予算を考える時、子育ても介護も家族に任せるというのは、極めて合理的かもしれないが、果たしてそうだろうか。
家族のカタチは、時代とともに変化してきたが、AIの普及、ICT、IoTなどのデジタル革新が今後いっそう進化すれば、家族はまたこれまでとは異なる様相を、示すようになるのかもしれない。子育てや介護をAI搭載ロボット(ヒューマノイド)に任せる、子どもが欲しければヒューマノイドをもつという未来も、まるきりありえない話というわけではない。「ドラえもん」を家族の一員にしている「のび太一家」が、現実となる日が来るかもしれない。
人生100年時代。
人生100年時代において、一人ひとりに与えられた時間は極めて長くなるはずだ。たとえば、離婚に対する拒否反応が薄らいできた現代、離婚はどの時点でも可能であり、そのあとの人生をどう選択していくか、あるいは、同じ会社に定年まで勤める終身雇用という形態が姿を消しつつある中で、新たなキャリアをどのように設計するかというのも重要なテーマである。
しかし、今日、学ぶことや人生の新しい選択というのは、若者だけの特権ではない。恋愛もまた、自由なのだ。年をとってからの「選ぶ」チャンスを楽しむことも、人生100年時代を健やかに生きる知恵かもしれない。これからの家族のカタチは、個人の選択に委ねられている。
多様化の中で
家族は、社会からいろいろな影響を受けているのに、いざ「家族」を考えようとする時、多くの人は、自分と強く関係する家族成員である父、母、子どもたちという近親者の枠組みに留まる。もっと広く、家族を取り巻く環境についても見て、考えなければならない。政治や経済、科学技術、世界をも視野に入れて、それらとの関わりの中で家族を考える時代だ。
時には物事を斜めから見る視点も必要だろう。何もかも鵜呑みにするのではなく、時には「?」を付けて考えてみる。
ともすれば、家族は閉鎖的な存在になりがちである。家族の問題は当事者の主観的な問題という側面も確かにある。しかし、そこにさまざまな問題も起きている。だからこそ、自分を含む家族について考える時には、幅広い視野で考える「客観性」が重要なのだ。
最初の写真に写っている三人は、家族と思いましたか?
幅広い視野で多面的、客観的にもう一度、考えてみて下さい。事実婚の二人とヒューマノイドの子どもかも?
人間学部
安藤 喜代美 教授
KIYOMI ANDO
米国ワシントン州立ウエスタンワシントン大学修士課程、ルイジアナ州立大学博士課程修了。Ph.D(社会学博士)。人間学部講師、准教授を経て現職。
専門は社会学。また、研究としては、墓地や墳墓に対する現代人の考え方や感じ方を調査し、多様化する現代家族が直面している変化や課題を探り、それらを踏まえて、これからの家族のあり方とそれに呼応する墓制・葬送の変化について研究を進めている。
著書に『現代家族における墓制と葬送―その構造とメンタリティの変容』など。